I am gonna do it
慎吾が兵庫県神戸市に住民票を移して一年になる。岐阜県郡上市で高校卒業まで家族と暮らし、大学進学とともに京都で一人暮らしを始め、そして就職と同時に一年前、神戸に引っ越した。
実家に帰らなくて良かった。
慎吾は休日にドトールコーヒーで本を読むたびに、そして、大学時代からの付き合いが長い友達と会っているたびにそう強く感じる。
実家のある岐阜県郡上市に帰省し、そこで就職している小学校から中学校時代の同級生を何人か知っているが、慎吾にはこの長い人生をどうして郡上で過ごそうと思うのか、全く理解ができなかった。
家庭環境が複雑だったわけではない。大学入学とともに京都で下宿を始めるまで、慎吾には父、母、妹二人と祖父、祖母と同居していた。どこにでもいる家族構成だ。特別仲が悪かったわけでもない。
日常生活でも特に支障はなかった。小学校から高校まで、風邪など一度もひいたことはなく、超健康優良児だった。高校の頃、一度だけ親と先生と喧嘩して学校を休んでしまったことがあったが、世間一般的には思春期によく見られる反抗期というやつで、その後、特に支障もなく学校生活を終えた。いじめられていたとかそういうことも全くなく、むしろ友達は多い方で、高校一年の時には短い間だったが彼女もいた。
大学卒業前の就職活動時、実家に帰って公務員試験を受け、役場で働こうとと思った瞬間がないわけではなかった。現に、父と母は慎吾に安定した生活を望んでいたし、特に祖父は、慎吾の下宿先に直筆の手紙を送りつけ、実家に帰って公務員になってくれと懇願したほどである。
しかし、慎吾は最終的に家族の期待を裏切り、関西で就職することを選んだ。
理由の一つは、趣味の演劇を続けることにあった。高校は演劇部に所属し、大学では演劇サークルのみならず、アマチュア劇団に所属し、少額の報酬を得ることもあるくらい、真摯に取り組んでいた。授業にも行かず、演劇ばかりやっている生活だったので、卒業後も演劇を続けたいと慎吾が思うのは必然であったし、演劇は慎吾自身を構成する要素の一つとなっていたため、やめる理由が見つからなかった。
もう一つの理由は、地元は狭いのだ。ついこの間、母から連絡があり、地元に初めて吉野家ができたと慎吾は知った。もし、高校生の頃だったら、都会には当たり前に存在している吉野家が地元に初めてできたという異常性に気がつかなかっただろう。しかし、学生時代に住んでいた下宿先からわずか徒歩5分ほど歩いたところに吉野家は当たり前に存在しているし、吉野家のみならずすき家、CoCo壱番屋、ピザーラ、その他名だたるチェーン店がほぼ徒歩10分以内に存在している。これが当たり前なのだ。チェーン店のみならず、娯楽、文化、流行りに至るまで同じ日本であるのに田舎民の普通と都会民の普通にはこれほどまでに差がある。慎吾にとってこれは衝撃的であり、今まで自分が世の中のとんだ常識はずれの価値観を持っていたことをすごく恥じた。
関西に残ればやりたいこともできるし、快適に暮らせる。それらを捨ててまで実家に帰省する理由が慎吾には見つからなかった。