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剣と、姉と、僕の逃避

 姉さんは物心ついたころから熱心に剣術を学んでいた。


「ゴールドバッシュの次期当主として、これくらい当然!」


 とは幼い日の姉の言葉だ。


 小さい頃の僕は、自分のことを可愛がってくれる姉さんによくなついていた。


 ことあるごとに姉さんの背中を追い回しては、彼女の真似事ばかりをしていた。剣術、乗馬、狩猟は姉さんと共に学んだ。そして五歳になるころには、それら全てをすっかり忌避するようになっていた。


 はじめて剣を持ったのは二歳の頃だと聞いている。僕が母さんに強くねだったらしい。もっとも二歳児の筋力では剣どころか、木剣も上手く振れない。そのため、おもちゃの小さな剣を与えられた。当時の僕はそれを大変気に入ったらしく、常に持ち歩いていたらしい。姉さんが騎士団の訓練場で型稽古をしている隣で、僕も剣を元気に振るっていたようだ。


 ある日いつものように、姉さんがゴールドバッシュの私設騎士団の団長ウォルターと合い稽古をしていたときに、それは起こった。


 何を思ったか、レイモンド幼児は突如として剣を振りかざし、姉の元に駆け出したのだ。ウォルターとの激しい攻防を演じていた姉さんは、気を張り詰めており、余裕なんてものはなかった。しかし突如として襲い掛かる僕に、咄嗟に身体が動いた。 


 訓練の賜物だ。


 姉さんの振り抜いた木剣は、見事に僕の頭を捉え、地面に血を流し沈黙せしめた。


 頭に木剣が当たった瞬間、鈍い痛みが確かにあった。だがそれは一瞬の出来事で、幸いなことに僕はすぐに意識を失った。


 その後、医療班がすぐに駆け付け回復魔法をかけたおかげで、僕は一命を取り留めた。姉さんはその間、自分が僕のことを殺してしまったと思い込み、酷く取り乱していたようだ。


 きっとそれは事実なのだろうと思う。


 なぜなら僕の記憶する限り、目覚めて最初に見た姉さんの顔は、涙に腫れ、これまでに見たことのないほど状態が悪かったからだ。


 それ以来、僕は剣というものに恐れを抱いている。


 しかし話はそこでは終わらない。


 僕が回復し元気を取り戻すと、姉さんは以下のように言い放った。


「あれはあんたが悪い。いつも危ないから、近づかないでって言っていたでしょう? だからあんたが悪い。でもお姉ちゃんも、悪いところがあったと思う。それは、ごめんなさい。だからこれからは、こんなことが二度と起きないために、私がもっとちゃんと稽古をつけてあげる」


 これが二歳の弟をうっかり殺めてしまったと、後悔の涙を流した数日後の四歳児の言葉だった。


 それから姉さん主導による、地獄のような特訓の日々が始まった。


 日が昇り始める頃に叩き起こされ、体力作りと称し訓練場の広場を走らされた。それが終わると腕立て腹筋をし、型稽古が始まる。無心で剣を振り続け、全身の筋肉が悲鳴を上げ、意識が朦朧とし始めた頃に、ようやっと朝食を摂った。


 胃が暴れて、食事が喉を通らないのが常だったが、それを無理やりにでも腹の中に入れないと、午後の訓練に身体が持たない。僕は泣きながら食べた。


 それが終わると、合い稽古が始まる。僕は決まって姉さんと剣を交わしていたが、まるで歯が立たなかった。体格差を考慮すれば当然のことだった。しかし多少なりとも手心を加えてくれてもいいはずなのに、姉さんはそんなことは一切しなかった。終わることのない猛攻は、集中が途切れたその先に一瞬の死を連想させた。驚くことに、彼女は僕の頭を平気で狙った。それが僕の意識がある限り続けられたのだった。


