第2章ー23
8月7日朝、ムスタファ・ケマルは、今や日本海兵隊とANZAC軍団の猛攻をひたすら迎え撃つ羽目になっていた。
共に戦っているはずの第7師団、第12師団の両司令部からの連絡は昨日から完全に途絶えている。
ガリポリ半島防衛の総指揮を執るドイツ陸軍使節団長、ザンデルス将軍はそのような状況から、第19師団長のケマルを第7、第12、第19の3個師団を統括する臨時編成の軍団長に任命して、何としても海兵隊とANZAC軍団の猛攻を食い止めるように死守命令を発した。
何とか連絡の取れる第7、第12師団の残存部隊と本来の指揮下にある第19師団の部隊とを協働させて防衛線を死守しようとケマルは懸命に努めるが、海兵隊とANZAC軍団の猛攻はお互いに競い合うように激しいものとなっている。
「今なら兵を救えます。
ヘレス岬方面にいる8個師団の脱出を許可してください」
8月7日の昼、ケマルはザンデルス将軍に8個師団を脱出させる許可を求めた。
本来のトルコ軍の2割に当たる貴重な兵力だ。
このまま行くと8個師団は敵中に孤立してしまう。
本来、トルコ軍の最高指揮を執るのはエンヴェル将軍なのだが、あの無能なエンヴェル将軍に許可を求めても無駄だとケマルは考えている。
8個師団に対して現在地を死守させ、ガリポリ半島に救援軍を派遣して、救援軍と8個師団により、海兵隊とANZAC軍団を逆包囲殲滅するという妄想作戦をエンヴェル将軍が考え、それを遂行するようにという命令が自分達や8個師団に下るのがオチだ。
かといって、ヘレス岬方面の8個師団に自分の指揮権は及ばない。
ケマルにとって唯一の頼みの綱がザンデルス将軍だった。
ザンデルス将軍なら8個師団に脱出命令を下せる。
「ケマル、もう望みはないのか」
ザンデルス将軍もかなりの衝撃を受けているのだろう。
声に力が無い。
ガリポリ半島の戦況は急激にトルコ軍にとって悪化している。
2日前の戦況が嘘のようだった。
「望みはありません」
ケマルは目元が潤むのを覚えながら答えた。
「土地は失っても、兵を失うわけには行きません。
兵を救わせてください。
私が銃殺されても構いませんから、どうか脱出の許可を」
「エンヴェル将軍の許可を求めるべきではないのか」
ザンデルス将軍が尋ねてくる。
「許可が出るとお思いですか?
救援軍の到着まで現陣地を死守せよ、その命令が出るに決まっています」
ケマルは答えた。
「私では脱出許可が8個師団に与えられません。
ザンデルス将軍に依頼するしかないのです」
ケマルは懸命に訴えた。
ザンデルス将軍の回答までの時間がケマルには何時間もかかったように思われた。
実際には10分ほどだったと後でケマルは気づいた。
「8個師団の脱出を許可し、今、その命令書に署名した。
8個師団が脱出するまでガリポリ半島の付根を死守してくれ」
ザンデルス将軍はケマルに命令を下した。
「分かりました。私の軍人の名誉にかけて死守します」
ケマルは力強く答えた。
「さて、これまでの人生最良の日をゆっくりと楽しませてもらうか」
ケマルは諧謔に満ちた声を挙げた。
手元にある兵力は本来3個師団だが、実質的には1個師団余りに戦力が今や低下している。
それで日・ANZAC併せて4個師団の猛攻をしのがねばならない。
だが、望みがない訳ではない。
8個師団が脱出するまででよいのだ。
そうすれば後退してもよいのだ。
それまで生き延びてみせる。
「我々も喜んで楽しませてもらいますよ」
傍にいた第19師団の幕僚たちも競うように声を挙げた。
「では、共に楽しもう」
ケマルは言った。
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