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ショートケーキの恨みのように

 稽古場を後にした僕は一度自室に引き上げることにした。


 時刻は昼時を回っていたが、稽古場での緊迫した空気に当てられたのか、食欲がなかった。部屋に戻る前に、シルヴィアに紅茶の準備を頼んだ。僕はテーブルに着き、風に時折揺れるシルクのカーテンを眺め続けた。そうしているうちに、ついうとうとと船をこぎ始めた。


 微睡に逆らいながら重い目蓋をどうにか開こうとする。しかし半分も開かず、ぴくぴくと痙攣を起こしたように小刻みに震える。


 ふいに脳裏に稽古場でメイドが少年の背中に踵を落とす場面が過る。


 あの少年は何をしたかったのだろう。


 思考の糸を手繰りまとめようとするが、泥濘としたものが頭をもたげさせ上手くいかない。


 それとしばらく格闘するうちに、ややもすれば自分が何と戦っているのかも、どうして戦うのかすらも分からなくなっていた。しかし戦うことを止めてはならぬと頭の奥底から声が響き、ファイティングポーズを解くことはしない。そうしている内に気が付けばぬかるみに足が嵌まり、緩やかに意識ごと飲み込まれていく。


――ああ、遠のいていく。


 逆らう気力は微塵もない。ということはないが、もうはやどうでもよくなっていた。


 欲望に忠実であることのなんと気楽な事だろう。


 船がふわり舞い上がる。ぷかぷかとただ流るまま、当てもなくさまよう宙船。果てはいずこ?


 遠くの方でかちゃりと無機質な音が響いた。その不躾な音に船は錨を投げた。船と錨を繋ぐ鎖は不思議なことにどこまでも伸びていく。僕がそれをぼうっと眺めていると、ある時、なんの前触れもなく錨は底に着いた。瞬間、船が底の方に、からからと音を立て引っ張られていく。船から放り出されないように、ヘリを掴んだ。沈む速度はなおも上がっていく。そうしてとうとう僕は放物線を描くように船から放り出された。


「お目覚めですか」


 無機質なメイドの声。


 僕は眉間に皺をよせ何度か瞬いた。


 目の前には紅茶の入ったカップが湯気を上げていた。僕は皿を持ち、カップに口を付けた。温もりのある芳醇な香りが口の中に広がり、鼻を抜けていく。


 ほっと一息。


 どうやら無事に着地できたようだ。


 身体が温まったからか、次第に目が冴えてきた。


 辺りを確認すると、テーブルの隣には紅茶道具一式の載った台車があった。向かいの席には純白のドレスに身を纏ったようなショートケーキ。その上に燦然と輝く赤いティアラは王女の威厳を湛えているようだ。その両隣にカトラリーが配置されていた。


 シルヴィアが椅子を引きすとんと腰を下ろした。両手にナイフとフォークを持つとケーキの解体に取り掛かり始めた。ケーキを口に運び、シルヴィアは満足そうに眼を細める。


 一連の動作を僕は半ば呆れながら眺めていた。


――肝が据わっているというか、舐め腐っているというか。


 このような場合、主人として毅然とした態度で注意するべきだ。だが僕はしばらく貴族の生活から離れていたせいで、少しばかり俗っぽい感覚を持つようになっていた。身分の違いでテーブルを分けることに違和感を抱くのも、それが理由だ。


 あるいは稽古場での一件が尾を引いているのかもしれない。


 あのギブソンだかマーシャル少年のように、手痛い一撃を見舞われるのはごめんだ。


 カップの中身を飲み干しテーブルに戻した。


 僕はじっとシルヴィアがケーキを食べる姿を眺めた。丁寧なナイフ捌き、ゆったりとした動作でフォークに刺さったケーキを口に運ぶ。目を細めて調和の取れた酸味と甘味の衝撃に心を躍らせる。その繰り返し。


――……おいしそう。


 意図せず唾液が分泌され、気恥ずかしくなり背筋を正した。


「ねえ」と僕。


 シルヴィアは食べる手を止めてこちらを見た。


「おいしい?」


「とても」


 彼女の口角が微かに上がった。


 短い相槌を返し、僕は意を決し言った。


「一口ちょうだい」


「ダメです」


 即答だった。


「いいじゃん、少しくらい」


 食い下がる僕にシルヴィアはやれやれとでも言いたげな視線を投げた。


「僭越ながらレイモンド様」聞き分けのない子供を諭すような口調で、「使用人が手を付けたものを欲する主人がどこの世界にいますか。由緒あるゴールドバッシュ家の名に泥を塗るような行為は控えるべきです」


 曇りなき眼で彼女はそう言い切った。


 正論である。


 一瞬、その言葉に納得しそうになった。不純物の一切ないその眼差しは、僕の言動を恥じ入らせるのに十分すぎる効果があった。しかし、僕はそこでどうにか踏ん張り、切り返す。


