第3章ー16
ヴォー堡塁死守のために自らヴォー堡塁に赴いてから、鈴木貫太郎少将はあらためて思うことがあった。
自ら半分言いだしたことだが、ここが長篠城と名付けられたとはいえ、かつての長篠城とは完全に違うことがある。
それは戦場の臭いだ。
そう自分が体験した旅順要塞攻防戦とも臭いが違う。
戦場の臭いを本格的に初めて自分が嗅いだのは旅順要塞攻防戦だが、そこでは血の臭い、戦場で飛び散った肉片による臭い、火薬の臭いが入り混じった独特の臭いがしていた。
林忠崇元帥が、その臭いのことをこれこそ戦場の臭い、戊辰で、西南で、日清で自分が何度も嗅いできた臭いだと言ったのを思い出す。
悪臭だが、自分の血が湧きたつ思いに何故か駆られる臭いだった。
長篠城攻防戦でも鉄砲があったので、同様に火薬の臭いが入り混じった独特の臭いがしていただろう、と自分は思う。
だが、ここの臭いは違う。
ここヴォー堡塁に立ちこめる戦場の臭いは違った。
ホスゲンや塩素といった毒ガスが戦場に投入された結果、独特の塩素臭が混じった臭いがしているのだ。
自分に備わった軍人としての何かが、これは許されない臭いだと自分にささやく。
自分が戦場で経験したきたことから、この臭いを自分は許すことが出来ない。
鈴木少将はあらためて自分に誓って、ヴォー堡塁の死守を決意した。
実は独軍航空隊が少数機の常時対空哨戒を止められないのは、毒ガス戦の影響も多分にあった。
大量の砲撃をヴォー堡塁を始めとするヴェルダン要塞全体に独軍が浴びせかけた結果、砲撃の目標となる地形物がほぼ消滅するという副作用が生じていたのだ。
そのため地上部隊は哨戒機による地上観測状態が確保されないと歩兵部隊を前進させたり、砲兵による大量支援砲撃を行ったりすることを拒むようになっていた。
そうしないと自軍に毒ガス弾を浴びせかけるという悪夢が産まれかねない。
実際に、航空観測無くして毒ガス弾の砲撃を行った結果、誤射の末に独軍1個連隊が自軍の毒ガス弾の砲撃で消し飛んでいた。
まさか、自分の頭の上に味方の毒ガス弾が降り注ぐとは思っていなかったのだ。
そのために数人の犠牲は当然とばかりに少数機の常時対空哨戒を独軍は止めようとしなかった。
対空哨戒を止めると地上部隊から俺たちを殺す気か、と猛反発が起こるのだ。
後々の話だが、地上部隊と航空部隊の対立がこのことから独軍に産まれることになる。
(最も英仏側も似たような話を地上部隊と航空部隊の間で引き起こしているのだが)
完全に破壊された地上物の残骸の合間を縫って、ヴォー堡塁を奪取しようと独軍の歩兵は匍匐前進した。
だがその前進は地獄への片道切符になりつつあった。
空き缶を活用した鳴子を活用したり、塹壕によって前進を阻んだり、それによって独軍歩兵が止まった所に海兵隊は猛射を浴びせて、独軍歩兵に死傷者を続出させる。
特に狙い撃ちにされたのは火炎放射兵だった。
日本海軍航空隊まで第一地上目標に指定した。
「おい、全員殺せ」
大西瀧治郎中尉は物騒なことを言う。
草鹿龍之介中尉も似たようなことは思ったが、さすがに口には出せなかった。
偵察任務の途中だが自衛のために機銃弾はそれなりにある。
自分の腕なら可能だろう。
大西中尉は愛機を対空砲火回避の運動に入らせた。
草鹿中尉は振り回されながら狙撃に専念する。
視界に入っていた火炎放射器を背負った兵を草鹿中尉は全滅させた。
「よくやった」
大西中尉は顔をほころばせた。
草鹿中尉もほっとした。
ヴォー堡塁防衛の助けが出来た。
だが、ヴォー堡塁防衛の戦いはまだまだ続く。
草鹿中尉は気を引き締めた。
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