プライバシーは保たれない
「王都から人がくるそうよ」
姉さんがぽつりと口を開いた。
食堂でのディナー。壁際では給仕のメイドたちが控えている。黒檀のテーブルには純白のリネンが敷かれ、銀製の食器に料理が並んでいた。
僕は、自分の皿のイノシシのローストをナイフで削ぐのをやめ、向かいに座る姉さんを見た。彼女は入浴後だというのに、品の良いシルクのドレスをまとい、一分の隙もない。僕も入浴を終えたばかりだが、着る服がなく、姉さんのお古の黒いドレスを着ていた。
「なんだってまた」
「噂で持ちきりなんでしょう。公爵家の放蕩息子が帰ってきた、って」
「物見遊山か。勘弁してよ」
「いいじゃない。入場料代わりに、新作のドレスを頂きましょう」
姉さんは僕をちらと見て、にやりと笑った。
僕は憮然と、肉にフォークを突き刺し口に放り込んだ。肉はひどく美味かった。思わず顔がほころびそうになるのを、必死にこらえた。
「冗談よ」と姉さん。「礼服が必要になると踏んだんでしょう。さすがは王都で一番の服飾屋よね。機を見るに敏、とでもいうのかしら」
「パーティでもあるの?」
「ええ、言ってなかったかしら」
七時を知らせる鐘が鳴り響いた。
僕たちは示し合わせたように、同時にグラスを持ちオレンジジュースを飲んだ。蓄積した疲労感を忘れさせる、すっきりとした酸味が身体に心地よい。グラスを持つのが同じなら、それを置くのも同時だった。
それを合図に、僕は口火を切った。
「いつ?」
「五日後」
「どこで?」
「ここで」
「辞退するよ」
「死にたいの?」
「言葉が強いなぁ」
姉さんの紫色の視線が痛い。
僕は渋々承諾するように言った。
「わかった、出るよ。出ればいいんでしょう? たしか、招待状が……」自分の身体をはたいてみせる。「――おっと! どこかに無くしてしまったようだ。そういうわけだから、僕抜きで楽しんでよ」
「レイモンド、私たちの入学祝いのパーティよ。主役がいなきゃ始まらないわ」
「ねえ、ずっと聞こうと思っていたんだけど、僕の進学って、いつ決まった話なの」
「あなたが屋敷に戻る少し前よ」
「なら姉さんのパーティじゃないか」
「細かいわね。いいじゃない、そんなこと」
「姉さん、僕、いやだよ。大人たちの退屈な会話に揉まれるのも、僕の部屋を勝手に逢い引きの現場にされるのも、乱れたベッドで一夜を過ごすのも、全部いやだ」
姉さんは考えるそぶりを見せ、しばらくして顔をしかめた。
「やだ、想像しちゃった」とポツリ。
雑音を振り払うように、姉さんは一つ咳払いをした。
「ともかく、服飾屋は明日来るから。そのつもりで」
「用意がいいんだから」とごちる僕。
「知らないわよ。私が呼んだんじゃない。今朝の手紙に紛れ込んでいたのよ」
そう言うと、ポケットから手紙を取り出し、メイドに渡した。
「随分と急だ」
姉さんは同意するように首を横に倒した。
メイドが優雅な足取りでこちらにやってきて、その手紙を僕に渡す。
手紙の差出人欄には見覚えのない紋章が押されていた。
僕はそれを見て、一瞬動きを止めた。
「宛先、僕になってるんだけど」
「ええ、そうね」
「プライバシーって知ってる?」
「さあ、どうかしら」
姉さんは周囲のメイドたちに視線をやり、不敵な笑みを浮かべる。
「今度、教えてくれる?」




