余韻に宿る声
その夜、《ル・フロラリアン》の大広間では演奏会が催された。
アメリーが舞台に立ち、透き通る旋律を紡いでいく。技巧に驕ることなく、ただ真摯に音楽へ心を捧げる姿は、聞く者の胸を静かに揺さぶった。
けれど――それはあくまで私の胸の内に生まれた感慨であり、言葉にする勇気まではなかった。
演奏会が終わると、貴族たちはその余韻を抱えたままサロンへ移り、杯を傾けながら感想を交わし合っていた。
「確かに、あの第二楽章は見事だった。緩やかでありながら、技巧の冴えが光っていたな」
「ええ、ただの技巧に終わらない深みがあったように思いますわ」
「ふふ、ですがやはり音量が足りないのではなくて?」
笑い交じりに交わされる声。称賛と批評が入り混じり、華やかな談話の輪は熱を帯びていく。
私は輪の少し後ろに腰を下ろし、静かに耳を傾けていた。
こうした場に自ら言葉を差し挟むのは苦手だ。けれど、聞いているだけでも人の熱量が伝わってきて、私にはそれで十分のように思えた。
「ですが……」
ふと、気づけば声が零れていた。
輪の中の数人がこちらに目を向け、胸が跳ねる。
けれど、もう言葉を引っ込めることはできなかった。
「……彼女の演奏は、技巧や力強さよりも……心を直接伝えてくれるものでした。まるで、演奏そのものが語りかけてくるようで……」
自分でも不思議だった。
ただ、あの音に触れたときに胸の奥で感じた温もりをどうしても黙っていられなかったのだ。
しんとした沈黙。
その次の瞬間、甲高い拍手がサロンに響いた。
「素晴らしい!」
立ち上がりそうな勢いで声を上げたのは、やはりオリヴィエだった。
黒色の髪を揺らし、目を爛々と輝かせている。
「まさにその通りです! 芸術は技術ではなく――心! 魂の叫びなのです! リュシール様、あなたは真に芸術を理解しておられる!」
その情熱的な賛辞に、頬が一気に熱く染まる。
「い、いえ……私はただ……」
言葉を探す間にも、他の貴族たちが「なるほど」「確かに」と頷き、話題は再びオリヴィエの熱烈な論に引き寄せられていった。
「例えば、今日のフィナーレに重ねられた旋律! あれは単なる終結ではなく、未来への祈りなのです!」
「まあ……オリヴィエ様のお話を聞くと、演奏の見え方が変わりますね」
「さすが伯爵、芸術を愛しておられる」
熱に浮かされたような会話の渦の中、私はそっとグラスを口元に運んだ。
聞き役でいる方がやはり自分には合っている――そう思うと同時に、先ほど無意識に声を出してしまった自分が信じられなかった。
「……君が珍しく話していたね」
隣で控えていたシャルルが、静かに囁いた。
その声音は柔らかく、けれどどこか探るようでもある。
「……ええ。気づいたら……」
「うん。君の言葉、僕は好きだったよ」
微笑を向けられ、胸がまた小さく揺れた。
けれどそれ以上は何も言えず、私はただグラスの中の赤い光に視線を落とした。
こうして演奏会の余韻に包まれた一夜は、オリヴィエの情熱とともに更けていった。
けれど私の心に残ったのは――ただひとつ、自分でも予期せずに零れたあの言葉と、それを受けとめた二人の視線だった。




