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息抜き

薫とソーニャの話

作者: 揚旗 二箱

テーマ:『恋愛禁止』

『拝啓薫さま。明日の昼食休みに学校の駐輪場に来るがいい。決着をつける時だ。待っています』

 この手紙を読んだとき、ボクはどんな顔をしたか自分でもわからない。

 万年筆で書いたのであろうすさまじく奇麗な字とのギャップがありすぎる妙な日本語がしたためられたB5のルーズリーフは、ご祝儀の封筒に入ってロウの封がされていた。あて先はボク、日本史の参考資料集の徳川十五代特集ページにて発見した。現在授業中だが気になったのでトイレで開封したわけだが、なんだろうコレ。あまりにも混沌としているせいでたった数行の文を咀嚼するのにも一苦労だ。

 ちなみに差出人は書かれていないが誰かは分かる。一人暮らしをするボクの元に、父の指示でお手伝いさんとしてやってきているソーニャさんだ。でなければ昼休憩直前の歴史の授業範囲を見透かしたように手紙を挟むことなどできるはずがない。また、彼女はロシア人の父とロシア系日本人の母の元ロシアで育ったらしいので日本語が多少下手でも不思議ではない。

 しかし決着をつけるときた、なんの決着だ。もしかして彼女とマ〇オカートで遊んだ時こてんぱんにしてしまったのをまだ怒っているのだろうか。あの時はケーキを賭けていたので必死だったというか、そもそも半年も前の話である。しかし本当に覚えがあるとしたらそれくらいなので、一応謝罪をする心づもりでいるとしよう。


 


 昼休み。手紙に書いてあった通りに校舎裏の駐輪場へ来た。この時間帯に下校する人間はまずいないので静かなものだ。この特性を利用し、よく血気盛んな男子たちの決闘の場になっているのだとか。ちなみにイロコイだのウンメイだのと噂のたつ大木は校門のそばに植えられている。

 さてソーニャさんを探すと……いた。本人曰く日本に来てからすこし色素が出てきたという肌はあいかわらず白く、なびく赤毛のロングヘア―は見事なウェーブもさることながらそのボリュームに目を奪われる。彼女とは同い年のはずなのだが、身長が高いうえに所作の一つ一つが大人っぽいので自然と背筋が伸びてしまう。彼女がいわゆるメイド服ではなく、スーツを着ているために余計にそう感じてしまうのかもしれない。

「ソーニャさん。決着っていったいなんのこと……」

 声をかけつつ近づくボクをソーニャさんはシュビッと手で制した。彼女との距離は十メートルほど離れており、ちょっと声を張らないとまともな会話ができそうにない。

「ソーニャさん?」

「薫さま。来てくださってありがとうございます。しかし、そこより先に踏み出してはいけません。どうかそこからお話しください」

「え。まあ分かったけどさ、その、あの手紙の意味がよくわからなかったからそれを先に聞きたいのだけど……」

 彼女があまりにもはっきりと言い切ったので思わず従ってしまったが、いったいどういう状況だ。近づかれると不都合なことがあるのだろうか。踏み出せば一太刀で斬られてしまうような威圧感を感じ、冷汗が頬を伝った。

 するとボクの緊張を察したのか、ソーニャさんがふっと微笑んだ。彼女は本当に微かにしか笑みを浮かべないのだが、薄い唇やすっと伸びた鼻筋、髪の毛同様に長くて濃いまつげに見とれてしまう。

 金色の視線に射抜かれながら少しだけ風を感じると、気が付いたように彼女は口を開いた。

「あのお手紙は、わざとわからないように書いたのです。書式も、中身も、すべて奇をてらってみました。お気分を害されたのでしたら申し訳ございません。ですが、わたくしはそうしなくてはならないのです」

「事情……?ともかく、詳しく話を聞かせてよ。なにか困っているの?ボクにできることがあればなんでも言ってよ」

 ちゃんと聞こえるようにすこし大きな声を出す。ソーニャさんもそうしているのだろうし、ボクもそうしている。

 聞いている人などいないし、聞かれて困るような話をしているわけじゃないはず。しかし意識して声を出して会話をするというのは、なぜだかとても恥ずかしかった。

「薫さん、水族館はお好きですか?」

「はい?」

 突拍子もない質問におもわず聞き返すと、少し沈黙を挟んでからソーニャさんはチケットを取り出した。二枚あるようだが、話の流れを汲むに水族館のチケットだろう。

「こちらに先日リニューアルオープンした水族館の優待チケットがございます。ふたり一組で使用するタイプのものです。よければ明日、ご一緒しませんか」

「あ、水族館に行きたいってことだったの?なあんだそういうことか。わかった、いいよ。明日だね」

「ありがとうございます。ではわたくしは先に戻っておりますので、薫さまの帰宅後に行動予定などを説明させていただきますね」

 深々と頭を下げ、ソーニャさんは去ってゆく。彼女の用事というのはどうやらこれだけらしい。以前からどこかマイペースなところがあるとは思っていたが、今回は格別に不思議だった。結局のところ決着というのが何を指しているのかは分からなかったが、わざとヘンテコな文を書いたと言っていたし彼女なりのジョークだったのかもしれない。