 いつしかあれほど憧れ輝いて見えた剣術は、その日々の中でセピアに色褪せていき、僕の心は次第に離れていった。


 あの苦難の日々に戻りたいとは思わない。


 しかしあの苦難の日々を無かったことにしたいとも、到底思えない。なぜならば、あの日々があったからこそ、僕は魔術の才に開花することになったのだから。


 いわば厳しい現実からの逃避だった。


 どうして姉さんはこんなにも僕をイジメるのかと、深く悩んだこともあるが、彼女が僕を思う気持ちに、偽りはなかったと思う。


 でなければ、食後のデザートを分けてくれることもなかったはずだ。


 悲しいことに、僕はあの地獄の日々に、また舞い戻ろうとしている。


 久方ぶりに来た騎士団の道場は、むさ苦しい男たちの楽園の割には小綺麗に整頓されていた。


 僕と姉さんは木剣を握り、互いに向かい合っている。


 庭園での食後、姉さんの言葉が始まりだった。


「今のあんたの実力を見たい」


「今日は疲れたから明日じゃだめ?」


 僕の異議を一笑に伏すと、姉さんは不慣れな人攫いの如く、僕を引きずって道場までやってきた。


 姉さんの言葉を信じるなら、僕は三週間後に王都の名門校に進学が決まっている。大変名誉なことだが、当然、そんな場所に行く気はない。


 あるいは魔術科の講師として招集されていたなら、話は別だが、よりにもよって剣術科だ。


 笑わせてくれる。


 僕は王都に行くまでの三週間以内に、身元を眩ますつもりだ。


 作戦はまだない。


 だが、僕が昔収集していた魔道具――透明マントや魔力探知の地図――を使えれば、そんなこと朝飯前だ。


 問題は屋敷の衆人環視をいかに乗り切るかにある。


 姉さんのことだから、僕の進学は使用人たちにも当然周知されているはずだ。また、僕がこの屋敷から逃走する可能性が大いにあることも知っており、目を光らせておくように伝えているはずだ。


 少なくとも一週間は大人しくしておく必要があるだろう。


 従順で可愛げのある理想の弟を演じきり、姉さんの油断と使用人たちの信頼を勝ち得て、ある程度の自由が利くようにしなくてはならない。


 僕は自由のためならば、どんな苦難だって乗り越える覚悟がある。


 それがたとえ姉さんとの、忌み嫌う稽古であったとしても、だ。


 木剣を腰の高さで構える姉さんは、ひどくリラックスしているように見えた。その視線は真っ直ぐに僕を捉えており、一切の隙が見当たらない。


 魔術師にとって剣士の間合いはデッドラインだ。優秀な魔術師であればあるほど、自ら剣士の間合いに踏み込むことなど、あり得ない。


 当然、僕もそうだ。


 たとえ剣の嗜みがあったとしても、自分からあの間合いに踏み込むのには、相当な拒否感がある。


 許されるなら、ずっとこのままでいたい。


 馬鹿みたいに、木剣を構え向かい合っていたい。


 痛いのは嫌だし、苦しいのはもっと嫌だ。


 美人な姉さんに見惚れていた、そう言えば今日のところは見逃してもらえるだろうか。


 脳内を現実逃避のための言葉が、無数に駆け巡る。


 だが、僕は一歩、踏み出さなくてはならない。


 姉さんと、真摯に、向き合うんだ。


 そう彼女に思い込ませることが、僕の自由への第一歩になると信じて。


 僕は一つ息を吐き、そして、踏み込んだ。


 数歩で間合いを詰め、木剣を下から姉さんの胴体に向けて振り上げる。姉さんはそれを半歩下がって避ける。


 実験動物を観察するような冷たい視線に、思わず身体が硬直した。


 姉さんはその隙を咎めるように、大ぶりな蹴りを繰り出した。それを木剣の側面で防いだが、想定よりも重い蹴りに、踏ん張りが利かず、尻もちをついた。


 ほんの一瞬で間合いを詰められた。姉さんは容赦なく、振り上げた木剣を僕の頭めがけて振り下ろす。


 僕は地面に身体を倒して回転させ、姉さんの足元を払った。


 姉さんは、それに少し驚いた表情を見せつつも、僅かな動作で回避した。


「やるじゃない」


「お褒めに預かり」


 汗を垂れ流し、息も絶え絶えに吐き捨てるように言った僕に対し、姉さんは弟の成長を喜ぶような声色で言った。


――圧倒的だ。


 きっと一日たりとも、稽古を怠ったことはないのだろう。基礎の型に忠実かつ、無駄を可能な限り削ぎ落した身のこなし。体幹のブレは一切なく、相手の一手に対する冷静な判断力も持ち合わせている。魔力によった肉体強化に頼らずに、これほどの動きを可能にするのは並大抵ではない。


 認めたくないが、手のひらで踊らされるとは、まさにこのことだ。


 とはいえ、僕も中々悪くない立ち回りをしていると思う。


 尻もちをついたときは冷や汗が止まらなかったが、そこから姉さんの足元を払いに行ったのは、我ながら驚いた。

 

 自分で思っているよりも、身体がよく動いている。


 あの姉の弟なだけあって、もしかしたら、僕にも秘められた剣の才能があるのかもしれない。


 姉さんも、褒めてくれたし。


 そんなことを考えていると、ふと、姉さんの姿が視界から消えた。


 瞬間、足元に衝撃を受け、態勢を崩す。咄嗟に受け身を取るが、間に合わず後頭部を地面に打ち付けた。思わず痛みに呻き声をあげる。何が起こったのかと周囲を確認しようとしたとき、最初に映り込んだのは木剣の先だった。視線をその先にやると、姉さんの得意満面な顔があった。


「……愛しているよ、姉さん」


 その言葉を聞いて、


「私も」


 姉さんはこつんと木剣の先で僕の頭を突いた。

ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございます!


物語を少しでも楽しんでいただけたなら、作者としてとても嬉しいです。


もし「面白いな」と感じていただけたら、ぜひ評価やブックマークで応援していただけると、

今後の執筆の大きな励みになります。


これからも、皆さんに楽しんでもらえるような作品をお届けできるよう、

精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします!

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