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夜会のざわめき

 寄港地の余韻を残したまま、《ル・フロラリアン》の大広間は再び光に満ちていた。

 シャンデリアの灯りが海風に揺れ、煌びやかなドレスや宝飾が一層映える。

 人々は遺跡や美術館の感想を口々に交わし、まるで一つの大きな宴の続きのようだった。


 私は壁際でグラスを手にし、穏やかにその様子を眺めていた。

 耳に入ってきたのは、令嬢たちの囁き声。


「――平民の娘だそうじゃない?」

「楽器が上手いだけで、どうしてあれほど持ち上げられるのかしら」

「所詮、客寄せの余興でしょう」


 その「平民の娘」が誰を指すのか、言われなくても分かる。

 アメリー。

 舞台で誰よりも真剣に音に向き合う彼女の姿を思い出し、胸の奥に小さな痛みが走った。


 私が眉を寄せかけたとき、隣から低い声が届いた。


「……大丈夫?」


 振り向けば、シャルルがこちらを見ていた。

 いつもの穏やかな笑みを浮かべながらも、その瞳は私の心を探るように真剣だ。


「顔が少し曇っていた」

「……噂が耳に入りました。アメリーさんのことです」

「やはり聞こえてしまったか」


 彼は小さく息をつき、視線を人波に向ける。

 私はグラスを傾け、落ち着きを装いながら言葉を紡いだ。


「アメリーさんは、私にとって大切な友人です。……だから、彼女を軽んじる言葉は、胸が痛みます」


 そう告げると、シャルルが目を瞬かせた。

 次いで、柔らかな声で囁く。


「羨ましいな」

「……え?」

「君にそう言ってもらえる彼女が。僕は、ずっと隣にいるのに」


 その言葉はあまりにも自然で、けれど胸を強く叩いた。

 何かを返そうとして、唇が震える。

 けれど、音楽と人々の笑い声に紛れて、言葉は喉の奥に溶けていった。


 舞踏の輪は広がり、次々と曲が奏でられていく。

 私は壁際に立ちながらも、心の奥ではまださきほどの会話の余韻に揺れていた。


 ――羨ましいな。

 ――君にそう言ってもらえる彼女が。僕は、ずっと隣にいるのに。


 その言葉を思い返すたび、胸の奥が熱くなり、どうしていいか分からなくなる。


「リュシール」


 不意に呼ばれ、顔を上げる。

 目の前にはシャルル。

 人々に囲まれてなお変わらぬ穏やかな微笑。けれど、その瞳だけは真剣に私を見ていた。


「僕も……君の“特別”だと思っていい?」


 心臓が大きく脈打った。

 ――特別。

 それは、婚約者として当然の言葉なのか。それとも、もっと別の意味を含んでいるのか。


 何を返せばいいのか分からない。

 胸の奥に浮かんだ言葉は、形になる前に喉で絡まり、声にならなかった。


 そんな私の戸惑いを見て、シャルルはほんの一瞬だけ微笑を深め――。


「……シャルル様、こちらへ」


 声をかけてきたのは、別の令嬢たちに呼ばれた執事だった。

 シャルルは小さく息をつき、私に視線を残してから人々の輪へと戻っていく。


 煌びやかな人々の中に彼の背が消えていく。

 私はグラスを握りしめたまま、その姿を見送るしかなかった。


 ――僕も君の特別だと思っていい?


 答えられなかった問いは、胸の奥で繰り返し反響し、夜会のざわめきの中でいつまでも消えることはなかった。

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