「じゃあ同じテーブルに着くなよ」


 シルヴィアは虚を突かれたように僕を見た。前髪が少し揺れた。そして何食わぬ顔で再びケーキを食べ始めた。


――おもしろくない。


 僕はどうしてやろうかと逡巡したのち、視線がある一点に定まった。


 いやしかし、と自制が働く。


 だがしかし、と僕は行動に移した。


 シルヴィアがケーキを口に運んだ。瞬間、僕は身を乗り出しケーキの上に燦然と輝くイチゴを一瞬の内に奪い取る。あっと声を挙げるシルヴィア。僕は椅子の方に身体を引っ込める。腰を下ろすと同時に、見せつけるようにイチゴを口の中に放り込んだ。


 新鮮なイチゴだ。酸味と甘みのバランスも絶妙。


 たんと味わったのち喉を鳴らし飲み込んだ。


 僕はこれ見よがしに、


「美味!」


 微かに眉をピクつかせるメイド。


 僕は得意げに鼻を鳴らす。


 どうやら噛みつく相手は選べるようだ。


 背中越しに扉の開く音がした。ノックはない。姉さんだ。


 僕は頭越しに指を立てて振った。


「ノックをする習慣をつけた方がいいんじゃない」


「振り向く努力をしてから言いなさい」


 姉さんの声が近づいてきた。


 座っている僕の真後ろに立ち両肩に手を置いた。首を動かし姉さんの方を向く。シャツにパンツを合わせた簡単な装いで左腰にレイピアを指している。乗馬の後に汗を流してきたようだ。途端、勢いよく窓から風が入り込み、姉さんの長い髪を舞い上がらせる。濡れ羽色の黒髪から爽やかな香りがした。と思うやいなや、彼女の髪が無数の細かな鞭のように僕の顔を叩いた。短い悲鳴を上げ両手で顔を覆った。


「あら、ごめんなさい」


 姉さんが僕の髪を優しく撫でた。向かいから紅茶を入れる音がした。


 痛みはなかった。ただ驚いただけ。しかし目に涙が浮かんだ。


 僕は手を振って問題ないとアピールした。顔を上げる瞬間に気付かれないように目元を拭った。


「気にしないで。二歩――いや三歩離れてくれる」


「ええもちろん」


 姉さんはそういうと僕の隣に立ち、椅子から引きずり下ろした。そして入れ替わるように椅子に座った。


「三歩ね」


 僕が口を開くのに先んじて姉さんは指を一本立てた。


「医者が来たわ」


「どこか悪いの」


「バカね。〈魔力障害〉を治すために決まっているでしょう」


 僕はそれを鼻で笑い飛ばす。


「それで使用人の真似事? 意外と暇なんだね」


「なんとでもいいなさい」


「無駄だと思うな」


「見てもらわないと分からないでしょう」


「分かるさ。時間が解決するって。当代きっての魔術師もそういっていた。僕は彼を支持するよ」


「その人の名前は? 当てて見せましょうか。レイモンド・ゴールドバッシュ。でしょう?」


 姉さんは手の平を見せた。僕は肩を竦めた。シルヴィアが紅茶をすする。


 平行線だ。


 僕が折れない限り、永遠にこの問答は続くだろう。


――大人になれレイモンド。


 そう自分に言い聞かせて短く、


「分かった」


 姉さんが勝ち誇ったように眉を上げる。


 僕はすかさず付け加えた。


「ただし、今回だけだ。次はない」


 彼女は逡巡したのち、


「ええいいわ」


 立ち上がり、気乗りしない僕の腕を引いて部屋を後にした。


* * *


 姉さんに腕を引かれて医務室に入ると、白衣を着たブロンドの男の姿が目に入った。大きな窓から差し込まれる自然光によって、ブロンドが輝いていた。


 男は壁際の書架に収められている専門書から目を離し、こちらに近づくとひと好きのする笑顔を浮かべた。


「ジョン・スミスです」


 男は手を差し出した。


 僕は差し出された手を悟られないようにさっと観察し、その後、この好青年風の男の顔に視線を注ぎ、次いで全身に移す。


 おおよそ魔術師とは正反対の特徴をした男だと思った。


 微かに日焼けした肌に特徴のない平凡な顔。背筋をピンと伸ばし、重心は僅かに左寄り。何の警戒もなく差し出された右手の平にはマメがある。


 姉さんは医者が来たといった。現代の医療は魔術によるところが大きい。病気やケガは回復系統の魔法で治す。薬草や魔物の素材を調合して薬品を作ることもある。それらを適切に用いることが医療とされている。


