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一生の思い出


 十月の下旬、私たちは紅葉狩りに行くことにした。私がどこかに行きたいなぁ、なんて言い出したのがきっかけだった。 日帰りでいける場所もあったけど、大胆にも、私たちは一泊旅行で出かける事にした。 行き先は奥飛騨。その温泉街に行く事にした。

 私が男の人と二人で出掛けようだなんて。 しかも、季節は違うけど山へ。

 最初、その考えを話したとき、お母さんは信じられない様だった。けど、私が宿のパンフレットを見ながら、楽しそうに紅葉狩りの話をするのを聞くうちに、笑顔になってくれた。

 日程を決めて、九月のうちから周囲にも話して、仕事のスケジュールを調整して、その日に休める様に、私も雅人も一生懸命に働いた。 だから、直前は、ゆっくり会うことなんて出来なくて、本当に朝の通勤ラッシュの中ですれ違う様に会うのが精一杯だった。

 それでも、とにかく日々の仕事をぎりぎりでこなして行き、二人とも、何とか予定通りに休めることになった。


 日曜日の朝、雅人が迎えに来た。 そう、私と雅人は、土日ではなくて、日曜から月曜にかけての一泊旅行にしていた。 その方が、デパート勤めの私が休みやすい、って事もあったし、土曜の晩より、日曜の晩の方が人も少なくてゆっくり出来るはず、なんて計算もあった。

 私が出掛けるのを、両親が玄関で揃って見送ってくれた。

「柴田くん、よろしくお願いしますね。  遥、気をつけて行ってくるのよ?」

 なんて言うお母さんに

「大丈夫よ。 今回はバスだもん」

 そんな冗談を言えるほどに、私の気持ちは明るかった。 でも、雅人は緊張しまくりで、

「遥さんを、お預かりします」

 なんて、しゃちほこばって言うのがおかしかった。 その彼の動きはロボットの様にがくがくしていて、どこでゼンマイを巻けばいいんだろうか?なんて馬鹿な事を考えてしまった。 一応、嫁入り前の娘、という私を一泊旅行に連れ出そうという男としては、相手の親、特にお父さんの視線は強烈かも知れないなぁ、なんて思った。

 まぁ、この旅行は私の方が言い出したものだし、両親にはそう言って、事前によーく説明していたから…。それでも、お父さんを説得するのには随分と時間がかかったけど、でも、お父さんもちゃんと納得してくれていたはず。

 加えて、お父さんの視線がそれほど強烈じゃなかったのは、やはり、私を立ち直らせた雅人に対しては、とても大きな信頼と感謝があったからだろう。 両親がもう絶望していたこと、私が生きる希望を取り戻すこと、それを実現したのが彼だって事は、両親ともよく判っていた。

 確かにその時は、まだ私たちは婚約もしてなかったけど、でも、いずれは…、二人ともその想いに確信があった。 だから、私としては、後ろめたい気持ちはなかったのも確かだった。


 朝早く出発して、バスを乗り継いで、奥飛騨に到着したのは昼過ぎだった。

 雅人と手を繋いで紅葉のトンネルを歩きながら、高原の空気を思いっきり吸い込んだ。北アルプスの山々を背景に、あたり一面は、赤や黄色、そしてオレンジ、鮮やかに色づいた紅葉が広がっていて、夢の様にきれいだった。

 バスを降りた瞬間から、私たちはバカップル全開だった。いえ、今回はもう、どっちかと言うとただのバカかも知れないけど…。

 紅葉を見て、嬉しくなった私が「あーきのゆうーひーにー」何て歌いだしたら、雅人が「まだ昼間だろ」なんて冷静に突っ込んで来た。その癖、すぐに「もーみーじー、なぜなくのー」なんて、歌いだした。あんまりに脈絡がなくて、一瞬分からなかったけど「もしかして、カラス?」と訊いたら「そのとおり」なんて言った。「なにそれ、ゼンゼン関係ないじゃん」って突っ込んだら「いやいや、関係おおありだよ。 かーわいー、かーわいー、となくんーだーよー」なんて、私の頭をなでてきた。あまりに突然の攻撃に、私は成す術も無く真っ赤になってしまった。

 ってことは、やっぱり、結局は恋愛中毒状態のバカップルだったのかも知れない。

 まぁ、たまにはいいよね?

