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喝采の余韻

 《ル・フロラリアン》の大広間で開かれる演奏会は、もはやこの航海の恒例行事となっていた。

 最初のうちは「平民の娘の気まぐれ」と陰口を叩かれていたが、回を重ねるごとに人々は否応なく足を運ぶようになっている。理由はひとつ――彼女の音が、耳にした者の心を離さないからだ。


「また演奏会かしら」

「まあ……でも、前回も意外と良かったものね」


 そんな声を聞きながら、私は席についた。

 やがて舞台に姿を現したアメリーさんは、深く一礼してから椅子に腰掛ける。その横顔にはまだ緊張の色が残っていたけれど、以前よりもはっきりと自信が宿っているのが分かる。


 最初の音が広間に放たれる。

 静かな旋律が流れ始めた瞬間、ざわつきは消え、会場を包む空気が澄み渡っていった。


 ――やっぱり。

 どんなに冷ややかな視線を向けられても、彼女の音は揺るがない。

 澄んでいて、真っすぐで、人の心をやさしく掬い上げる。


 私は横目で貴族たちの表情を盗み見た。

 初めは腕を組んで聞き流していた人も、いつの間にか前のめりになり、あるいは瞳を閉じて耳を澄ませている。頬を赤らめる者すらいた。


 曲が終わったとき、広間は一瞬の沈黙に包まれた。

 すぐに拍手が起こり、その波はやがて熱を帯びていった。


「……素晴らしい」

「平民だと侮っていたのが恥ずかしいわ」


 そんな声が漏れ聞こえる。

 アメリーさんは深々と一礼し、その肩がほっと緩むのを私は見た。


 ふと視線を横に向けると、オリヴィエが誰よりも大きな拍手を送っている。その瞳は、ただの観客としてではなく、一人の演奏家を心から称えている光を宿していた。


 ――少しずつ。

 彼女はこの船の中で、確かな居場所を得つつあるのだ。



 演奏会が終わり、客席はまだ余韻に包まれていた。

 人々は感想を言い合い、舞台から下がったアメリーさんには次々と声がかけられている。


「……本当に、立派でしたね」


 私は小さく吐息のように言葉を漏らした。


「素晴らしかった。あれほど多くの人の心を掴めるなんて、やはりアメリーさんには特別な力があるのだと思います」


 隣で同じように拍手を送っていたシャルルが、ちらりとこちらに視線を寄せる。

 その瞳がかすかに揺れているのを、私は見逃さなかった。


「……君がそんなに褒めるなんて、妬けるな」

「え……?」


 思わず振り向いた私に、彼は柔らかな笑みを浮かべたまま、少しだけ肩をすくめてみせた。


「冗談だよ。アメリー嬢の演奏は確かに素晴らしかったから、そう感じても仕方ないんだろうね」


 軽やかな声色だった。

 けれど、ほんの一瞬の翳りが、私の胸に小さなしこりを残す。


「……妬ける、なんて」


 私はグラスを持ち直しながら、自分でも気づかぬほど小さくその言葉を反芻していた。

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