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月下の告白

 最後の音が響き渡り、舞踏はひとまずの幕を下ろした。

 私はシャルルに礼を述べ、舞踏会場を後にする。

 華やかな笑い声と絹擦れの音を背に、バルコニーの扉を開けると、夜風が頬を撫でていった。


 広がるのは、闇に沈む水平線と、波間に映る月の道。

 煌めくシャンデリアの下にいると気づかない、海の静けさがそこにはあった。


「……ふう」


 胸の奥に溜めこんでいた息を、そっと吐き出す。

 舞踏会の中心に立つのは、やはり私には似合わない。

 壁の花でいる方が自然だ――そう思いながらも、どこか心がざわついていた。


「リュシール」


 背後から聞こえた声に振り返ると、シャルルが立っていた。

 舞踏会場に残るはずの彼がここにいることに、私は思わず目を瞬かせる。


「……どうしてここに?」

「君がいなくなったから」


 その答えに胸がどきりと鳴る。

 彼は歩み寄り、私の隣に立った。月光に照らされた横顔は、舞踏会で見せる完璧な微笑みよりも柔らかい。


「人が多すぎて、疲れただろう?」

「ええ……少しだけ」

「やっぱり。君はずっと気を張っていたから」


 そう言う彼の声音は、波音に溶けるほどに優しい。

 私は視線を海へ戻し、胸の奥に溜めていた思いを口にする。


「……あなたと踊りたい人は、たくさんいるでしょう? こんなところにいてよいのですか」


 問いかけは、心の奥にあった遠慮そのものだった。

 彼は少し目を細め、穏やかな笑みを浮かべる。


「いいんだ」

「……どうして?」

「僕がいたいのは、君の隣だから」


 短く、けれど揺るぎのない言葉。

 胸が熱を帯び、思わず息を呑む。


「……冗談ばかりおっしゃって」

「冗談じゃないよ」


 彼は真っ直ぐに私を見た。

 舞踏会の中心で輝く完璧な姿ではなく、私にだけ向けられる素顔を携えて。


「君のそばにいると、不思議と落ち着く。だから僕には、この場所が一番心地いいんだ」


 波の音が優しく押し寄せる。

 私は言葉を返せず、ただ月明かりの下で彼の横顔を見つめるしかなかった。


 月光の下、潮風が髪を揺らした。

 大広間の喧騒は厚い扉の向こうに遠ざかり、ここにはただ波と風と、彼の呼吸だけがある。


「……君はいつも、僕を遠くから見ている」


 シャルルがふいに口を開いた。

 私はゆっくりと瞬きをして、問い返す。


「遠くから、ですか」

「ええ。君は同じ場にいても、どこか一歩だけ引いて立っている。人前では仕方のないことだと思っていたけど……今も、少しそう見える」


 柔らかな声に、心臓が静かに跳ねた。

 図星だったから。

 けれど、それを認めてしまえば、自分の立場が脆くなる気がして。


「……私には、あなたのような輝きはありませんもの。ならば、半歩引いたところにいる方が自然でしょう」

「そんなことはない」


 即座に返された言葉に、息を詰めた。

 彼の横顔は真剣で、けれど熱を孕んでいる。


「僕はずっと、君を同じ高さで見ている。誰よりも近くで。……なのに、君が自分から距離を作るから」


 ――ずるい。

 そんなふうに言われて、どうして平静でいられるだろう。


 私は視線を海へ逃がし、ゆるやかに息を吐いた。


「……あなたは本当に、誰にでも優しい方ですから」

「また、それだ」


 彼の声に、わずかな苦笑が混じる。

 けれどその手が、そっと私の手の上に重なった。


 大きく、温かな手。

 私は驚いて顔を上げる。


「冗談だと思っているのだろう? でも違う。僕が優しくありたいのは――君にだけだよ」


 波音が一瞬遠のいたように感じた。

 胸が熱に包まれ、言葉が出てこない。


「君が他の誰かに微笑むだけで、僕は落ち着かなくなる。……そんな僕を、君は知らない」


 それは、舞踏会で見せる完璧なシャルルとはまるで違う告白だった。

 彼の声は甘く、けれどどこか拗ねた少年のようで――。


 私は思わず笑みをこぼしていた。


「……子供のようなお言葉ですわ」

「そうかもしれない。でも、それが本当の僕なんだ」


 彼はそう言って、また微笑んだ。

 穏やかでありながら、確かに私の心を捕らえて離さない笑みだった。

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