策士の微笑
扉が叩かれる音で、目を覚ました。
「レイモンド様、お客様がお見えになりました」
いつの間にか、眠っていたらしい。
僕は扉の外で待機していたメイドに従い、サロンに向かった。
サロンに入ると、ソファで紅茶を嗜む二人の女性が目に入った。長い黒髪の女性が耳に髪を掛けなおし、紅茶に口を付けている。前髪を斜めに切りそろえた、気真面目そうな少女は、どこか居心地が悪そうだった。
厚い絨毯に足音が沈む。
僕の入室に気づくと、二人はやにわに立ち上がった。黒髪の女性は突然のことに、カップを置くことも忘れ、薄紅色の液体に波紋が広がった。
その表情は緊張しているようでもあったし、戸惑っているようでもあった。しかしすぐさま、笑顔を取り繕った。
黒髪が言った。
「お初にお目に掛かります。エリスティア様。本日は急な訪問でしたのに、快いご対応を賜りましたこと感謝申し上げます」
恭しく礼をする仕立屋たち。
「セシル様」
聞き覚えのある無機質な声。
仕立屋たちとは少し離れた場所に、シルヴィアが佇んでいた。
「そちらにおわしますが、レイモンド様にございます」
セシルと呼ばれた女性は、あっと驚いて手を口元にやり、謝罪をした。
「も、申し訳ございません! ああ、なんて失礼なことを……。あまりに可愛らしいお姿でしたから、私ったら、つい――」
――どうにもそそっかしい女性のようだ。
あろうことか姉さんと僕を間違えるだなんて。
「気にしなくていいよ」
僕は彼女たちの方に近づく、
「ゴッドファーザーが名付けを間違えたんだ」
そういってドレスの裾を掴んで軽く会釈をしてみせた。
「レイモンドだ」
僕は手を差し出す。セシルはカップをテーブルにおいて、その手を取り会釈をした。
「セシル・クラインと申します。彼女は徒弟のエルザ」
エルザは一歩前に出て深々とお辞儀をした。
「よろしく」
僕はそういってエルザにも手を差し出した。
すると彼女は困惑したように、セシルをちらと見た。セシルが僅かに頷くのをみて、エルザはおずおずと手を握った。その手は緊張に汗ばんでいた。
「お目に掛かれて光栄です」
消え入りそうな声。視線は自分の足元を向いている。
僕はいたずらっぽくエルザの顔を覗き込んだ。すると、彼女は見る見るうちに顔を赤くさせた。
悪戯心がふつふつと湧き上がってきた。しかし、初対面の気弱な少女を追い詰めるほど、人道に劣ってはいない。
僕は彼女の手をするりと離し、ハンガーラックに近づく。
「随分と多いね」
「いえ少ないくらいですわ。なんせあのレイモンド様にお目通りいただくのですもの」
「エリーと呼んでよ。友人はみんなそう呼ぶから」
壁際のシルヴィアが小さな笑いを漏らす。気まずそうに口ごもるセシル。どうやら、関係を急き過ぎたようだ。
「冗談だ」
僕はそう言って手を振った。
「それで、僕に似合うのはどれかな? それを貰うよ」
ハンガーラックにかかる服に手を伸ばした。肌触りの良い光沢のある生地。それを繋ぐ糸に無駄がなく、熟練の技術を思わせた。
「どういったものがお好みでしょうか?」
一歩下がったところでセシルが聞いた。
「チクチクしなければなんでもいいや。あとできるだけ地味なのがいい」
「地味なものを?」
「ああ、愚弟としては優秀な姉上を立ててやらないとね。それに僕は顔がいいから、何を着ても自然と目立つ」
「お優しいのですね」
「そんなんじゃないよ」
ぶっきらぼうに言葉を返した。
「しかし、そうしますと少々困りましたね」セシルが唸る。「今回お持ちいたしたもので、最も落ち着いたものとなればこちらになりますが……」
「魔王でも倒したみたいだ」
セシルは笑みをこぼした。
僕はその“地味”なスーツをしばし眺めたのち、
「これでいいや」
「お待ちください、レイモンド様」
間髪入れずに、セシルが待ったをかけた。
僕はどうしたのと手を上げた。
「お時間を頂戴してもよろしいでしょうか」
「美女の頼みは断らないようにしている。ある一人を除いて」
「その不幸なひとでないことを願いますわ」
「それで?」
「はい、ご要望に沿ったものを新たに作らせていただければと」
その発言を咀嚼するのに、しばし時間を要した。
僕はシルヴィアに紅茶をいれるよう指示を出す。ソファに座り、セシルにも促した。僕は彼女が座るのを待ってから口を開いた。
「てっきり、君が来たのは四日後のパーティのためだと思っていたよ。礼服の準備が出来ていないだろうからって」
「おっしゃる通りです」
「三日とない」
「存じ上げております」
「無謀だよ」
嘲笑交じりの僕。
