第1章ー19
林忠崇元帥が山本権兵衛首相に言った通り、9月末から海兵隊は英仏救援のために日本から順次、出発していった。
独東洋艦隊の主力が、ポリネシアに現れたとの情報を受け、独東洋艦隊はマゼラン海峡を経由して本国に帰還を図ろうとしていると推測し、日本海軍本体は主力をもって独東洋艦隊の追撃に掛かることになり、海兵隊は欧州に赴くことになった。
(なお、独東洋艦隊に所属していた巡洋艦「エムデン」は独東洋艦隊主力と分離して、インド洋で通称破壊戦に奮闘し、独東洋艦隊の意地を示した果てに圧倒的な英海軍の前に散華して武人の本懐を果たした。
ちなみに一時、「エムデン」がインド洋航海中の海兵隊の輸送艦を襲撃するのでは、と心配されたが、インド洋航海中の海兵隊の輸送艦の護衛は日本海軍の任務外であるとして、日本海軍本体は海兵隊の輸送艦の護衛任務を拒否した。
そのために、海兵隊の幹部は日本海軍が護衛してくれない以上、海兵隊の輸送艦が「エムデン」に襲われても仕方がないと達観せざるを得なかったという。
このことで、海軍本体は日本の新聞に散々、叩かれることになり、後に日本海軍は欧州に護衛艦隊を派遣することになる)
12月後半に海兵隊は主にフランス南部のトゥーロン港等に上陸して、そこに準備されていた野砲等の装備を受け取って前線に出る準備を整えていくことになった。
「説明書がフランス語でかなわんな。英語ならよかったのに」
「分隊長は、英語なら分かるのですか」
「単語の意味について推測はできる」
部下の会話が耳に入ってくる。
部下の下にも入手された装備についての説明書が一応は配られたが、その説明書がフランス語で書かれているので、大田実少尉の部下全員にとっては、猫に小判もいいところの代物に説明書はなっている。
大田少尉は、渡された装備についていたフランス語の説明書の内容を理解して、部下に説明しようと懸命になった。
月月火水木金金、休みなしに1日10時間以上、海兵隊の欧州派兵が内示されて以来、3月近くの間、英語を勉強し直して、フランス語も勉強したのだ。
何とかフランス語の単語の意味は大雑把にとれるようにはなった。
だからといって、兵器は兵器である、
おそらくこういう意味だろうで扱うわけには行かない。
大田少尉はこの寒空の下、汗が背中に滲む思いがした。
まずは英語(何しろ、フランス語を教えられる人材よりも英語を教えられる人材の方が海軍内では圧倒的に多い以上、英語教育優先は止むを得ない。)から、ということで、下士官兵には英語が教えられた。
フランス語教育がなされたのは士官だけだ。
大田少尉は四苦八苦しながら、フランス語の説明書の意味を取り、部下の下士官兵に装備の取り扱い方法を指導する羽目になった。
最も苦労しているのは、大田少尉だけではない。
士官のほぼ全員が大田少尉と同様に苦労している。
代金負担は英仏両政府がほぼ行ってくれたので、日本は装備をタダ同然で入手することが出来た。
だから、文句を言ってはいけないのだが、装備の説明書がフランス語しかないと言うのは多くの士官にとって悪戦苦闘を強いられるものだった。
大田少尉は敢えて明るく物事を見ようと努めた。
砲兵士官ならもっと苦労していたはずだ。
砲兵士官はもっと苦労している。
自分は海兵科(陸軍で言うところの歩兵科)だから、まだ楽なのだ。
大田はそう考えて、懸命に自分を鼓舞しながら、部下を指導した。
やはり、自分たちが前線に行くのには装備に熟練する時間を考えると3月は掛かりそうだ、大田少尉はそう思わざるを得なかった。
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