第2章ー5
林忠崇元帥は、1915年6月にはガリポリ半島に日本の海兵隊は赴けると考えたし、大佐クラス以上の幹部の面々も同様に考えたが、実際には思うようにいかなかった。
第一次世界大戦後に史上空前の上陸作戦と謳われることになるガリポリ上陸作戦(最もその称号も第二次世界大戦によって別の上陸作戦のために奪われてしまうのだが)は、参加を決めた日本の海兵隊にすぐに様々な試練を与えることになった。
特にその試練は現場に強烈に与えられた。
大田実少尉は目の前の船にまごついていた。
初めて見る形式の船だった。
困ったことにその船に関する説明書は英語しかない。
英語なら下士官兵も読めるはずと思うが、士官の誇りと言うものがある。
それに下士官兵の英語は、半年以上の特訓を経たとはいえ、怪しい英語を操るレベルの者が多い。
まずは自分が説明書を理解してから部下に船の使用法を説明すべきだった。
だが、初めて見る形式の船とあっては、説明書の英語を完全に理解して自分が説明しているのか、不安を覚えるのも事実だった。
幸いなことに大隊長の永野修身少佐が率先してその船の説明をしてくれたので、大田少尉は内心で安堵することができた。
「英軍ではXライターと呼んでいるそうだ。
上陸作戦用に特別に開発された船だ。
これまでは上陸作戦と言えば、輸送船で敵国の海岸線の近くまで移動して、そこからはカッターや艀を利用して上陸作戦を展開していたが、今回のガリポリ上陸作戦ではそのような方法ではうまく行かないと考えられたことから、開発、実用化された。
もっとも本当は別の上陸作戦、バルト海上陸作戦のために開発、実用化されたというのが本当らしいが、そういうことは詳しく聞かなくても大丈夫だろう。
ともかくこの船を利用して上陸作戦を行う。
エンジンが付いているからこの船は自走できる。
便利になったものだな」
永野少佐の声は、内心で讃嘆する響きを帯びていた。
大田少尉も同感だった。
これまでのカッターや艀は人力で移動するか、他の船に牽引してもらう必要があった。
つまり、兵が上陸するまでに乗船している兵は疲れてしまうことが多いし、疲れないまでも移動速度が遅いものだった。
このXライターの速度は海が荒れているかどうか等にも左右されるだろうから、これまでのカッターや艀より絶対に速いとは言い切れないが、人力で移動する等の必要が無い以上、上陸するまでの兵の疲労等が格段に違うはずだった。
兵の上陸も速やかにできるように配慮がされている。
日本の海兵隊もこういった舟艇を速やかに保有すべきだと大田少尉は思った。
永野少佐は他にもこの船について説明をしてくれた。
舟艇用エンジンに予め慣れた下士官兵がほとんどいないのは不安だが、そこは自習して補うしかない。
大田少尉は覚悟を固めて部下の下士官兵と共に船の運用方法の習得に取り掛かることになった。
「どうだ。6月にはガリポリ半島に援軍として我が海兵隊は上陸できそうか」
林元帥は参謀長の黒井少将に尋ねた。
黒井少将は少し渋い顔をした。
「申し上げにくいのですが、8月まで延期すべきです。
舟艇の運用方法を完全に習得するのにそれくらいは覚悟する必要があります。
何しろ海兵隊の兵は舟艇の運用法はともかく、エンジンの運用法に不慣れです」
「仕方ない話か」
林元帥は逸る気持ちを鎮められて、少し落ち込んだ。
「その代り、我が海軍の海鷲が8月になればここまで実戦に参加するために来てくれます。
それを待ちましょう」
「うむ。海軍航空隊がここまで来てくれるとは思わなかった」
林元帥は気を取り直した。
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