アルバートとオリバー
「今日の映画、すぐに犯人わかっちゃってつまんなかった。ね? パディ」
赤と白のポップコーンバスケットから相棒のハムスターのパディが顔をだす。
ポップコーンを両手に持ち、カリカリと音を鳴らしている。
「え? 早く帰らないとまた師匠に怒られるって? 今頃きっと昼寝でもしてるわ」
私の名前はオリバー。アルバートっていう探偵の見習いをやってる17歳の普通の女の子。
トレードマークは赤毛の天然パーマにハンチング帽、それとそばかすってところかな。
特にお気に入りは青×オレンジのアースアイっていう瞳!
結構珍しいらしくって、あまりに綺麗だから自分でも手鏡で見惚れてしまうの。
おっと自己紹介はこの辺で。
▼
「帰ってきたようだね」
黒のシルクハットをいつも被っている。この男が私の師匠。
「遅かったじゃないか。また寄り道をしていたのかな。さては新作の映画『Blue』を見てきたのかな」
ヘーゼルの瞳が全てを見透かしたように私を見つめる。
「どうしてわかったんですか」
買い出し中に映画をパディと見に行ったことがバレないように、十分気を配ったつもりだった。
パチン
Y字のサスペンダーを両手で引っ張り弾いた。
「僕には全てお見通しなのだよオリバーくん。さては塩バターのポップコーンを食べたね」
「はい、食べましたが」
オリバーは思わず服にバターがついているのかと、モノトーンのギンガムチェックシャツを確認する。バターはついていなかった。
「なんでそう思ったんですか?」
「オリバーくん、鏡を見てみなさい」
そう言われ、手鏡を手渡されて自分の顔を確認する。
「どうだい? 君の唇に不自然にテカっているだろう? それはバターじゃないかい」
「確かにそうですが、これだけでは私がリップバームを塗った可能性だってあるじゃないですか」
「君はただ眼を見るだけで、観察ということをしない。見ると観察しないのとでは大違いなんだよと」
不敵な笑みを浮かべる師匠。
「君のパディを見た時に確信に繋がったよ。君はパディと映画を見る時、味のついていないポップコーンを注文する。パディも一緒に食べれるようにね。でも、それだけでは味気ないポップコーンを食べることになる。だから君は店員さんに頼んで、溶かしたバターを飲み物を入れるカップに入れてもらったと推測できる。ぶら下げているポップコーンバスケットにパディの分を入れ、自分は後から残りのポップコーンにバターを自分でかける。だから君は僕に指摘された時自分の口ではなく、まずは服にバターがこぼれてないかを確認したのではないのかね。それに君のバスケットの蓋にもバターがついている」
パディのバスケットを見ると、確かに蓋のつまみ部分がテカテカとしていた。
「お見事です」
ついでに私はパディの入ったバスケットの中を覗いた。
パディは呑気そうにお腹を上に向け、残りのポップコーンの中ですやすやと寝ていた。
「であれば、なぜ私の見た映画までわかったのですか?」
「……君の引き出しの中に、映画の前売り券が」
師匠は黒の蝶ネクタイを直しながら言った。
「ってことはまた! パイプを吸いましたね! あれだけお医者様から言われたのに!!」
「オリバーくん。娯楽を忘れては、人はただの獣になってしまうのだよ」
「また、そんなこと言って! ただ自分に甘いだけじゃ無いですか!」
「甘い……、甘いか。そういえば、いい生クリームを手に入れたんだった。シフォンケーキを作るから、紅茶を入れてくれないか」
棚から銀のボールと泡立て器を手際よく取り出す師匠の名前はアルバート。
アルバート・ホームズ。かの有名なシャーロック・ホームズの末裔である。
イギリスのベイカーストリートで今もなお、小さな探偵事務所を構えている。
私はそんな師匠に幼い頃、スラム街で拾われたのだ。
「お? タイミングいいな。ありがたく使わせてもらうよ」
師匠は黒く背の高いシルクハットを持ち上げると、帽子の中、頭の上で飼っている鶏である、シルキーが産んだばかりの青い卵を取りだして、カンカンとボウルにわって卵黄と卵白を分けて入れた。
「美味しいクリームには、美味しいシフォンケーキをね」
そう言いながら、シャカシャカとボウルの中身をかき混ぜている時、電話がなった。
▼
師匠と私は夏の7月、日本の長野。軽井沢駅に降りたった。
依頼主は、日本ホームズファンクラブの役員の田端という男だった。
「どうもどうも! よく来てくださりました」
中肉中背、黒髪に所々白髪が見える、気の優しそうな中年男性が出迎えてくれた。
田端さんはシルバーの軽自動車に師匠と私を乗せる。
「わざわざ、こんな田舎まで来てくださってありがとうございます。いや〜、遠かったでしょ。でもまさか、アルバートさんがこの依頼を引き受けてくださるとは思いませんでしたよ」
電話の依頼は、日本ホームズファンクラブの設立40周年を祝うために、ホームズの子孫であるアルバートに講演会で話をして欲しいとのことだった。
イギリス以外からの依頼をほとんど断るのがアルバートだったので、彼が受けたと知って私はとても不思議だった。
