私、幸せだよ
そうして、冬が過ぎ、春が巡ってきた。
桜が咲き、私の闘病生活は、いよいよ最終段階に近くなっていた。
猫のハルカ。 そう、実家で飼っている猫。
あなたの名前を付けようとしたけど、あの猫ったら、メスなのよ? で、どんな名前にしようか迷ってたら、その時、お母さんが私を呼んでね、生意気に、一緒に反応するのよ。
最初は「あんたは遥じゃないでしょ!」って言ってたんだけど、ゼンゼン直らないから、あきらめちゃった。だから、あの猫の名前はハルカ。私は漢字の遥、猫はカタカナでハルカ。ちゃんと呼び分けてね? 私も、ハルカも鋭いから、きっと聞き分けてあげられる。
私がいなくなっても、ちゃんと呼び分けてね。
で、お母さんとも相談した事だけど、私が居なくなったら、私の代わりだと思って、ハルカの世話をしてね、そうすれば、きっと様々なことを放り出すわけにはいかなくて、きっと真っ直ぐなあなたは、死ぬ訳にも行かなくて、私の目論見どおりに、やがて、渋々でも、生きる事を受け入れてくれると思う。
そう。そして、生きてさえいれば、そうすれば、いずれ喜びはやってくるから。 それは、私が保証してあげる。 その喜びを私が一緒にいられないのは残念だけど、でも、生きてさえいれば、きっと奇跡が起きるから…。
もう最近は、意識を失っている時間の方が長くなってきた。
この間、咲いていた桜は、もう葉桜になってしまったみたい。
ふと、病院のベッドで意識を取り戻した。 脇に雅人がいるのが分かる。一生懸命に雅人を呼ぶと、慌てて雅人が私の傍にやってくる。
今から、とても、とても大事な事を言うからね、ちゃんと聞いてね。
ねぇ、雅人。 私、伝える事が出来たかな。
私、幸せだよ。
それは本当に本当だよ。
ねぇ、本当に死にたくないよ…。
ね、私、こうやって、今は死にたくないって思えるもん。
それが、どれだけ幸せなことなのか…。
死にたくない、生きたい。そう思うのは幸せだからだよ。
けど、あなたと出会った頃はそうじゃなかったよ。別に何時死んでもいい、そう思ってた。
それを変えてくれたのはあなたなんだよ。
奇跡はもう起きてたのよ。
あなたに出会って、死にたくない。そう思う様になった事が奇跡なの。
私は十分に幸せになったよ。
一つだけ心残りは、あなた。 ごめんね。 もう一緒に居てあげられない。
それだけが心残り。
私はこれ以上一緒に居られないけど、けど、それでもあなたは生きてね?
あなたが死にたいなんて言ったら、私、幸せなままでは旅立てないから…。 まぁでも、もう約束してくれたから、これ以上は言わないけど…。
ごめんね。わがままで。 でも、本当よ?
ちゃんと生きてね。
そして、少し時間がかかってもいいから、新しい幸せを見つけてね?
うん、そうね。 すこーしくらいなら時間がかかって欲しい、かな?
ふふ。ほらね、私ってわがままでしょ?
ね、とにかく約束して。
私が幸せなままに旅立つ為に約束して。
ありがとう。
そこで、私の意識は一旦途切れた。
もう一度意識が戻った時、それはその日の晩だとなんとなく判った。雅人は、私のベッドの脇のソファで寝ていた。
もう、ちゃんとおうちに帰らなきゃだめじゃない。 でも、ちょうどよかったわ。
ごめんね、私のわがままだけど、これで最後にするね。 なんとなく判るんだ。私がこうして戻ってこれるのは、もう、今回が最後なんだって。
どんなに頑張っても、こんなに穏やかにすごせる時はもう巡ってこない、それが判ってしまうから…。
だから、私が、私でいられるうちに終わりたいの。 私が私でないものに、私の残骸になってしまう前に終わりたい、そのわがままを許してね。
そして、こうやって穏やかなあなたの寝顔を見ながら旅立たせてね。 ちゃっかり手も握っちゃおうかな。
そして、この時のために、密かに家から持ってきていた睡眠薬。これなら、眠るように旅立てると思う。
そんな瞬間、ふと思い出した。
あぁ、そうだ、今年の七夕祭りは二人で行こうって約束したっけ…。
約束、破っちゃうね。
ごめんね…。
そして、やっぱり、ありがとう。
ちょっと手を握らせてね。 ふふ。あったかい。 きもちいいな。
雅人、今まで本当にありがとう。
ねぇ、雅人。 私、伝える事が出来たよね。
あなたは私にとって、本当に奇跡なんだよ? 今日、一人で旅立とうと思ってたけど、こんな風に見送ってもらえるなんて…。 それに、今、この瞬間でさえ、こんなにも穏やかに安らいでいられるのは、あなたがいてくれるからだよ?
私、今、本当に本当に、最高に幸せだよ。
どうか、あなたにも奇跡が起きますように…。
あぁ、もう、ねむい…。
じゃ、 ね……