表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/31

芸術の国

 《ル・フロラリアン》が最初に寄港したのは、地中海沿岸に広がる芸術の都。

 白壁に赤煉瓦の屋根、狭い石畳の路地には絵画や彫刻を並べた露店が軒を連ね、陽気な楽師が広場で音を奏でていた。

 空気そのものが芸術を讃えているかのようで、歩くだけで胸が弾む。


「まるで街全体が美術館ですね」


 思わずこぼした言葉に、隣のシャルルが柔らかく微笑んだ。


「君がそう感じるなら、この街も幸せだろう」


 その軽やかな言葉に胸が熱くなる。けれど、すぐに視線を逸らし、気配を探した。


 ――アメリーの姿。


 彼女は広場の一角で、オリヴィエ伯爵と並んで小さな楽器店を覗いていた。

 手に取った古びた楽譜を愛おしげに撫で、オリヴィエと夢中で言葉を交わす。

 その真剣な眼差しは、アメリーを一人の芸術家として尊重しているのが伝わってきた。


 アメリーの頬が紅潮し、楽しそうに笑っている。

 その笑顔に、私は安堵を覚えた。

 ――彼女が幸せそうだから。


 けれど同時に、別の感情が胸を掠める。

 私はアメリーを友として応援しているのだろうか。

 それとも……彼女がシャルルと恋に落ちないから、安心しているだけなのだろうか。


 その思いに気づいた瞬間、心の奥に小さな棘が刺さった。


「リュシール?」

「……ええ、大丈夫です。少し眩しくて」


 太陽を仰ぐふりをして微笑む。

 けれど、胸に広がる影は消えてはくれなかった。



 午後、私とシャルルはこの街で最も有名な美術館を訪れていた。

 大理石の柱が並ぶ壮麗な建物。館内には古代の彫像や宗教画、そして鮮やかな色彩の絵画が飾られ、訪れる者を圧倒していた。


「この街の人々にとって、芸術は息をするようなものなのでしょうね」


 私がそう呟くと、シャルルは横で穏やかに微笑む。


「君の瞳に映ったものなら、きっと何倍も美しく見えていると思うよ」

「……からかわないでください」


 ほんの冗談めかした声に、頬が熱を帯びるのを自覚した。


 展示室をひとつ抜けたところで、見慣れた顔に出会った。

 ――アメリー・デュランと、オリヴィエ・ド・ベルナール伯爵。


 二人は並んで絵画を眺め、何やら熱心に言葉を交わしていた。

 アメリーがこちらに気づき、小さく目を丸くする。


「リュシールさま、シャルルさま……!」


 控えめながらも嬉しそうな声色。

 その横でオリヴィエが微笑み、優雅に会釈する。


「ちょうど良いところでお会いしました。今夜、この街の大広場で催される演奏会にいらっしゃいませんか? 旅の音楽家たちが腕を競い合う、なかなか見事な催しですよ」


 アメリーが、胸の前で手を合わせるように言った。


「ぜひご一緒できればと……。とても有名な演奏会だそうです」


 彼女の瞳は期待に輝いていた。

 私は思わず頬を緩め、頷く。


「ええ、ぜひ。――よろしいかしら、シャルル?」

「もちろん。君が望むなら」


 彼の返答に、アメリーの顔がぱっと明るくなった。

 その様子を見ながら、私は胸の奥に温かさと小さなざわめきとを同時に感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