「ボクも教室に戻るかな……ん?」

 ソーニャさんが立っていたところにちいさな本が落ちている。生徒手帳によく似ているが、装丁が豪華だ。皮の表紙にあしらわれているのは大きな花の紋章だろうか。たしかソーニャさんの持っている裁縫道具箱にも似た模様があったはずなので、彼女が落としたに違いない。

 前を見るとまだ背中が見えていたので、呼び止めて渡してやることにした。

「ソーニャさん!落とし物だよ、そっちまでもっていくからちょっと待っていて」

 本へ向けて歩きつつ叫ぶ。十メートル先にぽつんと落ちている本を見ていると、なぜ近づくのを止められたのかがいまだにわかっていないことを思い出した。それについても聞こうと思い、顔を上げるとソーニャさんが慌てた様子で駆け寄ってくるところだった。

「薫さま、それを拾ってはいけません!そしてわたくしからどうか離れてください!」

「ええ!?あ、ちょっと、きゃっ」

 自分でも信じられないくらいかわいい悲鳴がでてしまったのは、それくらいソーニャさんの表情が鬼気迫るものだったからだ。彼女はすばやく本を拾い、ボクはやや躓きながらも言われたとおりに後ろへ下がった。ソーニャさんのとの距離、六メートル。

「……申し訳ございません薫さま。ですがどうしても、これの中身を見られるわけにはいかないのです」

「いいよ、気にしないで。それじゃあまた家でね」

「はい、後ほど……」

 今度こそソーニャさんは去った。小走りで。

「気にしないで、とは言ったけどさ……隠されると余計に気になるよね」

 独り言がそよ風に消えた。




 翌日、事前に説明されたとおりの時間に水族館に着いたのだが。

「なんで家を出る時間も電車も別々で現地集合なの……?」

「すみません薫さま。しかしすべてうまくいくようにするにはこうするしかないのです」

「いや、全然待ってないし謝る必要はないんだけどさ」

 なぜか私よりも後に家を出て、二本後の急行に乗って最寄りの一駅むこうまで行ってから徒歩で水族館までやって来たソーニャさんからチケットを一枚渡される。彼女は歩いたわりに汗一つかいていなかったが、頬が上気しているため単に汗をかくのが下手なのだろう。なんというか、一緒に暮らしていたはずなのにいままで知らなかった意外な一面だ。

 そしてなにより……。

「ソーニャさん、今日はいつもとは違う格好なんだね」

「はい。このような娯楽施設に薫さまと来ているのですから、いつものスーツ姿では変に目立ってしまいます。それでは薫さまにご迷惑がかかるだろうと思いまして。このように、ご学友に見えるような恰好をしてきたのです」

 いつもはスーツに革靴でいかにもキャリアウーマンとでも表現される働く女性という感じの格好なソーニャさんは何も言わないと髪の毛も小さくまとめてしまうため、ボクからお願いして髪だけはおろしてもらっていた。そんな堅いイメージがついているせいか、今日のソーニャさんはとても斬新だ。

 白いシャツに黒のジャケットを羽織っている。視線を落としウエストポーチに気がつくと、その下のホットパンツからすっと伸びた白い脚がブーツへと吸い込まれていく。

「なんか、かっこいい」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

 かっこよすぎてとても学友には見えないが、言うと落ち込みそうなので黙っていることにした。

「よし、ずっとここで立っているのもアレだし中に入ろうか」

「あ、待ってください薫さん。チケットはわたくしたちがペアで提示する必要があるのですが、その際にお願いがございます」

「なに?」

「チケットはわたくしのものとは少し離して提示してください」

「……まあ、いいよ」

 ソーニャさんの妙なお願いはもう何をいまさら、という感じなので素直に聞いておくことにした。

「ようこそお越しくださいました!チケット、拝見いたします!」

 水族館の入り口でやたらとテンションの高い係員にチケットを渡す。言われたとおりに、ソーニャさんとは少し離した位置でチケットを提示した。

「お二人様、ペアチケットでのご入場ですね!ご家族さまでしょうか?」

「まあ、そんな感じです」

「こちらチケットの半券を合わせていただくとハートマークができるようになっています。あちらの方のスタッフにお声をかけていただければペアチケット記念のお写真を無料で撮影していますよ!」