 とにかく、そんな風にじゃれあいながら、私たちは思う存分に歩き回った。 だから、私たちは昼間のうちに、もう十分に堪能したつもりだった。

 けど、私たちは夕食を食べて一休みすると、また出かける事にした。 宿の人に、夜は旧中尾橋付近がライトアップされて、とても綺麗だって事を聞かされたからだった。 それに、そのすぐそばに眺めのいい露天風呂がある、って事だった。

 それを聞いた私たちはニコニコしながら、お風呂セットを持って、ちゃんと厚着をして、手を繋いで、その旧中尾橋に向かって歩いていった。


「あ。 あれなのか?」

「そう…、 みたいね…」

 そこには確かに露天風呂があった。 確かに眺めもよさそうだった。けど…。

「何か、道からまる見えだな…」

 それでも、せっかく来たんだし、という事で露天風呂に入ることにした。注意書きを見ると、脱衣所は男女別だったけど、混浴だった。 もう、そんな事は今さらだったし、私たちはさっさと服を脱ぐと、露天風呂に入った。

 そこは、かなりぬるめの温泉で、いくらでも入っていられる感じだった。そして、周囲の渓流や紅葉がライトアップされて、夜の闇の中に浮かび上がる様な感じで、昼間見た紅葉とは違って、幻想的な雰囲気があり、とてもきれいだった。

 二人で、露天風呂の中で寄り添い、周囲の光景に見ほれていた。

「きれいね…」

「あぁ…。 きれいだ…」

 私の口からは、知らないうちに、感動の言葉がこぼれていた。雅人も、同じ事を感じている様だった。 宿の人が言っていたけれど、このライトアップは期間限定で、その年は、その日が最後だって事だった。偶然かもしれないけれど、それでも、こんなに綺麗な光景を、雅人と二人で見る事が出来た。それは、とっても嬉しかった。

 この景色は、一生の間、きっと忘れる事は無い、そう思いながら、陶然と紅葉と渓流を眺め続けた。 私のとなりで、雅人もやはり、陶然とした感じで、紅葉を見上げていた。


 帰り道も、私たちは手を繋いで歩いた。お互いの手から感じる温もりが嬉しかった。

 夜道を歩きながら空を見上げると、そこには、満天の星があった。

 もう、気温がかなり低くなっているせいか、空気が澄んで、くっきりと美しい星たちが夜空一杯に輝き、まるで私たちに祝福の言葉を語りかけてくる様にさえ感じた。

 私たちは初めから手を繋いでいたけれど、いつの間にか体を寄せ合っていた。思いの外、気温が低かったこと、確かにそれもあるだろうけど、続けざまに見せ付けられた自然の美しさに、その予想以上の美しさに圧倒されてしまい、それを一人で受け止めることが出来ずに、二人で寄り添っていたのかもしれなかった。



 ライトアップされた紅葉が感じさせる幻想的な雰囲気、そして、満天の星が語りかけてくる、自然の素晴らしさ。 私は、こんな素晴らしい眺めをこれまでに体験した事はなかった。

 この素晴らしい光景を見るまで生きてくることが出来たこと、それを素晴らしいと感じる心を取り戻すことが出来たこと。 そして、それを雅人と一緒に感じることが出来たこと。

 それぞれが素晴らしく、その全てが嬉しかった。

 初めて見た奥飛騨の紅葉は、私たちにとって一生の思い出になった。


 その感動の余韻のままに宿まで帰った。そして、二人で一緒の布団に入ったけれど、その日に見た、昼間の紅葉のこと、ライトアップされた紅葉のこと、そして夜空のこと、そんな事を語り合っているうちに、私たちは眠ってしまった。

 せっかくのお泊りで…、なんて考えもあったけれど、それ以上にその日の光景は私たちの記憶に残っていた。 あんなにも美しい光景を、雅人と一緒に感じることが出来た。それは、とても素晴らしいことだと思えたし、何より、その事に私たちは満足していた。

 私たちにはいくらでも時間があるのだから、ゆっくり歩んでいこう、そう考えていた。




 だから、私たちは、その翌日から仕事を猛然と再開した。 何かに挫けそうになったとしても、あの日の夜空、紅葉、そして、それを一緒に感じた二人。そんな事を思い出すことで、私たちは頑張った。 あの日を思い、お互いを想い、そして未来を夢見る。

