第4章ー2
ちょっと横道にそれます。
1917年の春、日本の遣欧艦隊司令部はマルタ島ヴァレッタに置かれていた。装甲巡洋艦「日進」を旗艦として遣欧艦隊は地中海に派遣されたものの対潜作戦を執り行うには、軍艦で指揮を執るより、陸上で指揮を執る方が望ましいとして、そのような措置が取られた。同地に置かれた英地中海艦隊司令部と連携して協働で対潜作戦を展開することになる。日本の最新鋭二等駆逐艦樺型24隻、桃型12隻を主力とする遣欧艦隊は日本にとって切り札とも言える対潜作戦用の艦隊だった。だが、実態はそれとは程遠かった。
「全く日夜交替で潜水艦を目視捜索するのは疲れる。潜水艦を追いかけるのに、他に良い手段はないものだろうか」田中頼三中尉はたまたま休暇が一緒になった同期の木村昌福中尉を誘って、ヴァレッタの酒場でジンを呑みながら愚痴った。
「今のところ、他に手段がない以上は仕方ない」木村中尉は達観したような表情を浮かべながら、ジンをストレートで美味しそうに呑んだ。
「それに師匠が特別な便宜を図ってくれるらしいぞ」
「何」田中中尉は顔色を変えて、詰め寄った。
「うちの艦長の堀悌吉少佐が、もうすぐ本艦は英国に行くことになった。対潜用聴音機を英国が実用化に成功したので、本艦で試験運用してみることになった、と教えてくれた。まだ、英国でも一部の艦が装備しだしたばかりらしい。役に立てばよいが」
「役に立たないと困る。現状では、海中に潜られた潜水艦に手も足も出んのだ」田中中尉は言った。
「一応、潜望鏡等、潜水艦の形跡を見つけては追いかけて、このあたりと爆雷を落としてみるが、まず当たらん。悔しくてたまらんのだ」
「おいおい、潜水艦を沈めるのが目的ではなく、輸送船等を護るのが俺たちの仕事だ。八代六郎司令長官からも訓示があったろうが」
「自分も分かりたいのだ。だが、駆逐艦は敵を沈めて何ぼだろうが」田中中尉は反論した。だめだ、こりゃ、田中も酔ったか、木村中尉は自分も酔いが回った頭の中で思った。
同じ頃、堀少佐は、八代中将から正式に英国出発の命令を受けていた。
「それでは、樺に聴音機を装備して試験運用してまいります」堀少佐は答えた。
「うん、よろしく頼む」八代中将は暖かく答えた。
「速やかに実用化に達してくれんと。本当にあれをやるしかなくなるからな」
「あれはやりたくないですな」堀少佐は答えた。あれ、とは何か。潜水艦の襲撃に現在、駆逐艦は無力に近い。輸送船目がけて走る雷跡に気づくのが、最初の潜水艦警報と言うのが稀ではない。そうなると輸送船を護るために駆逐艦は自らが盾になり、魚雷に当たりに行くしかなくなる。実際には護衛の駆逐艦を避けて、潜水艦は魚雷を撃って来るので、そんなにうまく駆逐艦が盾になれることは稀だが、実際に成功した場合、駆逐艦は爆沈のリスクが高く、全員戦死ということも十二分にある。だが、輸送船を護るためにはやむを得ない。既に大量の戦死者を出している海軍にとって、これ以上の戦死者は減らすのが至上命題なのに、より一層の戦死者を出すことになる駆逐艦を盾とする戦術はやりたくないものだった。
「しかし、試験運用して制式採用して聴音機が全駆逐艦に装備できるようになるのは、早くても秋以降になりますな。幾ら英国と言えど自国を優先するでしょうから」堀少佐は嘆いた。
「それは仕方ない。それまでは目視による監視で何とかして見せるさ」八代中将は笑って答えた。
「ここに来て、海軍の本来の任務を思い出した気がするよ。地中海の歴史は海上護衛の歴史だからな」
「そう言われればそうですな」堀少佐も笑って答えた。
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