第3章ー10
だが、海兵隊の死傷者は増す一方だった。
総司令官の林忠崇元帥は6月になる前にヴェルダンが海兵隊の塚と化すことさえも考慮せざるを得ない状況になった。
林元帥はやせ我慢を続けるつもりだったが、後輩の方が気を利かせた。
「先輩、一時、ヴェルダン要塞から全海兵隊を後退させてください。
第3海兵師団の前線投入が可能になり次第、第3海兵師団と日本海軍航空隊を投入してくだされば構いませんから」
5月20日、ペタン将軍は林元帥をねぎらっていた。
終に海兵隊の半数以上が死傷してしまった。
このまま行くと海兵隊の再編制自体が不可能になりかねないとペタン将軍は見立てていた。
完全に組織が崩壊した後に、組織を新しく編制するよりも、既存の組織を立て直す方が容易である。
今ならまだ何とか組織を立て直せるだろう。
林元帥が、不可能でも断行する、と獅子吼する前に止めないといけない、とペタン将軍は考えた。
日本なら部隊が足りない以上、全滅するまで戦う必要があるが、英仏独のような国なら部隊を交代させて最前線に投入するのが当然だ。
日本単独でヴェルダン要塞で戦っているのでない以上、日本も我が国と同様に戦えばよいのだ。
ペタン将軍の言葉は頭に血が上っていた林元帥に冷静さを取り戻させた。
「済まんな。気を遣わせてしまったようだ」
林元帥は頭を下げた。
「いえ、我々は心から感謝しています。
海兵隊の奮戦のお蔭で、ヴォー堡塁は死守できるめどがたちつつあります。
援軍の身でここまで戦っていただけるとは。
ナポレオン1世と共に戦ったポニャトフスキー元帥率いるポーランド軍に日本の海兵隊は決して見劣りしません。
いや、それよりも優れていると断言します」
「これは過分なお言葉だ」
ペタン将軍の言葉に、思わず林元帥は顔をほころばせた。
考えてみれば、笑うのは久々だ、周囲からも笑顔が消えて久しい。
我々は余裕を完全に失っていたようだ。
林元帥は自省した。
「それでは、一両日中に仏軍と交代して、我々は後方に下がらせてもらおう」
林元帥はペタン将軍に言った。
「再編制が完了して、海兵師団が完全編制になって戦える日を我々仏軍の将帥はお待ちします」
ペタン将軍は先輩に敬意を表して敬礼した。
林元帥も答礼した。
海兵隊2個師団の交代が決まった瞬間だった。
大田中尉はげっそりと頬がこけた状態で、ヴェルダン要塞から後退していた。
50名いた部下の内で戦闘可能な兵は20名に満たない。
自分自身もホスゲンを微量ながら吸ったらしく、軽い肺水腫になっていた。
命があっただけ良かったと思わねばならない。
他の部隊もほぼ同様の状態だった。
海兵隊の7割近くが1月経たない内に死傷したのだ。
ヴェルダン要塞防衛に死力を尽くした結果だが、ここまで死傷者が出るとは思わなかった。
そして、と大田中尉は思いを巡らせた。
同期生10人以上がヴェルダンの地に眠ることになった。
余りの激戦に遺体を回収する余裕等、とても無かったのだ。
ガリポリ半島での戦いが軽い戦闘だったようにさえ自分には思える。
兵の1人が思わず望郷の歌をくちずさんだ。
すると他の兵もくちずさみだした。
下士官も止めようとせずにくちずさみだす。
気が付くと自分もくちずさんでいた。
故郷の山河が懐かしい、そして、日本が懐かしい、あの美しい祖国に生きて帰りたいものだ、大田中尉は歌をくちずさみながら思った。
国分中隊長が止めに来るのではないか、と心の片隅で思ったが、中隊長も止めに来ない。
国分中隊長も同感なのだろう。
いや、あの国分中隊長のことだ。
望郷の歌を一緒にくちずさんでいるのかもしれない。
大田中尉は思いを巡らせながら、ヴェルダンを一時離れた。
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