舞踏会の幕開け
航海五日目の夜、《ル・フロラリアン》の大広間は、いつにも増して華やいでいた。
高く掲げられたシャンデリアが無数の光を降らせ、絹と宝石に包まれた令嬢たちが色とりどりの花のように咲き誇る。
弦楽器の音色が波に溶け、舞踏会の幕が切って落とされた。
「シャルル様!」
「ごきげんよう。今宵もお変わりなく麗しく……」
瞬く間に、シャルルの周りには人の輪ができた。
令嬢たちは頬を紅潮させ、若い紳士たちすら彼に一目置いている。
彼は誰に対しても微笑みを絶やさず、礼を失さず、まるで舞踏会そのものを掌握しているかのようだった。
――完璧。
フロラン王国の未来を背負う公爵家の嫡男にふさわしい振る舞い。
誰もが憧れ、誰もが恋慕するのも当然だ。
その隣に立つべき私は――静かに微笑むばかりで、声を掛けられることは少ない。
やがて人の波に押され、彼の背を遠くに見送るような位置に取り残されていた。
私は壁際に下がり、グラスの中の泡を見つめる。
――壁の花。
それが、私にもっとも似合う立ち位置なのだろう。
「こんなところに隠れていたのか」
不意にかけられた声に顔を上げると、異国風の金髪を揺らす青年が立っていた。
深い碧の瞳、陽気な笑み。
メリディアン王国の王子、エドワード。
「パーティの花が咲いているのに、君は少し遠くから眺めている。もったいないと思わないか?」
気さくな声音に、思わず目を瞬かせる。
「……私は、華やかに舞うことよりも、眺めている方が心地よいのです」
「それは控えめすぎる答えだな。君ほどの美しさなら、舞踏会の真ん中に立ってこそ映えるのに」
軽やかな賛辞に、頬が熱を帯びた。
彼は冗談めかしているようで、その眼差しはまっすぐだ。
「では――最初の一曲を、俺に譲ってはくれないか」
差し出された手に、一瞬迷いが胸を過ぎる。
――けれど、王子からの誘いを拒むのは無礼にあたる。
それに「一曲だけ」と心の中で自分に言い聞かせ、私はそっとその手を取った。
「……では、光栄にお受けいたしますわ」
「そうこなくちゃ」
彼はにやりと笑い、軽やかに私を舞踏の輪へ導いた。
弦楽の旋律が一段と高まり、周囲の令嬢たちがちらりとこちらを振り返る。
その視線に少し緊張が走るが、エドワードのリードは驚くほど自然で、気づけば足が曲に溶け込んでいた。
「ほら、やっぱり。君は見ているよりも踊っている方がずっと綺麗だ」
「……お上手ですわね。そう言って、皆さまを口説いていらっしゃるのでしょう」
「はは、図星か? けど本音も混じってる。俺は思ったことは隠さない主義だから」
あまりにも率直で、思わず小さく笑みがこぼれる。
彼の言葉には裏がなく、肩の力を抜かせる不思議な気楽さがあった。
「君は面白いな」
「……面白い、ですか?」
「ああ。他の令嬢なら、自分をもっと飾り立てて俺の気を引こうとする。なのに君は違う。控えめなのに、不思議と目を惹く」
彼の碧眼が真っ直ぐに私を映し、胸の奥がわずかにざわめく。
――けれど私は、軽く視線を逸らした。
「私など、皆さまの彩りに紛れている方が性に合っているのです」
「それは謙遜だろう。……君はもっと、自分の美しさに自覚的でいい」
挑発めいた言葉に返す言葉を探していると、旋律が大きく盛り上がり、彼は私をくるりと回転させた。
ふわりとドレスの裾が舞い上がり、灯りを受けて煌めく。
その一瞬、広間の視線が確かに私へと集まっているのを感じた。
胸が熱を帯びる。
けれど――視線の中で最も強く私を射抜いているのは、ただ一人。
人々に囲まれながらも、笑みを崩さずこちらを見つめるシャルル。
彼の青い瞳が放つ熱は、王子の真っ直ぐな眼差しよりもずっと深く、胸に刺さって離れなかった。