波間に響く約束
その夜更け。
演奏会の余韻と、サロンでの熱烈な語らいがまだ頭の片隅で響いていた。
けれど、人の輪の中にいるのに少し息苦しくなって、私は一人、夜風を求めて甲板へと足を運んだ。
夜空は深く澄み渡り、無数の星々が海へと降り注ぐ。
船を包む波の音はゆるやかで、まるで長い旅路を労わるかのように静かに揺れていた。
「リュシールさま……?」
呼びかけられて振り向くと、そこに立っていたのはアメリーだった。
薄布のショールを肩にかけ、少し驚いたように私を見ている。
「アメリーさん。……眠れなくて?」
「ええ、なんだか心が浮き立ってしまって。演奏のせいかもしれません」
そう言って微笑む彼女の顔は、まだ演奏会の熱を残して赤らんでいた。
あの舞台で奏でた旋律と同じように、澄み切った輝きがあった。
「……とても、良い演奏でした」
気づけば、自然に口から言葉がこぼれていた。
アメリーの瞳がぱちりと瞬き、頬にさらに赤みが差す。
「そ、そんな……ありがとうございます。でも、まだまだ未熟で……」
「お世辞じゃありません」
私は首を振った。
「心にまっすぐ届く音でした。きっと皆さんも感じていたと思います」
アメリーはうつむき、風に揺れる髪を押さえながら、かすかに笑った。
「……リュシールさまにそう言っていただけるなんて、夢みたいです」
しばしの沈黙。波の音と、遠くの楽団の後片付けの気配だけが夜を満たした。
「私……演奏していると、怖くなることがあるんです」
アメリーの声は小さく、夜に溶けそうだった。
「皆さまの前で弾くたびに、あの冷ややかな目を思い出してしまって。でも……」
彼女は胸の前で手を組み、そっと笑った。
「今夜は違いました。演奏が終わったとき、心から温かいものを感じられて……ああ、音楽を信じてもいいんだって」
私はその横顔を見つめ、胸の奥に柔らかな熱が広がるのを覚えた。
「……アメリーさん。信じてください。あなたの音は、誰かを幸せにする力があります」
彼女がこちらを見上げた。瞳が揺れて、次の瞬間に潤む。
「リュシールさまって……本当に、優しいです」
風が吹き抜け、二人の間に星の光が降る。
私はただ微笑み返すことしかできなかった。
けれど、その夜の静かな時間は、きっとアメリーにとっても、そして私にとっても忘れられないものになるだろう――。




