揺らぐ水面の心
数日後、船内の大広間では最後の舞踏会に向けて音楽隊のリハーサルが行われていた。
寄港地で仕入れた楽器も混じっているのだろうか、響きは一層華やかで、曲ごとに異なる色彩を帯びていた。
その一角で、アメリーが真剣な面持ちで弦を弾いていた。
彼女の姿は舞台衣装ではなく簡素なドレスだったが、楽器を抱くと不思議とそこだけ光を帯びて見えた。彼女が音を紡ぎ出すたび、周囲のざわめきが静まり、ただ旋律に引き込まれていく。
「……素晴らしいわ」
気づけば、私は小さく声を漏らしていた。
「舞台の上でも充分でしたけれど、こうして間近で聴くと、さらに心が震えます」
私の言葉に、アメリーは演奏を止めて振り向き、はにかむように笑った。
その笑みには気負いがなく、音楽に心を尽くす人だけが持つ純粋さがあった。
「リュシールさま……ありがとうございます。励みになります」
その声に私まで嬉しくなる。だが――
「おやおや」
からかうような声音が背後から割り込んだ。
振り向けば、エドワードが腕を組んでこちらを眺めている。
いつもの碧の瞳に、茶目っ気の光がきらりと宿っていた。
「まるで恋人を褒めるような口ぶりじゃないか。僕も君にそんな風に言われたいものだな」
「……からかわないでください」
私は思わず眉を寄せる。
「ただ、事実を言っただけです」
エドワードは肩をすくめ、愉快そうに笑った。
「本気さ。君は控えめだけれど、褒め言葉はまっすぐだ。だからこそ、誰だって欲しくなる」
茶化すような言葉に、頬が熱を帯びる。
言い返したいのに、言葉が出てこなかった。
「……エドワード殿下」
そのとき、隣にいたシャルルが静かに口を開いた。
声音は穏やかだが、どこか釘を刺すような響きを帯びている。
「彼女はただ、アメリー嬢を称えただけですよ」
「もちろん分かっているさ」
エドワードは悪びれもせず、にやりと笑った。
「でも、褒め言葉に嫉妬が生まれるのは人の性分だろう?」
一瞬、空気が揺れる。
けれどシャルルはそれ以上は言葉を重ねず、ただ私の方を見て柔らかく微笑んだ。
その瞳の奥の色を、私は読み取ることができなかった。
ただ、なぜか胸が少し痛んだ。
その後もリハーサルは続いた。
オリヴィエが情熱的に解説を挟むたび、アメリーが素直に頷き、音を合わせていく。彼の言葉は炎のように熱く、彼女の音は清らかな水のように澄んでいた。ふたつが交わるたび、音楽は新しい姿を見せる。
「見事だな」
エドワードが低くつぶやき、舞台を見やった。からかいの影を潜ませながらも、その声音には確かな敬意が宿っている。
「若い芸術家と、それを支える人々……舞踏会で聴けるのが楽しみだ」
シャルルも隣で頷いたが、視線は私から外れなかった。
胸の奥が静かに波立ち、私は視線を落とす。
――どうしてだろう。アメリーの音がこんなに澄んでいるのに、私の心は曇った水面のように揺れている。




