プロローグ
うららかな春の日差しを浴びて、開け放たれた窓から彼女は大きく息を吸い込む。
「…ん~~~~~~~~~~ッ、ッつあ~~~~~!!」
背伸びをして、街中から校門へと続く、花が散って葉だけになった桜並木を見つめる。つい2,3日前までは花見にやってくる街の人間が何人かいたのに、葉だけになった桜の木が美しいといって見に来る者は一人もいない。
彼女はそんな並木を見つめ、一人考える。
…桜の木の下には人が埋まってるって言うし、この桜並木にも誰か埋まってたりするのかな。
こんなことをつぶやいたら周りにまだ残っている、クラスメイトたちに冷ややかな視線で見られることに違いない。実際、2年前に卒業した中学校で一番仲の良かったクラスメイトに真顔で聞いたことがあるが、不謹慎だよ、とドン引きされて以来、心の中でつぶやくと決心した。
春の風が肌を撫でる。お気に入りのニット帽からはみ出した長い黒髪が、風をはらんで揺れた。
「莉礼~!!」
後ろから自分の名前を呼ばれて振り返ると、「不謹慎だよ」とドン引きした張本人、藤咲 旭が入り口にかばんを持って立っていた。何気、未だに親友だったりする。
「旭? あれ、今日は班活じゃないの?」
旭は班活で吹奏楽班に所属している。中学入学前から市の子ども吹奏楽団にいたため、「当然入るに決まってるじゃない」といって中学から吹奏楽を続けている。担当はトロンボーンだ。
鞄を持って親友に駆け寄ると、旭は薄紫色のフレームの眼鏡をクイッ、っと上げ困ったように眉をよせた。
「それがね~、今日は音楽室が使えんのだよ」
「え? 何で??」
莉礼が尋ねると、旭は言った。
「現場検証」
目の前でビシッと指を指され、寄り目になった莉礼を見て、旭はニッコリと満足そうに笑って廊下を歩き出した。取り残された莉礼も、小走りで旭の隣につく。
「…なんか楽器が盗まれたらしくてさー、班活するにもできないし、だから先生たちで現場検証してるの」
と言っているうちに、現場検証中の音楽室の前に差し掛かった。人だかりが出来ていて、ただでさえ狭い廊下がすし詰め状態だ。音楽室内を覗こうとしている生徒を莉礼のクラスの担任が制している。
「楽器が盗まれたって、旭のは大丈夫なの!?」
「ん? あ、うん、私のはちょっとメンテのために楽器屋に出してたから大丈夫だったんだけどねー…」
気まずそうに目を莉礼からそむける。
「…?」
「…なんか、リコーダーも盗まれたっぽい。…あんたのとかね…」
耳打ちで告げられた件について、莉礼は当初、まったく気づいていなかった。
「…? …あんたの? あんたのって私の? …って私のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
騒がしい廊下が一瞬静まり、全員の視線が莉礼に集まる。
「…莉礼…行くよ」
「…」
放心状態の莉礼の腕を引っ張って、旭が廊下の人混みを掻き分けて玄関へ向かう。
ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。ありえない。
なんで私のがなくなるの? 私のリコーダーが…。
目の前が白と黒に塗られて、何も考えられなくなった。代わりに頭の中で渦巻くのは、疑問と不安と失望感だった。
「…あのリコーダー、お父さんのなのに…」
小さな声でつぶやいた声は、旭にも届いたらしい。
「…」
無言で頭を撫でられて、莉礼の目にはだんだんと涙がたまってきた。
その時だった。
ぎぃぃぃぃぃぃぃぃッ!ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!
耳を劈く騒音というか破壊音に近い音が大音量で聞こえ、その場にいた誰もが耳をふさいだ。
その音で我に返った莉礼はその音が流れた思われる、スピーカーを睨んだ。
「なっ、何なの!? この音!!」
旭は地面に伏せたまま莉礼を見つめる。
「分からない…。でも…犯人かも…」
微かな期待に胸を膨らませ、莉礼は耳をすまして、その音を聞いた。
…お父さんのリコーダーを取り戻す手がかりにかもしれない。お願い。どうか、私の願いをきいて、どうか――――――。
『おい!2年4組の鹿児山莉礼!! 今すぐ屋上に来い!!!』
この放送が、後に莉礼の人生を変えることになるとはこの時、誰にも分からないことだった。
よろしくお願いします!!