「あはは、どうも……」

 こちらの話など微塵も聞く気がないスタッフの話を適当に流しつつ入場。写真を撮るかどうか、ソーニャさんに聞こうとしたとき、例の写真コーナーとやらからやけに作った感じの声が聞こえてきた。見るとまさにバカップルとでもいうべき男女がはしゃいでいる。さらに自分らのうしろから入場してくるペアに至ってはチケットであらかじめハートマークを作って提示し、テンションの高いスタッフとさらにテンション高く騒いでいる。

 なるほど、これらと一緒にされたくなかったんだな。

「ソーニャさん。お昼ごはんの時間とかは決まっていたけど、何か見て回る順序とか決めているの?」

 ソーニャさんの謎のこだわりを解き明かす有力説に納得しつつ、さっさと水槽のところまで行ってしまおうと問いかける。彼女はやはり少しの沈黙を置いて、言った。

「道順通りに進みますが、薫さまはわたくしの半径五メートル以内に入ってはいけません。お写真を撮影される際にはどうか魚たちを驚かさないようにフラッシュを切っていただいて、わたくしと薫さまが同時に写らないようにお願いします」

 絶句して言葉が出なかったのは言うまでもない。




「ではわたくし、飲み物をとってきますね」

「……うん」

 午後四時前。水槽を一通り見て回り、イルカのショーも観賞してから休憩がてらフードコートでアイスを食べ、喉が渇いてきたのを察したらしいソーニャさんが飲み物を買いに行った。半径五メートルの外側から。

 水族館に入ってからこっち、ボクは結局ソーニャさんとは一度たりとも近くにいなかった。もちろん写真も撮れないし、観た魚の感想を言うこともできない。一応トイレに行ったときにも途中まではついてきていたので、完全に別行動をしているわけじゃない。適切に五メートルの距離が離れたまま、しかし何一つ共有することなくここまできた。

 正直、面白くない。

 普段は仕事だからとあまり一緒には遊びに行けないソーニャさんと、せっかく久しぶりに楽しめると思ったのにこれではあんまりだ。もっとソーニャさんと話したかった。なんなら、今日はいままでの外出と違って私服で来ているから本当にプライベートでのお誘いだったのかなとも思っていたのに。

 怒りすら覚える。しかし、ふと冷静になって考えてみた。

 ソーニャさんは気遣いがまったくできない人ではない、むしろよく気がつく方で、雨が降る予報が出ているときなどは確実に傘を用意していたり、急に雨が降ったときは傘を学校に届けに来てくれたり……いまは傘がらみのことしか思い出せないが、とにかく普段から気が利くのだ。

 それに、事の発端になった手紙もよく考えればヘンだ。あんなカオスで不審な日本語の手紙などたとえちょっといたずらをしてみようとか思ったくらいじゃあ書かない。ソーニャさんはそれくらい真面目な人だし、日本語だって全く問題なく扱えるはずなのだ。

 なら、このアホな状況を説明するのはただ一つ。真面目なソーニャさんが勝手に空回りしているという説だ。そしていま、明らかにあやしいアイテムがあちらに置かれている。

 ソーニャさんが座るときに邪魔だからと言って外したウエストポーチ。財布が入っているはずなのに席に置いたまま飲み物を買いに行ってしまうあたりやっぱり今日のソーニャさんはちょっとヘンであり、そしてその最有力容疑者もあの中にいる。


「すみません薫さま。わたくしとしたことが財布を……あっ!?」

「ソーニャさん、いや、ソーニャ。これはどういうこと?」

 大きな百合の紋章があしらわれた革製の小さな本。

 その中のメモスペースには、あの手紙からのソーニャの奇行がすべてスケジュールとして書き込まれていた。

「薫さま、それは、それは、その……」

「いいからちょっと来て」

 明らかにうろたえているソーニャの手首をつかみ、トイレのそばの小さなベンチだけが置いてある休憩スペースに連行する。イルカショーの音声や雑多な会話が遠くから聞こえるのみで、喧騒そのものと言っていい娯楽施設の中では比較的静寂だ。

「ボク、今日の一日中ずっと面白くないのを我慢していたんだよ。それが前から計画されていたものだったなんて、どういうことなのか説明して」

「あ、あの……ご、ごめんなさい……」

 あれだけ大人びていて、余裕のあったソーニャがものすごく怯えている。ベンチに座っているのもあって、立っているボクからみた彼女はとても小さく、弱い少女にしか見えなかった。

