旧友の名
ささやかな食事会は和やかに進んだ。
僕とセシルの上滑りの会話。居心地悪そうな仕立屋の弟子。鼻の下を伸ばしている僕を咎めるように眺めるメイド。
交友が深まったことを疑う余地はない。しかし、このメンバーで再びテーブルを囲むことはないだろう。そのことを全員が暗黙の内に感じているようだった。
解散ムードがにわかに漂い始めていた。
さしもの僕とセシルも会話の種が尽きかけていた。シルヴィアが食器を片付け始める。
ふいに室内に言葉が無くなり、食器を片付ける音だけが響く。
「……あのっ!」
沈黙を破る少女の声。彼女は自分の声に驚いたように、顔を赤く染めて、肩を震わせた。僕はエルザの内情を慮り、柔和な笑みを浮かべて言葉を待った。
もじもじと恥じらうような素振りがいじらしい。しばらくして、エルザは意を決したように口を開いた。
「レイモンド様は、その、まだ聞こえているのですか」
消え入るような少女の声。
僕は目を見開き小さく仰け反った。なぜエルザは急に僕の聴力に言及したのだろう。真意を汲み取ろうと頭を総動員させ考える。答えは出ない。情報が足りなすぎる。
「聴力に問題はないよ」
というにとどめた。
しかしエルザは不満気だ。
「違うのです。レイモンド様、私がお訊きしたいのはつまり――“闇の声”について」
「……はあ」
年頃の娘だから、そういう時期もあるだろうと思った。
かくいう僕も、屋敷を飛び出してしばらくはこういった時期があった。孤独と空想はひとを変な方向に目覚めさせる。腫物のように扱うのも、かといって刺激するのもよろしくない。
僕が対応に悩んでいると、セシルが割って入った。
「こらエルザ、レイモンド様を困らせてはいけません」
「でも、セシル。アイリスが……」
僕は突然出てきたその名前にぎょっとした。
瞬間、エルザの言動の全てが繋がった。
***
魔術の道を究めんと屋敷を出て二週間。
僕は完全に精神を病んでいた。
屋敷にいた頃は、姉さんの過干渉に悩まされ、一人の時間を強く望みもした。しかしいざそのような状況に身を置くと、どうにも独り言が増え、空想に費やす時間が増えていく。
僕はいつしか、“闇の声”なるものと対話をするようになっていた。
設定の詳細はもう覚えていない。忘れたい。魔法を使うたびに苦しそうに呻いたり、「お前には屈しない」とか「僕は正義を成す」とかぶつぶつ言っていたのを、未だに思い出すことはある。それもひとえに、孤独を誤魔化すためである。
アリシアとの出会いは、僕のごっこ遊びが全盛を極めていた頃だった。
彼女は、僕と同い年ながら、冒険者として活動していた。自立心が強く、使命感が強く、圧倒的なカリスマ性を持ち合わせている人物である。ゴブリンにけちょんけちょんにされているのを僕が助けてやったときも、さも自分が助けてやったのだというように彼女は堂々と手を差し伸べてきた。その姿に神経衰弱の僕はまんまと騙され、彼女に心酔するようになった。
僕たちは良き友として、来る日も来る日も冒険者ギルドの依頼をこなし、困っている人々を助けて回った。驚異的な速度で功績を積むアリシアは、ギルドの最年少記録を何個か塗り替えていたようだ。しかし功績の大半は僕の助力によるものである。いつかこれについて議論をしたことがある。
「君、具体的になんかしたっけ?」
「レイモンド。君の功績は私のもの、私の名誉は君のものだよ」
妙な説得力を持つアリシアの言葉に、やはり、僕はまんまと騙される。
蜜月は二年間続いた。
なぜ終わりが来たのか、僕にはわからない。
彼女はある日、ふらりと僕の目の前から姿を消したのだ。