 そんな風に頑張る事はとても自然で、私たちの未来はとても明るい、そう感じていた。

 お互いを信じ、二人で寄り添って過ごす時間は、とにかく楽しくて、嬉しくて、あっと言う間に過ぎて行った。秋のセールはとうに終わり、次のイベント、クリスマスが見えてきていた。

 私の仕事として、クリスマスっていうのは、休みではなかった。 そのイベント企画し、見守り、何らかの予想外の事態に対しては、対処の方針を考える。 そんな仕事の時間だった。

 今年のクリスマスイブは金曜日で、そんな掻き入れ時に休めるわけもなく、それに私が担当したクリスマス企画の本番でもあり、私は当然出社した。 そして閉店するまで帰る事が出来ないのも当然だった。

 けど、それでも当然、雅人と過ごすクリスマスの計画もあった。

 お店が閉まった後、雅人が予約したセントラルタワーズのレストランで食事をした。

 その日の雅人は、ダークグレーのスーツに、赤いネクタイをして、いつものカジュアルな装いに比べて精悍さが際立つ感じで、つい見とれてしまった。 私は、というと、白をベースとしたオフィススーツだった。華やかさ、という点ではちょっと弱いかもしれないけど、清潔感があり、ちょっとふわっとした感じもあって、割とお気に入りの装いだった。

 そして、クリスマスイブにレストランを予約しての食事という、もはや、端から雅人が何を狙っているのかは丸分かりのシチュエーション。

 仕事とは全く違った緊張で、あがりまくりの私たちは、いつもと全く違って、大して話も出来ずに、ただ「夜景がきれいだね」などと言いながら、次々と出されるコース料理を食べるばかりだった。

 ちょっと気を付けて見ていると、雅人は時として「あー」とか、何かを言い出そうとして、でも、続けることが出来ず、頭を掻いたり、天を仰いだり、と端から丸分かりの状況でとても分かりやすい躊躇いぶりだった。

 しばらくは、そんな彼の様子をくすくす笑いながら見ていたけれど、このままだと、彼が何も言わないうちにデザートになってしまう。そう思った私は助け舟を出す事にした。

 けど

「ね、中学生の頃は、学校の近くの公園で木に登って、色々話したよねえ、ね、将来の事とかもいっぱい話したよね」

 と言う、私の振りには、そのまんまストレートに彼の仕事に関連した話と、その後に関しての夢の話になってしまって、密かに『違うでしょ! 私たち二人の未来の夢は?』などと心の中で突っ込みを入れてしまった。

 ならば、と

「そろそろ私たち、再会して、半年になるのよね」

 と、思いっきり踏み込んでみた。 思ったとおりに

「そうだね、まぁ、色々在ったよね…」

 と返ってきたので

「えぇ、そうね、でもとにかく、あなたと再会できて、本当に良かったわ」

 と、さらに踏み込み、雅人の視線を捕らえると、思いっきりの笑顔を浮かべた。

「あ、あぁ、僕もさ。 で、さ…」

 とっかかりをつかんだ雅人がこぶしを握り締めて、そして、私を真っ直ぐに見つめた。

 私は、やっと訪れたその瞬間を前に、頬を上気させながら、言葉を待った。 しばらくの間、雅人は口をぱくぱくさせたけれど、一度天を仰ぐと、笑顔で、でも意を決した様に、力のこもった視線で私を見詰めた。

 そして、とうとう、その言葉が彼の口からこぼれでた。


「遥。 愛してる。 結婚してほしい」


 やっと言ってもらったその言葉に、そして、初めから分かりきっていたはずのその言葉に、私は想像以上の喜びを感じていた。

 いつの間にか、私の目からは涙がこぼれていた。 それは、暖かくて、嬉しい涙だった。

 雅人が真っ直ぐに見つめてくる中、涙をこぼしながら、満面の笑みになり、答えた。


「ありがとう。 雅人、私も愛してるわ」


 そのやり取りが終わると、やっと私たちはいつもの私たちに戻っていった。



 そうして、私たちは婚約した。


 だから、初詣は二人で並んでお参りをした。 その時、私たちは未来に何の疑いも持っていなかった。もう、私たちの関係は揺るがない。 時として喧嘩はあるかも知れないけど、少しずつ変わっていくかもしれないけど、でもずっと愛し合い、ずっと一緒に生きていく。

 そう信じていた。




 けど、人生はそんなに単純じゃなかった。



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