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第4章ー10

「短時間で砲声が止んだか。戦術的奇襲を策しているな」欧州派遣軍参謀長から第2海兵師団長に転じた黒井悌次郎中将は独り言を言った。10月24日朝、天候は秋雨が小雨とはいえ降っており、霧も出ている。味方の航空支援は困難な状況だ。だからといって、独墺軍め、そう容易に海兵隊の戦線が抜けると思ってもらっては困る。

「最前線からの報告はどうか」

「最悪です。新型のガス弾に、ガス弾使用の際の新戦術、英仏の協力で目まで覆える新型ガスマスクに切り替えていたので被害は局限できましたが、それでも毒ガス被害が出ています」

「あのマスタードガス使用に加え、くしゃみガスとホスゲンの組み合わせという新戦術か」黒井中将は舌打ちするような思いに囚われた。地獄のようなヴェルダン要塞攻防戦後に独軍が編み出した毒ガスの新たな使用方法だ。英仏の物資供与がある海兵隊なので、被害局限に成功しているが、伊軍は大混乱に陥っているのではないか。いや、林元帥を侮辱した伊軍にとってはいい薬だ。

「いいな、各中隊に対して、上級司令部からの指示が途絶えても落ち着いて対処し、じりじりと最善を尽くして後退するようにあらためて指示を出すように隷下の各連隊に命令を下せ。師団司令部は護衛中隊と共にゆっくりと後退する」

「分かりました」第2海兵師団司令部の要員がそれぞれ動き出した。浸透戦術の肝は、司令部を潰すことで隷下の部隊を混乱に陥らせることだ。だが、司令部を潰そうと先鋒部隊を無闇に前進させることは、ろくな無線通信技術の無い現状では、精鋭で編制された先鋒部隊が逆に孤立、腹背から攻撃を食らって殲滅されるという危険を冒すことにもなる。海兵隊がいかに精鋭か、ということを独墺軍は思い知らされることになるだろう。


 牛島満中尉は、悪夢を見るような思いに駆られていた。これが欧州での毒ガス使用の現実か。辛子のような微かな臭いを感じた瞬間、部下の分隊長の1人が毒ガスマスクを付けろ、と叫んだ。自分も慌ててガスマスクを着用する。ほんのわずかな時間で着用したはずなのに、目に刺すような痛みが走った。マスタードガスだ、こいつは厄介だ。皮膚もやられてしまう。砲声が完全に止んだら、この陣地を捨てるべきだろう。マスタードガスは空気より重く、側溝や砲弾穴に何日も滞留するという情報があった。毒ガス被害を少しでも局限するには陣地を捨てて後退するのが最善だ。中隊長の山下奉文大尉も同様に考えているだろうか。

 山下大尉は、部下の小隊長の中で一番欧州での実戦経験豊富な大田実中尉を呼び寄せた。

「わしの傍で、助言してくれ」

「分かりました」山下大尉の言葉に大田中尉はすぐに肯いた。

「陣地を捨てて、ゆっくりと後退すべきか」

「悔しいですが、そう考えます。マスタードガスを使われては陣地に籠っていると毒ガスの被害が増すばかりです」

 山下大尉の問いかけに、大田中尉は即答する。

「分かった。各小隊に伝達。我が中隊は後退する」

「大隊長に連絡は?」山下大尉の命令に大田中尉は疑問を覚えた。

「後でいい。大隊長からはそういう指示が出ている」山下大尉は答えた。

「中隊長の判断で独自に抗戦して、ゆっくり後退しろとの有り難い仰せだ。独軍の新戦術、浸透戦術への対処方法を検討する中で前線に下手に固執することは有害無益との結論が出たからな」

 そういえばそういう話が出ていた。この独軍の大攻勢には浸透戦術が使われるというのは半分自明の事柄だった。海兵隊はこの1月余り、その対処方法を検討してきたのだ。

「では、後退を開始しよう」山下大尉は中隊に下命した。

 

 

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