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姉とメイドと、引きつる笑顔

 白磁の壁面に黒い瓦屋根の城館。広大で完璧に手入れされた幾何学的な庭園。色とりどりの季節の花たちが咲き乱れ、風に揺れて踊っている。その中央に白い柱とドーム型のガゼボがある。大理石を削りだした丸い天板に、曲線的な装飾が施された脚のガーデンテーブル。


 テーブルにはリネンのクロスが敷かれており、メイドのシルヴィアが手慣れた様子で食器の準備をしている。テーブルの隣に置かれた台車には、蓋がされた銀の皿。オレンジジュースの入った、精巧なガラス細工の容器が日差しに当たり輝いていた。


 シルヴィアが蓋を外し、二人の皿に銀製のトングでサンドイッチを丁寧に取り分ける。


 エリスティアはナイフとフォークを手に取り、サンドイッチを一口サイズに切り、口に運んだ。一方、僕はそれを手で取り、口に運んだ。姉さんは眉を少しひそめる。


「随分と上品ね」


「冒険者スタイルさ」


 姉さんは呆れたように小さくため息をついた。


 楽しいブランチ、とは言い難い時間だった。


 僕たちは言葉もなく、ただ黙々と食事を続けた。


 皿が空になると、シルヴィアがジュースをすすめてきた。僕はそれを手振りで制止した。彼女は一分の隙も無い完璧な会釈をした。


 公爵家のメイドに相応しい無駄のない所作で淡々と仕事をこなす彼女――シルヴィアは、まさに物語に出てくるような完璧な人物のように思える。女性としては比較的長身な僕の姉よりも少しだけ上背があり、すらりとした体躯だ。長い銀髪を後ろの方で結っている。陶器のカップよりも白く、透けるような肌。澄んだ青い瞳はいつでも涼しげだ。


 彼女は優秀なメイドであるが、僕は昔から彼女に苦手意識を持っていた。シルヴィアのあの切れ長な目が悪いのだと思う。全てを見透かされているような、そんな気がするのだ。


 シルヴィアが僕たちの食事を終えたのを確認して、皿を片付け始める。


「それで」と僕。


 姉さんは優雅に口元を拭った。


「説明してくれるんでしょ?」


「ええ、そうね」


 姉さんはそういってしばし考えるような素振りを見せた。どこから説明をしようかと悩んでいるようでもあったし、上手く煙に巻く方法はないかと企んでいるようでもあった。


「まずあんたに帰ってきてもらったのは――」


「違う、誘拐されたんだ」そういって嫌味っぽく口角を上げる。


 自主的に帰ってきたのと、無理やり屋敷に連れ戻されたのでは言外に意味合いが大きく変わってくる。その部分はいたって重要だ。


 姉さんはわざとらしく驚いて見せた。


「誘拐? 偉大なレイモンド・ゴールドバッシュが?」


 彼女は面白いと冷笑に伏した。


「僕も驚いているよ。まさか公爵家の次期当主様が誘拐の首謀者だなんて」


「レイモンド、人聞きの悪いことを言わないで。いいこと、誘拐じゃないわ。強引に連れ戻しただけよ」


「今の聞いた?」僕は鼻で笑いながら、台車の横で静かに佇むシルヴィアの方を向いた。


「語るに落ちるとはこのことだ」


 シルヴィアが静かに言った。


「おっしゃる通りかと」


 僕はほら見たことかと得意げに姉さんに向かって手を広げた。


 姉さんは刺すようにシルヴィアを睨みつけた。しかし彼女はどこ吹く風で、「お注ぎしましょうか」とジュースの入った容器をかかげた。


 しかしシルヴィアのその些細な行動が、姉さんの気に触れた。


 姉さんは自身の冷気を帯びた魔力を周囲に緩やかに放出した。彼女の周囲の銀製の皿やカトラリー、カップに入ったジュースまでも結露させた。指先を軽く動かし魔力をシルヴィアに向けて放った。


 シルヴィアはそれに動じることなく、冷静にジュースの入った容器を盾にした。一瞬の内に冷やされたジュースを、彼女は僕の容器に注いだ。


 しばし二人の交差する視線に静かな戦いがあった。


 僕はシルヴィアに注がれたジュースに口を付けた。姉さんの敗北の味がしたひんやりとしたジュースはこれまで飲んだ、どんなものよりもおいしかった。


 晴れやかな気持ちである。あの空にぷかぷかと呑気に漂う白い雲は、今の僕の心情そのものである。


 実に優秀なメイドである。


 僕が主人なら思わず暇を出すほどに。


 こほんと、姉さんの咳払い。


「三週間後にルクスグリフ王立学院への入学が決まった」


 姉さんは僕の追及を否定も肯定もすることなく、そのまま屑籠に放り込んだらしい。


 あまりの潔さに、思わず感嘆の声を上げそうになった。


 僕は非難の言葉を浴びせかけようと思案していたが、ふいにその言い回しに引っ掛かりを覚えた。


――入学が、決まった?


