幕間ー14
「どうして、こうなった」山県有朋元帥は、寺内正毅副首相を小田原の「古稀庵」に呼びつけていた。お互いに椅子に座った山県元帥と寺内副首相の間には新聞が置かれている。その新聞の見出しには、でかでかと陸軍欧州に本格派兵を決断と言う文字が躍っていた。
「山本権兵衛首相にはめられました。申し訳ありません」寺内副首相は山県元帥に頭を下げた。
「陸軍の欧州本格派兵を取り止めろ、できないというのか」
「できません」
「なぜだ。理由を言え」
「それは」寺内副首相は口ごもった。
「言えないというのか」山県元帥の怒気を孕んだ声に寺内副首相は縮こまるばかりだ。明らかに寺内副首相の態度がおかしい。山県元帥は不審を覚えた。
「理由を言ってくれないか。理由を言ってくれないと納得できん」山県元帥は態度を和らげ、あらためて寺内副首相に尋ねた。寺内副首相は、あの時の光景を思い起こしながらゆっくりと話し始めた。
天皇の御前に寺内副首相は、山本首相や牧野伸顕外相、加藤友三郎海相、上原勇作参謀総長、島村速雄軍令部長と赴いた。まず、山本首相が世界大戦の現状について上奏し、更に海軍の決意を上奏した。
「海軍はヴェルダン要塞攻防戦で約8万人の死傷者を出しました。海軍は大損害を被り兵が不足しつつありますが、同盟国の英国等への信義を貫くために全滅しても戦い抜く覚悟であります」山本首相はその言葉で上奏を締めくくった。島村軍令部長や加藤海相は顔色を急変させた。天皇陛下に上奏したのだ。海軍としては引き返すに引き返せない。その後、寺内副首相は陸軍の考えを上奏した。
「陸軍としては、海軍に協力して航空隊を欧州に派兵するつもりであります」寺内副首相はその言葉で上奏を締めくくった。その際、天皇陛下から下問があった。
「海軍は大損害を被り、兵が不足していると上奏があったが、陸軍は海軍に協力できないほど兵がいないのか」寺内副首相は慌てた。青島要塞攻防戦以降、陸軍は損害を出していない。陸軍に兵が無いことは無い。
「いいえ、陸軍に兵はあります」
「陸軍は海軍に協力しないということか」天皇陛下から更にお言葉があった。
「いえ、陸軍は海軍に協力する用意があります」寺内副首相は答えた。そこに山本首相が更に上奏した。
「陸軍省が協力するつもりがあっても、参謀本部が反対なのでは」
「そうなのか」
「いえ、違います。参謀本部には、海軍に協力して欧州に派兵する用意があると上奏します」上原参謀総長も思わぬ火の粉が飛んできて、慌てて上奏した。
「では、陸軍省、参謀本部は共に海軍に協力して欧州に陸軍を本格派兵する用意があるという意見であるということでよろしいですな」山本首相は言質を取った。寺内副首相と上原参謀総長は目を合わせて無言で会話したが、今更、陸軍は欧州に本格派兵はしないと言える雰囲気ではない。天皇陛下の御前でもある。寺内副首相は観念することにした。
「陸軍は欧州に本格派兵する用意があり、海軍に協力をいたします」寺内副首相は上奏した。
山県元帥は黙考した。これで、陸軍が海軍に協力せずに欧州に本格派兵をしないということになったら、天皇陛下の信任を完全に陸軍は失い、寺内新内閣は流産し、上原参謀総長は辞任するしかなくなる。日本の元帥に命令できるのは、大元帥たる天皇陛下のみか、林忠崇元帥の一言を山県元帥は思い起こした。その天皇陛下から命令があった以上は従うしかない。
「分かった。速やかに欧州派兵の準備を海軍と協力して整えたまえ」山県元帥は寺内副首相に言葉を掛けた。
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