「謝らなくてもいい。時間がかかるなら待つから、きちんと理由を言って」

 すこし声のトーンを落とし、なるべく優しく、けれど本気であることを伝える。ソーニャは今にも泣きそうになっていたが、嗚咽をこらえながら逡巡しているようだった。


 言葉がなくなって一分は経っただろうか、もう少し短かったかもしれない重い時間が流れたとき、ソーニャが声を絞り出すように言った。


「つ、次の、ページ……そのメモの、あとの、いちばん、うしろの、次。見て、下さい……」

 無言でうなずき、妙なスケジュールが書かれたメモ帳をめくっていくとたくさんの文字が印刷されたページがでてきた。この小さな本は元々メモ帳としての機能はなく、学生手帳のようなものの前にメモのページをくっつけて表紙をつけなおしたもののようだ。

「これって……」

 そこには『雇用規則ハンドブック』と書かれた表紙があり、めくると目次が出てきた。後ろの方からその他留意事項、解雇が決定した場合の処遇、賠償責任などが並び、そして最初の章は。

「『個人的な交際の禁止について』……」

 読み上げると、ぽつぽつとソーニャは語りだした。

「わたくし、本当は駄目だと分かっていたんです。薫さまがいくら素敵な方であっても、わたくしは仕事上の役割以上にお近づきになることが出来ないのだと。そういう条件で働かせてもらっていると……仕事には誇りを持っているつもりでしたし、諦めたつもりだったのです。でも、わたくしと、同じくらいの少年少女たちが挑戦できることに、どうしてわたくしは挑戦できないのかと、どうしても、納得が出来なかったのです。だから、どうにかして、そこに書かれている方法以外で、薫さまとお近づきになれたらと、思ったのです……」

 読んでみると、やけに細かい規定がずらっと並べられている。すさまじい、というかキモイ。ありとあらゆることが禁止されており、例えば『それとわかる文面で個人的な交際を申し入れる手紙を差し出すことの禁止』、『個人的な交際の一環としての外出(以後デートと呼称。定義は次ページ)の禁止』など。他にも手紙の書き方から歩き方、果ては寝るときの頭の向きまで規定されているようだ。交際相手として想定される子が明らかにボクのことを指しているうえに、ソーニャの雇用主は父なので、これを書いたのも自然と父だろうと分かる。弁護士ならこんな頭の悪いハンドブックなど作るわけがない。もう人権侵害というレベルを超越している。

「……ソーニャ、ボクは今日一日まったく楽しくなかった」

「はい、申し訳ありません……わたくしは今ここで解雇されることに意義はありません。ですからいっそ薫さまがそう言ってくださればすぐに消えますから……」

 ソーニャは今にも溶けてなくなってしまいそうなくらい小さくなって震えている。きっと尋常ではない勇気がいる告白だったに違いない。

 いま、この場においてソーニャとボクはただの同年代だ。対等なら、ボクも対等に応えねばなるまい。

「何を言っているの。はやくここの入り口に戻るよ!」

「薫、さま……?」

 ソーニャはきょとん、としていたが、ボクが雇用規則ハンドブックをゴミ箱に放り込んだとたんに目を丸くした。

「ボクはソーニャと水族館デートがしたかったんだ!閉館までまだ時間がある、今からでも今日一日をやり直すよ!」

「で、でも規則が」

「あんなのはあとでボクからクソ親父に言っておけばいいさ。どうせろくに考えもせずに適当に決めた規則だ、ガツンと言ってやれば目も覚めるだろうよ。それより急ごう、全部やり直すのには結構ぎりぎりだ!」

「……ふふっ、それもそうかも、しれませんね」


 ソーニャが笑った。微笑むのではなく、心の底から。涙でメイクが崩れているが、いままで見た中で一番美しい表情だ。ものすごくドキドキする。


「よし決まりだね!じゃあ出発、と思ったんだけどその前に。せっかくだし、そこのトイレで崩れたメイクを直してから行こうか」

「あ、すみません薫さま。わたくし、その、規則にあったので、直しの道具を持っていなくて……」

「それじゃあボクのを貸すよ。もとはと言えばボクのクソ親父が決めたアホルールのせいだし、遠慮なく使ってくれ。あと、薫でいいよ」

「わかりました。薫……ちゃん!」

「ちょ、調子に乗るな!はやく直してきなさーい!」

 不意打ちのちゃん付けに顔が熱くなる。ソーニャはとてもかっこいいし、気が利くからズルい。乙女心を何だと思っているんだ。

「……緊張するなぁ、水族館デート」

 奇しくも人生初デート。紆余曲折なプロローグだったが、きちんと成功させたいところだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 ソーニャの愛らしい不器用さに思わず「フフッ」と笑ってしまいました。 揚旗先生の他の作品も楽しみながら読ませていただきます。
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