 エリスティア・ゴールドバッシュは公爵家の嫡子であり、ルクスグリフ王立学院への進学は既定路線であったはずだ。それなのに、彼女は学院への入学が決まった、という。これは僕の考え過ぎだろうか。あるいは高貴なる蛮族である我が姉君は、完璧で瀟洒なメイドの勝ち誇ったようなあの無表情のせいで、言葉の選択を誤った可能性は大いにある。


 僕は知らず知らずのうちに生唾を飲み込んだ。


 ルクスグリフ王立学院――それはルクスグリフ王国の由緒ある名門校である。大まかに分けて魔術科と剣術科の二つの専攻があり、そこからさらに細分化された専攻が存在する。その門戸は貴族や庶民の区分に関わらず、王国の未来を担う優秀な人材に開かれ、彼らに栄光の未来を約束する。王国外からも有力な家督の令息令嬢たちが留学先に選び、国際的な社交場としても機能している。学院の卒業生には、宮廷魔術師や王国騎士団団長、有力な冒険者になったものもいる。


 学院に入学できるのは、それ自体が優秀な人材であるという証左である。


 僕は、自他共に認める優秀な魔術師である。しかし現在、少しばかり問題を抱えている。そのことに姉さんとシルヴィアはきっと気付いてる。気付かないはずがないのだ。僕が魔力を失っていることを。


 魔力とは、身体で生成される霊的エネルギーのことである。有史千年の歴史において、様々な研究がなされ、論文が発表されてきたが、これ以上の説明は未だなされていない。それが何か分からなくとも、利用することはできる。そうして発展してきたのが、魔術であり、人類である。


 一般に全ての生命には魔力が流れているとされている。魔力は食事や睡眠などをとることで自然と回復するものである。魔力が自然に回復しない状態、あるいは魔力が存在しない状態のことを『魔力障害』と呼ぶ。


 魔力障害は、決して珍しいものではない。魔力が枯渇しているために起こることもあれば、そもそも生まれながらに魔力を生成できない者も存在する。


 つまるところ、僕は魔力障害に悩まされている。


 それは突然のことだった。どうしてそんなことが起こったのか、僕には全く分からない。いままでそこにあるのが当然であったものが、突如として失われたことは、言外に、僕を愕然とさせた。


 最初の数日間は楽観的でいられた。そのうち戻るだろうと、思っていた。しかしそれが一週間が経つ頃には焦燥感を駆られ、ひと月が過ぎようという頃には諦観に変わった。


 それが半年前のことである。


 こんな状態で学院に進学したらどうなるだろうか。考えただけでぞっとしない。


 自らそのことを認めるのは、中々どうして難しい。


 特に、姉さんにこのことを言うのは憚られる。


 なぜなら、魔力障害を起こしていることを認めるということは、少なからず、姉さんの強引な行いに正当性を与えかねないからだ。


 つまり、魔力障害を起こした弟の身を案じ、姉さんは凶行に至った。僕に正直に話し、家に戻るように話したとしても、僕は頑なだから自分の話を聞くはずはない。そうしたなら、手段は一つだ。


 その結果がこのオレンジジュースに繋がるのなら、悪いものでもないのかもしれない。


 自分があと何年生きられるかなんて知りたくもない。誰だって墓に片足を突っ込んでいると言われても、気持ちのいい人間はいない。


 僕は姉さんの口から自分の余命宣告を受けるのを、引き伸ばすべく、適当な言葉を探した。


 しかし無常にも、姉さんの方が少しだけ早かった。


「あなたも行くのよ」


「無理だよ、姉さん。僕を殺したいの?」


 姉さんは、まるで舞台役者のように大げさに首を振った。


「まさか! そんなわけないでしょう? 私のバースデー・パーティーに三年間一度も顔を出してくれなかった、最愛の弟を殺したいだなんて、そんなことあるはずがない」

 

 最後の方になるにつれて、話すトーンが低くなっているのを感じた。


「魔術科だよね」


 僕の質問に姉さんはにこりとしてみせた。


「剣術科」


 僕は頭を後ろに倒し、上を向いた。目の端であの白い雲を探した。白い雲なんかどこにもなかった。あれは不吉をもたらす雨雲に違いない。目の前の聖女のような微笑みを保つ女は地獄からの使者に違いなかった。


「……楽しみだね、姉さん」

 

 僕はそう言って、引きつった笑みを浮かべた。

第三話をお読みいただき、本当にありがとうございます!


今回のエピソードはいかがでしたでしょうか?


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ブックマークや評価をしてくださると、とても嬉しいです!


これからも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!


また、X(旧Twitter)@m0n_enaaaaでも、作品の小ネタや執筆の裏側、日々の呟きなどを発信しています。よろしければ、ぜひフォローしてくださいね!


次回の更新は、今週金曜日の20時を予定しています。


もん・えな

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