第1章ー1 全ての戦争を終わらせるために
サラエボの街に響き渡る銃声、その銃声が世界を変えます。
6月28日、サラエボの街角で数発の銃声が響いた。
それが第一次世界大戦の始まりとなる銃声であることに気づいた人は、その時の世界中にはほとんどいなかった。
「オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻がサラエボで暗殺されただと。しかも、その背後にはセルビアがいる見込みか。これはえらいことになりそうだな」
土方勇志大佐は、新聞の第一面にサラエボ事件が載っているのを見つけて言った。
だが、内心では、どうせ話し合いで片が付くだろうと思っていた。
幾らなんでも敵対しているとはいえ隣国の皇太子が暗殺されたのだ。
セルビア政府は帝国皇太子の暗殺事件の捜査には全面協力して、自国民が暗殺計画に加担しているのが発覚したら、速やかに暗殺事件の共犯者を帝国に引き渡す等するのが当然だろう。
そして、帝国は、それを受け入れて一件落着、暗殺事件の共犯者は全員処刑されておしまい、という結論になると、土方大佐は考えた。
周囲の反応も大同小異だった。
サラエボ事件の第一報は当時の日本人にその程度の印象しか概ね与えておらず、世界大戦につながる等、ほとんどの日本人が考えもしなかったのだ。
だが、世界は思わぬ方向に動くことになる。
「全くオーストリア=ハンガリー帝国の政治的挑発もここまで来ると見事としか言いようがないな」
「馬鹿なことを言うのは止めてください。単なる偶然が重なっているのに決まっているでしょう。それから、今回の事で欧州全土が戦乱の嵐になるかもしれないので、軍令部第4部は気が抜けないのですよ」
「ここまで重なっているのを偶然だと言い張るのは、わしにはできん芸当だな」
林忠崇元帥は笑った。
その一見する限りでは屈託のない林元帥の笑顔を見た吉松茂太郎軍令部第4部長は、それ以上林元帥を注意する気が急に失せてしまった。
吉松部長は思わずため息を吐いてから、皮肉交じりに言った。
「いきなり、部長室に乗り込んできたのは世間話をするためですか」
「そうではないことくらい分かっておるだろうに。安心しろ、副官は部長室の外に追い出してある」
林元帥は真顔になってから切り出した。
「欧州全土が戦乱の嵐になるかもと言ったな。やはり、その危険があるかもと分析しているのか」
「おっしゃるとおりです。欧州全土が戦乱の嵐になる危険性があるかもしれないと第4部長として申し上げます」
吉松部長も真顔になった。
軍令部第4部は軍令部情報担当として知られている部局である。
日清・日露戦争の経験と反省を経たことから、かつての軍令部海兵局の諜報担当課と軍令部の海軍本体の諜報担当部が統合されて、軍令部第4部として現在では再編制されている。
また、日清戦争等の経緯から、陸軍参謀本部や外務省との情報交換も活発に行っている。
陸軍参謀本部と外務省の直接の情報交換が余りされていないこともあり、両方と情報交換をしている軍令部第4部は日本国内では最高の情報部と陸軍からも外務省からも一目置かれている。
その情報分析を確認するために、7月24日に林元帥は吉松第4部長を訪ねたのだった。
「セルビアはそう簡単にはオーストリア=ハンガリー帝国の最後通牒を受け入れないでしょう。帝国の最後通牒の内容はまだ掴めませんが、セルビアが受け入れられない内容なら戦争になるのは間違いありません。そして、帝国がセルビアに宣戦布告すれば、露がセルビアに味方し、独が帝国に味方して戦争になります。そして、その戦争は英仏を必然的に巻き込み大戦争になります」
吉松部長は断言した。
「日清戦争の際に東学党の反乱時期をぴたりと当てた吉松部長がそこまで言うのなら間違いないな」
林元帥は天を仰いだ。
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