過去の告白
雅人は、大沢が向こうを向いて歩き始めると、私を振り返り
「変な奴だったね? 大丈夫かい?」
そう言って、手を差し伸べてくれた。 けど、私はまだ力が入らなくて、立ち上がる事は無理だった。 その様子を感じたのか、雅人は手を引っ込めると。
「よいしょ」
の掛け声とともに、私のとなりに腰をおろした。
だから、私たちは今、アーケードの真ん中に二人で並んで座っていた。
雅人は、私の体に手を回すと、そっと、でも力強く抱き寄せてくれた。 しばらく、私たちはどちらも無言だった。
今回も、最初の言葉は雅人からだった。 そして、それはとても意外な言葉だった。
「あー、怖かった!」
「え?」
そして、ちょっと小声になると。
「法学部出身の友達って、いるのは確かだけど、普段はあんまり話さないしねぇ」
「え? じゃ、告訴するっていうのは?」
「うーん。半分はハッタリかな。 でも、本気になれば多分出来るだろうな、とは思う。 それでも、刑務所送りに出来るかどうか、は、よくわかんない」
「ふふふ。 なーんだ。 でも、雅人、頼もしかった」
「うーん。 だってさ、どう聞いても遥を脅そうとしてる。しかも遥はとてもショックを受けてる様だったし、だから我慢できなかった。 で、逆に脅し返してやれ、って思った。 まぁ、途中、ちょっとぶち切れたから、あんまり理屈は通ってなかったかもしれないけどね」
「でもね、あいつにとってはね、訴えてやる、っていうのは効いたんじゃないかな」
「え? そうなの?」
「うん。 あいつ、多分、この何年かは刑務所にいたんだよ」
「そうなんだ…」
雅人がそう答えたあと、またしばらく二人を沈黙が支配した。
今度は私から話しかけた。
「どうして。 って訊かないの?」
敢えてそう訊いてみる。 もう私は、全てを雅人に聞いて貰おう、そう考えていたから。
「うーん。 言いたくなければ言わなくてもいい、って言うのは建前で…」
「俺、不安なんだ。 俺自身が知って大丈夫なのか、俺は遥のそんなに大変な事を受け止めるだけのことが出来るのか、それが不安で、怖いんだ」
「ごめんな。 情けない奴で」
思わず、私は微笑んでしまった。
「ううん。 私もだよ。 ずっと怖かった。 雅人に言ったら、雅人になんて思われるだろう、嫌われないかしら…。 不安で、怖くて、ずっと何も言えなかった」
「でもね、今はちょっと違うの」
雅人は何も言わなかったけど、彼を見ると、彼はとても柔らかく微笑んでいた。だから、私は安心して言葉を続けた。
「雅人に聞いてほしい。 知ってほしい。 あなたに秘密にしたくない」
「だから、話したい」
その私の言葉に、雅人はゆっくりと頷いた。
そして、私は少しずつ話し始めた。
短大生の時、サークルの一年先輩にあの大沢がいたこと。ちょっと悪ぶってる大沢の態度に惹かれて大沢に恋した事。そして、二年生の夏合宿、帰りは大沢の車で二人きりで帰ることになった。その時は大沢に夢中で、色々な事を期待して胸躍って、何も見えてなかった。
帰り道、山道で、突然現れた男達に、二人とも縛られ、私はその男たちに代わる代わるレイプされた事。リーダらしき男に張り飛ばされたけど、気絶する事が出来ずに、男たちのやる事全てを呆然と見届けるしかなかった事。哀しくて、つらくて、でも、どうにも出来ず、ただなすがままになるしかなかった。
それでも、大沢にとってもつらかったのだろう、そう思い、歯を食いしばって耐え、翌朝、持っていた替えの服に着替えて、何食わぬ顔で帰ったこと。 つらいけど、それは私だけじゃないんだ、そう考えて必死に耐えた。
しばらくしたある日、街中で大沢を見かけて、声をかけようとしたけど、一緒に歩いている男達を見て愕然とした。それは、あの山道で襲ってきた男達だった。そう、私は大沢によって罠にはめられたんだった。 けど、既になんの証拠も残っていなかった。
大沢を責めた。好きだったのに、信じていたのに。大沢の裏切りは、まぁ積極的にではなかった様だった、あの男達に弱みを握られて、脅されて、ではあったらしいけど、けど、苦し紛れの大沢の言い逃れが『どうせ他にもたくさん男がいるんだろ、二~三人増えたからって、いいじゃないか』だった。それは私を決定的に傷つけた。
けど、幸か不幸か、証拠が残ってる事が判った。
そう。私は誰のかも分からない子供を身篭った。
そう判った時は、怒りが私を突き動かしていた。 私は、全てを親に話して、お母さんに付き添ってもらって病院に行き、堕胎手術と、その子供のDNA鑑定を依頼した。結果、犯人グループの内の一人とDNAが一致した。
その鑑定結果とサークルなど周囲の人間の証言を基に、大沢達を訴え、厳しい裁判だったけど、大沢達を有罪とする事が出来た。
その直後、怒りを維持する気力を失い、もう全てが嫌になった私は、自殺を試みた。けど、失敗して、両親に説得され、もう二度と自殺はしない、渋々だけど、そう約束させられた。
それが、私と大沢の間にあった事だった。
同情して欲しくはなかった。同情されると惨めになるから…。同情されてしまうと、雅人と対等に付き合えない。だから、怖かった。
はっきりと拒絶された方が諦めがつくかも知れない。そうも思った。 そうすれば、また絶望してしまうかもしれないけど、もう、それならそれでいいや。それなら諦めがつく。 両親との約束を破る事になるかも知れないけど、でも、そうなったら、もう私は…。
ただ、同情されてしまうと、雅人との関係をきちんと作る事も出来ず、対等に結ばれる事も出来ず、薄く引き伸ばされた煉獄を生きる事になるかも知れない。 雅人が、私を見るたびにその事を思い出して、同情しているのを感じ、涙に暮れる毎日になるのは耐えられない。
おそらく、それは二人とも耐えられない。
私が告白する間、雅人は時々相槌を打ちながら、淡々と、という感じで聞いていた。
彼は何を考えているのだろうか? その不安は確かに感じていたと思う。けど、雅人に向かって告白するうちに、私の中に溜まって腐りかけていたものを吐き出していくうちに、雅人が私の目を見て頷いてくれるたびに…。
私の気持ちは少しずつ軽くなっていく様に感じた。
そして、雅人はやっぱり凄かった。 私をあっさりと救ってくれた。
そんな悲惨な告白のあと、雅人の最初の言葉はどういう訳だか
「良かった」
だった。
それは、言葉としては一週間前に聞いた言葉となんら変わらなかった。
「遥が生きていてくれて良かった。 僕を好きになってくれて良かった」
「そして僕は、遥を好きになって良かった」
先週も言われた言葉だった。けど、先週はまだ隠し事があった、泣くほど嬉しかったけど、それでも、まだどこかにひっかかる事があった。
けど、今は、何も秘密はなかった。全てをさらけ出して、真正面から私の全てをぶつけた。そして、変わらぬ答えが返ってきた。それは私が一番、いえ、望んでいた以上の答えだった。
そして思った。
こんなに満たされた、幸せな気持ちになれるなんて、生きててよかった。
心の底からそう感じた瞬間だった。