穏やかな午後の翳り
翌日の午後、ラウンジには柔らかな陽光が差し込み、磨かれたグラスがきらめいていた。
私はシャルルと向かい合い、香り高い紅茶を前にして静かに時間を過ごしていた。
彼はカップを傾け、ふと私を見つめる。
「昨夜……デッキでエドワード殿下と一緒にいたね」
唐突な言葉に、胸が小さく跳ねる。
「……お気づきになっていたのですか」
「ああ」
彼の声音は柔らかい。けれど、その奥に淡い影のようなものが差している気がした。
私は思わず微笑み、言葉を返す。
「でしたら……声をかけてくださればよかったのに」
一瞬の沈黙。
シャルルはカップをソーサーに戻し、視線を落とした。
「……そうしようかと思ったけれど」
小さく息を吐く。
「君が楽しそうにしていたから」
その言葉は、どこか煮え切らない響きを含んでいた。
私は返答を探しながら、けれど喉の奥で言葉が絡まり、ただ紅茶の表面を見つめるしかなかった。
――なぜだろう。
彼の声が、いつもより遠くに感じられた。
短い沈黙を破ったのは、彼自身だった。
「……そういえば、次の演奏会ではアメリー嬢が新しい曲を披露するそうだね」
わざとらしくない穏やかな調子。けれど、それが話題の切り替えであることはすぐに分かった。
「ええ。オリヴィエ様が選曲を手伝われたとか」
「そうなんだ。きっと素晴らしいだろうね。――楽しみにしているよ」
いつもの柔らかな微笑が戻り、私は小さく頷いた。
けれど、先ほどの問いかけが胸の奥でまだ微かに疼いていた。
「寄港地を巡って……随分とあっという間だったね」
シャルルが微笑を含んだ声で言う。
「ええ。本当に夢のようでした」
「でも、どの町もそれぞれの色があって、素晴らしかった。芸術も、人も……」
彼は窓の外に視線を投げながら、穏やかに語る。
「こうして一緒に見て回れたことを、僕は嬉しく思っているよ」
「……私も、です」
ようやく声を絞り出すと、胸の奥が温かく揺れた。
白磁のカップに揺れる琥珀色を眺めながら、私は小さく息をついた。
船のきしむ音と、遠くから聞こえる弦楽の練習音が重なって、午後の空気はどこか夢の続きのようだった。
「ここの紅茶は、寄港地で仕入れたばかりらしいよ」
シャルルが話題を変えるように言う。
「香りが少し違うだろう?」
「ええ……確かに、柔らかい香りです」
カップを唇に寄せながら応じる。
彼はそんな私の仕草をじっと見て、ふと目を伏せた。
――沈黙。
けれど、不思議と気まずさではなく、穏やかに時が流れていく。
「リュシールは、船の上で退屈していない?」
「いえ……毎日が新鮮です。船旅はこんなにも多くのものを見せてくれるのですね」
「そう言ってくれるなら、僕も安心だ」
やわらかく言葉を交わしながら、私は心のどこかで問い続けていた。
――この優しさは、婚約者に向けるもの。
でも、それだけなのだろうか。
私だけが抱いている期待に過ぎないのだろうか。
彼の言葉に頷きながら、微笑みを返す。
けれど胸の奥では、「分からない」という思いがまたひとつ深く沈んでいく。




