幕間ー12
「ほう、山本権兵衛首相が辞任の意向だと。そろそろ頃合いだとわしも思っておった」山県有朋元帥は、小田原の「古稀庵」で寺内正毅副首相兼陸相の話を心地よさそうに聞いていた。山本首相には、陸軍、中でも山県元帥は煮え湯をいろいろと飲まされている。陸海軍大臣現役武官制の改訂、官僚任用令の改訂等が山本内閣初期に通された時には本気で内閣を潰そうかと山県元帥は考えたくらいだった。林忠崇元帥が仲裁に入り、陸軍予算の増額を山本内閣が認めなければ、シーメンス事件を散々煽って山本内閣を潰していたろう。その後、第一次世界大戦の勃発、対中国政策で陸軍の一部が暴走していたことが山本首相に掴まれた時は逆に山県元帥は慌てふためく羽目にもなった。山県元帥にとって、山本首相は天敵ともいえる存在になっている。その山本首相が辞任する。山県元帥は喜びが込み上げるのを覚えた。
「ところで、加藤友三郎海相からヴェルダン要塞攻防戦で海軍士官や下士官が大量に失われた現実に鑑み、陸軍から士官、下士官を派遣してほしいとの依頼がなされていますが、どう対処すべきと考えられますか」寺内副首相は山県元帥に尋ねた。
「うん、そんなもの拒否するに決まっておる。まさか、賛成するつもりではあるまいな」山県元帥は反問した。ヴェルダン要塞攻防戦の詳細は海軍から陸軍に伝えられているが、大げさに言えば、海軍から情報が届くたびに参謀本部が震撼する羽目になった。制空権の確保、砲兵戦術の進歩等々、陸軍の遅れが明らかになっているが、かといって、それを実地に学ぶために欧州に陸軍を派遣しては、大損害が目に見えている。少しのつもりで派兵して、ずるずると派兵規模が拡大、気が付けば再起不能なまでの大損害を被った海軍の二の舞は御免だ。一兵たりとも陸軍は欧州に派兵すべきではないと山県元帥は考えていた。
「海軍の要請は拒否すべきだと私も考えますが」寺内副首相はそこで、言葉を切った後におそるおそる言った。
「陸軍航空隊の欧州への派兵は検討の余地があると考えますが、いかがなものでしょうか」
「うん?」山県元帥は首をかしげた。
「このまま行くと、航空機は全て海軍が持ってはどうかと言う意見が多くの新聞で出ているのです。しかも、政友会内部を中心に衆議院議員の間にも」寺内副首相は続けた。
「どうして、そうなる」山県元帥の声に少し怒りが籠った。
「海軍航空隊が100機を超える規模を誇り、しかも英仏の最新鋭機を保有しているのに対し、陸軍航空隊はその1割以下の規模で、保有機も旧式機ばかりです。陸軍が航空隊を保有するつもりがそんなに無いのなら、海軍が統合して航空隊を保有した方が、予算効率上良いのではないかと」
「そんなことが許せるか」山県元帥は怒った。欧州の最新の戦訓を読む限り、陸軍が航空隊を保有することは必要不可欠だ。
「かといって、事実は事実です。陸軍航空隊は海軍航空隊と比較して規模が小さく、保有機も旧式機ばかりで、海軍航空隊のように最新鋭機を揃えることはできません」寺内副首相は言外に意を含ませた。山県元帥はさすがに寺内副首相の内意を察した。
「陸軍航空隊を急速に拡大し、最新鋭機を揃えるには、海軍と同様に欧州に派兵する必要があるということか」山県元帥は口に出した。確かに否定できない。海軍航空隊が規模を急速に質量ともに拡大したのは、英仏の支援があったからだ。陸軍航空隊も同様の手段を講ずるというのは確かに一考の余地がある。それに航空隊だけなら、そんなに派兵人員も拡大しないだろう。
「良かろう。陸軍航空隊の派兵を検討したまえ」山県元帥は言った。
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