 言い換えると魔術的知見をおろそかにして医者を名乗ることは叶わない。


 剣士が初級魔法を習得することは多くの場合において有用である。しかし魔術師が剣を学ぶことは効率が悪いとされている。


 魔術師は手の平にマメができるほど剣を振らないし、身体を過度に鍛えることを良しとしない。机に嚙り付き知識を詰め込むから自然と猫背が趨勢を極める。


 これらの事実から、ジョン・スミスは医者を騙る不届きものである可能性が極めて高い。


ここで一つ疑問が生じる。


――姉さんはこのことに気が付かなかったのか。


 ありえない。


 こんな不審な男に気が付かないはずがない。


 だが、それを咎めもせずに捨て置くのは、何かしらの意図があってこのことだろう。


 考えられるのは二つだ。


 姉さんの目が節穴であるか、僕を脅かすための何らかの余興か。


 前者でないのなら、必然的に答えもう一方に絞られる。


 大方、今の僕がどれほど無力であるかを自覚させるために大立ち回りを演じようというのだろう。そのために姉さんが騎士団の人間を適当に見繕ってきたと考えるのが自然だ。現に彼女は風呂上がりだというのに、動きやすいパンツスタイルだ。


――そうはいくものか。


 僕は背後に立つ姉さんに意識を向けつつ、うだつの上がらない若い騎士に椅子を勧めた。


「君も大変だね」


 僕の言葉にジョンは曖昧な笑顔を返した。


「出身は」


「西の方です。名もない小さな村でした」


「優秀なんだね」


「あなたほどでは」


 さすがは公爵家の騎士だ。


 自尊心を高めるのが上手い。


 さすがにジョン・スミスが彼の本名ではあるまい。この余興が終わったら改めて名前を聞くことにしよう。


 頭の片隅にメモを残してから、おもむろに聞いた。


「ねえ万年筆ある?」


 ジョンは一瞬怪訝に眉を潜めたが、


「ええ」


「借りても?」


「もちろん」


 そういって懐から紺色の万年筆を取り出してこちらに差し出した。 


 僕は礼を言い受け取った。蓋を外すと純金のペン先が姿を現す。


「いいペンだ」


 男が表情を柔らかくし口を開いた。瞬間、男の首筋に目掛けて万年筆を振り下ろした。


 魔術師であればこの咄嗟の行動に対応することはできない。しかしこの男が僕の読み通りの人物であれば、簡単に防ぐはずだ。


 結果として、僕の読みは正しかった。


 ジョンは右腕でそれを防いでみせた。


 男は双眸に焦燥を宿し、僕は得意げに笑みを浮かべた。彼に万年筆を投げ渡しつつ、僕はゆったりと姉さんの方を振り向こうとした。


 とその時、ジョンが魔力を纏い冷徹な視線を僕に投げていることに気付いた。彼の魔力を帯びた、鋭利な刺突が顔に目掛けて飛んでくる。途端勢いよく右半身が引っ張られて冷たい床に勢いよく身体を投げられる。受け身を取るのに失敗して側頭部をぶつけ、くらくらする。しかしどうにか状況を確認しようとあたりを見た。


 姉さんが男の右腕を掴んでいた。彼女の冷気を帯びた魔力が、男の腕を一瞬の内に結露させた。男は苦痛に声を漏らす。距離を取るために空いている方の手で拳を作り、姉さんの顔面を狙う。それを左腕で防ぐ。右腕を掴んだまま飛び上がり、男の側頭部に右膝をお見舞いする。瞬間、腕を離す。男は窓の方に吹き飛ばされ、壁を突き破り外の方に消えていった。


 姉さんが僕を見て、


「ここにいなさい」


 そういってぽっかりと穴の開いた場所から勢いよく飛び出した男を追った。


 部屋に取り残された僕は、目の前で起こった出来事を処理しきれずに、呆然としていた。


 局所的な嵐が通り過ぎた後のように、整然としている区画と、騒然とした区画とに二分された室内。


――思っていたのと違う。


 その時、扉がノックされる音がした。


 僕は適当な返事をする。


「失礼します」


 シルヴィアの声が僅かに固まった。


「パーティーは四日後だと記憶しておりましたが」


 僕は彼女の呑気な言葉に頭を掻いた。


「ねえ、君も一枚噛んでいたりする?」


「おっしゃっている意味が分かりかねます」


「意味が分からないって?」

 僕は口をぱくつかせながら、続く言葉を持たないことに気が付き、苦肉の策で部屋を見ろと強く全身で表現した。

 

シルヴィアは小首を傾げた。僕はため息交じりに呟いた。


「何か悪いことでもしたかな」


「イチゴを奪ったとか」


 僕はシルヴィアを見てから、窓の方に再び視線を戻した。


 その時になってようやっと、頬に僅かな痛みがあることに気が付いた。その部分に指を這わせると、赤いものが付いていた。

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