鏡は見ないようにした。鼻持ちならないそいつは、誰にでも牙を剥く。きっと自分にも同じ言葉を掛けるだろう。
セシル・クラインはそれを真正面から受けて、
「そういうのがお好きでしょう?」
挑むような微笑。
僕は息を飲んだ。
心のやわらいところを突くのが実に、上手い。狡猾な策士であることを、温和な笑顔でよく隠せている。気付いたときには、彼女の舞台の役者としてそこにあるようだ。王都一の仕立屋と呼ばれるには、相応の理由があるのだ。
彼女の言葉は僕の胸を射抜いた。
僕は大きくのけぞり背中をソファに預けて、天井を仰ぐ。窓から差し込む柔らかい日差しがシャンデリアを照らしている。
――賢い女性だ。
そう思った。
僕は大きく息を吸い、それを吐きざまにシルヴィアにいった。
「彼女たちに部屋を」
「よろしいのですか」とシルヴィア。「勝手に決めてしまわれて」
言葉を返そうとした瞬間に、姉さんの顔が思い浮かんで悪寒が走る。と、並走して妙案が手を振っていた。
「僕のラボは?」
「は?」
「僕のラボだよ。昔のままだろう?」
「……定期的に掃除をしておりますが」
歯切れの悪いシルヴィア。
僕は気にせずに指を鳴らす。
「決まりだ」
シルヴィアは何か思うところがあるようだが、結局口には出さずに、
「かしこまりました」
その表情はどこか不満気だ。
僕はセシルに向き直る。
「君たちもそれでいいね」
「ありがとうございます。レイモンド様」
セシルはそう言ってほほ笑んだ。ソファの後ろに佇むエルザも深々と頭を下げる。
「メイドを付けるから、必要なものがあれば何でも言ってくれ」
「ではお言葉に甘えて」
セシルの手にはいつの間にやら、メジャーが握られていた。
その後、採寸と仮止めが行われた。セシルが手際よくメジャーを操り、エルザがすかさず記録を取る。セシルは僕を質問攻めにし、デザインのコンセプトを練っていた。真剣な眼差しが熱く注がれ、思わず心拍が上がる。
ふいに鼻腔をくすぐる甘い香り。年端もいかぬ少年にはいささか刺激的が過ぎる。
ふとセシルと目が合った。しかし彼女は自然に僕から目を逸らす。そこに、明確な意図があるように僕は感じた。逡巡したのち、
「魔力障害を起こされているというのは本当ですか」
おもむろにセシルが口を開いた。
シルヴィアがぴくりと反応し、鋭い視線をセシルに向けた。傍にいたエルザが、それに小さく飛び退いた。僕はシルヴィアを視線で制した。
「どこでそれを?」
「王都で持ちきりですわ」
「話が早いね。あの偉大な魔術師が、尊大なクソガキに成り下がったとでも?」
「おおむね」とセシルが控えめにポツリ。
思わずため息が漏れる。
「心中お察しいたします。しかし、なぜ?」
「さあね。寝違えたせいかも」
僕はいたずらっぽく笑い、
「実際、どうしてなのか分からないんだ」
そう付け足した。
「一般に、魔法の使い過ぎが、原因だと聞いておりますが」
「正確には、限界を超えた魔法の行使、かな」
限界を超えた魔法の行使。それにより、一時的に体内で生成される魔力量が制限される。
多くの場合、長くとも一週間もすれば再び魔力は戻ってくる。
しかし、そう高を括って半年が過ぎた。
「では、レイモンド様も?」
「もしそうなら、僕たちはこうしていられないだろうね」
セシルはその言葉の意味を瞬時に理解したようだった。
「お力になれることがあれば、なんなりとお申し付けください」
――君が? 僕の力に?
そう言葉がついて出そうになるのをどうにか抑え、
「ああ、その時は頼むよ」
軽い雑談を交わしているうちに、仕立屋は作業を終えた。シルヴィアがベルでメイドを呼びつけた。たちまちメイドが現れ、シルヴィアの指示を聞く。メイドは優雅に翻り、仕立屋たちに呼びかけ、二人をラボに案内した。
サロンを出る前に、ふと立ち止まるセシル。
「必ずや、ご期待に添えるものを」
そう情熱的に言い残すと、徒弟に引きずられるように去っていった。
二人が見えなくなると、シルヴィアが口を開いた。
「本当によろしかったのですか」
僕はどさりとソファに腰を下ろした。
情熱を抱いている人間は好きだ。そこに絶対の自信と誇りが合わさるとなおよい。
まるで、過去の自分を見ているようで、自然と笑みがこぼれた。
「誠意を見せたまでさ」と僕。
「エリスティア様がなんというか」
「僕のラボだ。とやかく言われる筋合いはないよ。それに君だって――」
――彼女たちをソファに座らせていたじゃないか。
僕は続く言葉を飲み込んだ。
一瞬、彼女の瞳に仄暗いものを見て取った。
僕たちはしばし、無言でその場にあり続けた。




