第3章ー11
6月1日を期して、鈴木貫太郎少将率いる第3海兵師団はヴェルダン要塞救援に赴いた。
拡大再編制を完結した海軍航空隊がそれを支援する。
海軍航空隊を率いる山下源太郎中将の内心は忸怩たるものがあった。
海軍航空隊の機種選定等に時間がかからねば、何とか5月初めに海軍航空隊の救援が間に合ったのではないか、という思いが拭えないのだ。
そうすれば第1海兵師団と第2海兵師団はもう少し耐えられたのではないだろうか、言っても詮無いことと割り切れればいいのだが、第1、第2両海兵師団の人員の3割以上が戦死又は完全に除隊しないといけないという重傷を負ったとあっては、そう割り切れるものではない。
特にここ10年以内に海軍兵学校を卒業した士官の1割近くが失われたというのは衝撃だった。
海軍省では商船学校等を卒業した海軍予備員、つまり予備士官や予備下士官の動員準備に取り掛かったという。本来の海軍士官や下士官を海兵隊に転属させ、それによって空いた本来の海軍士官や海軍下士官の穴を海軍予備員で埋めようというのだ。
このままでは予算が確保できても人員の問題から海軍の拡張が困難になってしまう。
山下中将は悪夢を見るような思いがしていた。
しかもヴェルダン要塞攻防戦はまだ終結の目途が立たないのだ。
一方、海軍航空隊の現場は意外と表情が明るかった。
現場の意見を取り入れた機種が最終的に選定されたからだ。
戦闘機はニューポール17、偵察機と爆撃機は機種統合されソッピース・ストラッターが採用された。
英仏それぞれから採用するということに一部の者から反対意見も出たが、双方にいい顔をしないといけないという事情もあり、このようになった。
そして、機種ごとに航空隊を編制することになった。
つまり戦闘機隊と偵察・爆撃機隊の2種類に分けるということである。
それぞれが約60機ずつを保有するという当時としては大航空隊である。
(航空隊の規模としてはということ、英独仏の保有機数はそれぞれ各1国だけでも日本の軽く10倍以上はあったが、広大な戦線にばらまかないといけないという事情があることから、1個航空隊の規模としては10機から20機程度に止まっていた)
日本の場合、海軍航空隊が結果的に海兵隊支援に特化していることが、このような状況を生み出せていた。
「これだけまとめて、独軍航空隊に殴り込みをかけられるのなら、負ける気がしない」
鼻息荒く大西瀧治郎中尉は大言壮語したが、却ってそれが悪い方向に働き、大西中尉は偵察・爆撃機隊に所属する羽目になった。
下手に大西中尉を戦闘機隊に回すと、勝手に暴れそうだと敬遠されたのである。
戦闘機隊は英仏の戦訓を検討した結果、日本海軍航空隊の練度はまだまだ低いとして、2機1組、更にもう1組同士が共闘するという最低4機単位の編隊戦闘を基本とすることになっていたからだ。
単機で暴れられると編隊戦闘が出来ない。
そして、草鹿龍之介中尉はそのとばっちりを食った。
大西中尉の強い要望で、引き続き一緒に組んで飛行する羽目になったのだ。
当然、草鹿中尉は偵察員になる。
今度こそ、戦闘機乗りに、せめて偵察・爆撃機の操縦員にと希望していた草鹿中尉としてみれば、大西中尉の要望に恨み言を言いたくなったが、下手に相手に聞こえると何か文句があるのか、と大西中尉に鉄拳制裁を食らいそうである。
恨み言は腹の中に押し込んで草鹿中尉は我慢することにした。
草鹿中尉の内心を忖度せずに大西中尉は笑って言った。
「草鹿、敵戦闘機をどんどん撃ち落としてくれよ」
「できればいいですね」
草鹿中尉は笑顔で答えたが、内心は勘弁してくれと思った。
大西中尉は単独偵察に喜んでいきそうだ。
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