幕間-5
対外的には事実上孤立無援となった中国の袁政権だが、それでも粘れる限り日本の14か条受け入れに対しては粘った。
北京において対中交渉の窓口になっている日置公使に対して、期限を切った最後通牒を突きつけられない限り、14か条受け入れについては日本と交渉を続けたいという有様だった。
更に14か条受け入れと引き換えに袁世凱の皇帝就任を日本が支援することも求めた。
気が付けば、1915年4月も終わろうとしていた。
「どうする、本当に期限を切った最後通牒を袁政権に突きつけるか」
閣議の席で、山本首相は閣僚に諮問した。
これ以上、交渉を続けても無意味だろう、最後通牒を突きつけるしかないという意思を言外に秘めている。
寺内正毅副総理兼陸相以下の面々は最後通牒案に反対だった。
万が一、最後通牒が袁政権に拒絶された場合に、本当に対中全面戦争に突入するというのは、この大戦中は無謀だというのが寺内副総理兼陸相以下の面々の意見だった。
一方、牧野伸顕外相や斎藤実海相以下の面々は最後通牒案に賛成した。
特に斎藤海相は最後通牒を突きつけるように強硬に主張した。
「袁政権は国内事情から最後通牒を突きつけられることを求めているのです。日本から最後通牒を突きつけられたので、止む無く14か条を受け入れた、こういう形を袁政権は採りたいのです。この際、本当に期限を切った最後通牒を袁政権に突きつけましょう」
斎藤海相は主張した。
斎藤海相の背後には軍令部第4部の諜報分析があった。
袁政権は対日戦争準備を全く進めようとしていない、裏返せば、日本と戦争をする決意が全くないのだ。
それなのに最後通牒云々と言っている。
つまり、これは国内向けの姿勢に過ぎない。
日本が袁政権に最後通牒を突きつけたら、袁政権は14か条を受諾するに違いない。
軍令部第4部はそう分析しており、斎藤海相もその分析を信用したことから、強硬論を吐いていた。
両者の意見は平行線をたどり、最終的に山本首相の決断を仰ぐことになった。
ちなみに元老は山本内閣の決断に任せる、と全員一致で言ってきている。
衆議院でも、最後通牒止む無しの意見を言う議員が増えている。
「よし、5月1日を期して、5月10日までに14か条を全面受諾するか、拒否して対日全面戦争かの最後通牒を袁政権に突きつける」
山本首相はついに決断した。
5月9日、袁政権は対日14か条要求を全面受諾する旨の声明を終に国の内外に出した。
それと同時にこの日を「国恥記念日」と制定した。
袁政権は、孫文らの革命勢力が袁政権に非協力的であり、日本に味方したために国の恥を受け入れる羽目になったと声明した。
孫文らの革命勢力は、逆に袁政権が真の中国人民を裏切って対日14か条要求を受け入れたと非難した。
袁政権と孫文らの革命勢力はお互いに自分達こそが真の愛国者だと主張し合った。
「これで良かったのかね」
山本首相は斎藤海相に尋ねた。
最後通牒を突きつけたうえで14か条要求を受諾させたことにより、日中友好は当分の間は不可能になった。
日中は当分の間はお互いに敵対視することが決定的になったのだ。
そして、日本海軍分けても海兵隊は、日本国内でも対中強硬論者の汚名を被ることになった。
斎藤海相は毅然としていった。
「サムライは愛されるよりも懼れられる存在であるべきと、大先達の本多、林両提督に指導されてきています。私は汚名を悦んで被りましょう」
「そこまでの覚悟があるのなら良かろう」
山本首相は言った。
事実、海兵隊はこの後、長く対中強硬論者の汚名を被ることになるが、海兵隊の歴代トップは甘んじて受けるのをむしろ誉れとしたという。
これで幕間は終わりです。次話から第2章ーガリポリ作戦になります。
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