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どうぞ、よしなに

  夕暮れ時の傾いた日差しが、城館の白磁の壁を橙色に染め上げている。時折、吹きすさぶ風が、庭園に咲く季節の花々を躍らせ、甘い香りを運ぶ。


 風に揺られるのは花ばかりではない。


 稽古場から庭園を抜け城館に向かう、姉さんのしごきにより全身の筋肉が悲鳴を上げる僕は、風が吹くたびにふらふらと煽られ、まるで誤って起きてしまった亡霊のように歩を進めた。


 姉さんとの稽古終わりに、自分の足で部屋に戻る日が来るとは思ってもみなかった。


 昔は稽古場に誰かしら迎えに来て、眠る僕を部屋まで運んでくれたのに、今日に限っては一向に来る気配がなかった。


 もしかしたら、姉さんが疲労に倒れた僕をおぶって、部屋まで運ぶ算段だったのかもしれない。


 姉さんはといえば、体力が有り余っているのか、


「稽古場の掃除をしてから戻るから、あんたは先に帰って休んでなさい」


 と公爵家の令嬢とはおおよそ思えない発言をして、そそくさと仕事に取り掛かった。


 僕はわずかでも自分一人の時間を持てることに安堵した。


 部屋に戻ったら、ベッドに身体を投げ、枕に顔をうずめて逃亡計画を練るんだ。


 僕は硬い意志を胸に、それとは裏腹に、みっともない足取りで部屋を目指した。


 ふいに一陣の春風が、僕の足元を掬った。


 体勢を崩し、レンガで舗装された通路が、両手を広げ熱烈な抱擁で僕を迎え入れようとしていた。咄嗟にそれを避けるべく、両腕を胸の前に出す。来るべき衝撃に目が閉じた。


 最初に感じたのは、腹に何かが優しく差し込まれる感触だった。それを重心にして、右足のつま先だけが地面についているのがわかった。


 僕はどうしたことかと、目をゆっくりと開けると、そこにはあのメイド――シルヴィアのツンドラのような表情に前髪がすこしかかった横顔を認めた。


「ご無事ですか、レイモンド様」


 感情のこもらない無機質な声。


「ありがとう、シルヴィア」


 僕はそう言いながら、もう片方の足を地面につけ、体勢を整えた。


「お疲れでしょう。お部屋までお連れいたしましょうか?」


「気持ちだけ受け取っておくよ」


「さようでございますか」


 シルヴィアはそう言ってから、しばし逡巡するような素振りを見せた。


 僕はそれを気にすることなく、彼女に背中を向けて屋敷の方に歩き出した。


「レイモンド様」


 僕は、まだ何か用があるのかと振り返る。


 すると――


「は?」


 何を思ったか、シルヴィアは僕の両脇に手を入れて、そのまま身体を持ち上げた。


 僕はあまりの出来事に思考を放棄して、シルヴィアの顔を見下ろした。彼女も僕と同じように、不思議なことに直面しているという風に僕を見ていた。


「おかしい」とシルヴィアがぽつり。


「何が? 君の頭が?」


「昔はお喜びになられたのに……」


 いつの話をしているんだ。


 僕は可能な限り該当する記憶を呼び起こそうとしたが、それらしいものは出てこない。


 メイドが仕える屋敷の令息を抱き上げて静止している様は、あるいは立場が違えば微笑ましい光景だったのかもしれない。


「ねえ、降ろしてくれる」と僕。


 しかし僕の声が耳に入らないのか、シルヴィアは小首を傾げるだけで動こうとしない。


 しびれを切らした僕は、語気を強めて彼女の名前を呼んだ。


「シルヴィア、降ろし――うわっ!」


 僕が言い終えるよりも先に、シルヴィアははっと、機微に疎いと気付けないほどわずかに表情を変えた。


 彼女はその白い細腕に見合わない腕力を存分に駆使し、


「たかい、たかーい」


 と僕の身体を中空にて上下に動かした。それだけでは飽き足らず、あろうことかシルヴィアはその状態で、三度くるりと回ってみせた。


 抗議の言葉は喉元まで出かかっていた。しかし同時に胃の中の余計なものまでもせりあがってくる感覚があった。どちらか一方だけを吐き出すなんて芸当が叶うほど、僕は器用ではなかった。


 そんなことを知ってか知らずか、僕をレンガ敷きの通路に降ろすシルヴィア。三半規管に著しいダメージを負った僕は、その場にくずおれつつも、辛うじて彼女を睨みつけた。


「あら大変、やはり体調が優れなかったのですね。お部屋までお連れしなくては」


「どの口がっ……!」


「どの口がだなんて、淑女に問うてはいけません。えっち」


 そう言うと、このメイドは僕の膝の後ろと、頭の下に腕をやり、ひょいと持ち上げた。


 ルクスグリフの第二王女の書架にある書物で読んだことがある。いわゆるお姫様抱っこ、というものなのだと思う。


 第二王女の言葉を信じるなら、男性が女性にするものであると断じていた。とするなら、僕はいったいこれになんと名前を付ければいいのだろうか。


 適当な言葉が出てきそうで、出てこない。


 酔いは覚めたが、抗議の言葉も、抵抗する気力もわいてこない。


 こんなにも献身的に自分に仕えてくれる女性に対して、反抗ばかりするのは、いささか真摯さにかけるというものだ。


 澄まし顔のシルヴィアが唐突に言った。


「なんだか踊りだしたい気分」


 どうぞ、よしなに。


 僕は自分の顔に押し当てられた、女性特有の柔らかなその感触に逆らうことが出来なかった。


今回も、お読みいただきありがとうございます。


まさかメイドさんとの「たかい、たかーい」が、こんなにも恐ろしいものだったとは…!

レイモンド君の三半規管はもうボロボロです。


姉さんとの稽古、そしてメイドさんの情け(?)によって、彼の受難はまだまだ続きそうです。


よろしければ、このお話の感想や、レイモンド君へのエールなどをコメントでいただけると嬉しいです!

次回の更新も楽しみにお待ちください!


もん・えな

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