第2章ー29
場面が変わります。海軍航空隊が主人公です。
少しずつ日本海兵隊と海軍航空隊は撤退の準備を進めたが、英仏両軍との関係もある以上、自分だけお先にというわけにはいかない。
そして、セルビア失陥の影響は、まず空に表れた。
「あの航空機は」
草鹿龍之介少尉は、それ以上、言葉を続けることが出来なかった。
操縦員の大西瀧治郎中尉が緊急回避行動を執ったのだ。
「しゃべる間があったら、発砲しろ」
大西中尉はそれだけ言うと操縦に専念する。
そうだ、偵察員の自分が射撃するしかない。
そして、仇を討つのだ。
草鹿少尉は敵機に狙いを定めて、射撃の準備をした。
その数日前、英軍からの情報に海軍航空隊は騒然となった。
西部戦線で猛威を振るっているフォッカーE1戦闘機が目撃されたというのである。
「フォッカーのたたり」とまで言われている脅威のドイツ戦闘機だった。
西部戦線に優先的に回されているためか、単なるパフォーマンスなのか、1機か2機だけしかいないようだが、海軍航空隊の保有するショート水上機では、はっきりいって射的の的にされてしまうだろう。
困ったことに山本五十六大尉まで腸チフスにやられて入院している。
残ったメンバーで対策を協議した末、2機1組で飛行して相互に援護するということになったが、昨日、宇垣纏中尉と青木泰二郎少尉が乗った水上機が早速、フォッカーに撃墜されてしまった。
それに怒った大西中尉が草鹿少尉を引っ張り出し、自らを敢えて単独の囮としてフォッカーを誘き出したのである。
プロペラ同調装置を持つフォッカー相手に旋回式機関銃しかないショート水上機で勝てると草鹿少尉には思えなかったが、そんなことを出撃前に大西中尉に言ったら、鉄拳制裁どころか、日本刀で斬られそうだったので、黙って一緒に飛ぶしかなかった。
日本刀の居合だ、その極意で射撃するのだ。
草鹿少尉は腹を据えて敵機を睨み据えた。
敵機はこちらが射撃を始めないので、機関銃が撃てないと思ったのか、草鹿少尉の間合いに近づきながら、射撃を開始してきた。
「おい、いい加減に撃て」
敵機が接近してくるのに気づいた大西中尉は気が気でなくなったのか、草鹿少尉に催促してくる。
「まだ待ってください。今、お互いに撃っても当たるものではありません」
「しかし、敵機は撃ってるぞ。流れ弾が当たるかもしれんだろうが」
「確かに」
草鹿少尉は少し迷ったが、自分の勘を信じることにした。
まだだ、まだ、今だ。
草鹿少尉は射撃を開始した。
最初の一連射で、運良く操縦士に当たったらしい。
敵機はすぐに墜落を始めた。
「やったな」
大西中尉は顔をほころばせた。
草鹿少尉はほっとした。
大西中尉たちは基地に帰ることにした。
数日後、山本大尉が一命を取り留めて、病院から復帰してきた。
フォッカーの一件を聞いた山本大尉は沈痛な表情を浮かべて、ぽつんと言った。
「そうか、宇垣と青木が」
これまで戦病死者はいたが、欧州派遣の海軍航空隊で戦死者は初だった。
もし、腸チフスに自分がやられていなかったら、宇垣と一緒に自分が死んだかもしれない。
「2人の遺体は」
「トルコ軍の陣地に落ちましたし、激しく炎上するのを見届けましたので、回収するのは無理かと」
宇垣中尉らと一緒に飛んでいた吉良俊一中尉が、山本大尉の問いかけに重い口を開いた。
「仇は討ちました」
大西中尉が報告する。
無理して明るく言っているようだ、と山本大尉は思った。
それをせめてもの慰めとしよう。
これからは、そういうことが続くだろう。
そして、いつか無感動になってしまうのではないか、それは良いことなのだろうか、悪いことなのだろうか、山本大尉は思わず自問自答した。
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