「今から向かう場所はですね、「ホームズ庵」と言って。ホームズ作品の60遍を日本語に全訳した翻訳家の延原謙の過ごした土地に建てられた、館なんですよ」
「そうなんですか〜」
「はい。彼のおかげで毎年、日本中のシャーロキアン達が聖地とされる、この軽井沢に集まるんです。それはもう活気が溢れて、賑やかになるんですよ」
「ですって! アルバート! 嬉しいですね」
後部座席の右隣に座るアルバートにそう話しかけたが、彼は窓の外の軽井沢の景色を静かに見つめているだけだった。
「やっぱり、私の拙い英語じゃ聴くに耐えないですかね」
田端さんが目尻にシワを寄せながら言うのがホームミラー越しに見えた。
「いえいえ! ちゃんと伝わってますよ。彼、根っからの英国紳士なので、ちょっと気難しいんです」
「オリバーさんも若いのに、しっかりしてる」
「ありがとうございます」
▼
談笑していると車で30分はあっという間に過ぎて、ホームズ庵に着いた。
入り口で黒の燕尾服に白髪の長い髪を後ろに束ねた、使用人らしき人物が竹箒で地面を掃いていた。
「よくぞいらっしゃいました、アルバート様とオリバー様。会長が中でお待ちです」
案内され両脇に生垣の生えた石道を進んでいくと、風格のある玄関が見えてきた。
ガラガラガラ
使い古されていながらも、しっかりと手入れされている貫禄のある和風の館だった。
「どうもどうも! こんにちは! ようこそホームズ庵へ」
お腹から出すような豪快な声が広い玄関に響いた。
奥から出てきた恰幅のよい、スーツ姿の男性はアルバートを見つけるとズンズンと近寄ってきて、握手を求めた。
「日本ホームズファンクラブ会長の源藤秀忠です。本日はよくぞお越しくださいました」
アルバートは差し出された分厚い手に、自分の骨ばった細い手を差し出すと、グワんと引っ張られ、片思いの熱い抱擁を交わされた。
うぐっ
アルバートが会長から背中をポンポンと叩かれた時に、苦しそうな声が聞こえたのがわかった。
会長から解放されたアルバートはヨタついていた。
「こんにちは」
恰幅のいい会長の陰から、ヒョロリとした男性が出てきた。
ピーコックグリーンの瞳がメガネの奥からこちらを伺っていた。
「わたくし、小林秋人と言います。会長専属の通訳をしていて、今回アルバート氏とご一緒できるのが光栄でございます」
線が細い黒髪メガネの男性も、アルバートに握手を求めた。
▼
大きな座敷の部屋に案内されたアルバートとオリバー。
明日の講演会の段取りについての話し合いが始まった。
しかし、パディはバスケットから出て、栗色の菓子器に入っていた煎餅を呑気にかじっている。
「13時から始めまして、役員挨拶、会長挨拶を頂いた後に、アルバート氏にお話をいただきたいと思います。シャーロック・ホームズの子孫でありながら、現代でもベイカーストリートにて探偵として活躍されている、アルバート氏のお話を聞かせていただけたらと思います。その後に、今この場に出席してはいませんが、我がクラブと関係の深いイギリス文学研究家の桑部教授に、新たな研究成果の発表をしていただく流れになっています」
ひと通り田端さんが講演会の流れを説明し終わった時だった。
バタバタと茶色の髪を振り乱しながら、赤いメガネの女性が襖を開けて入ってきた。
「遅くなりました〜! すみません。いや〜来る途中、渋滞に巻き込まれまして」
そう言いながら、かの女性はオリバーの隣に座った。
「あ! もしやアルバート氏であられますか? お会いできて光栄です!
私、シャーロック・ホームズの大ファンなんです! もう、幼い頃から探偵ごっこするほどに! ご挨拶が遅れました! 私、イギリス文学研究家の桑部ソフィナと言います」
彼女は、赤いメガネの奥に光るターコイズブルーの双瞼でアルバートを見つめていた。
「アルバート・ホームズです。よろしくお願いします」
アルバートは静かに彼女と握手をした。
「どのような研究をされているのですか?」
アルバートが彼女に興味を持ったのか、両肘を机に乗せ聞く。
「私はシャーロックホームズが解決した事件を、イギリス文学を通して、当時の国の経済情勢やイギリスの社会的立ち位置を読み取り、それらが事件に与えた影響を研究をしています。逆も然りです。同時にホームズがそれらをどのように読み解き、解決したのかまでも調べています」
「興味深いですね……。私に協力できることがあれば何なりとお申し付けください」
アルバートは桑部教授に向かって柔らかく微笑んだ。
「本当ですか! ありがとうございます!」
桑部さんは教授でありながらも、少女のように喜んだ。
「そろそろお昼にいたしましょうか」
田端さんが時計を見ていった。
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「今日は会長のご出身である兵庫県の郷土料理、明石焼きをご用意しました」
用意された鉄板に、まるでチェスのように行儀よく黄色い丸が整列していた。
受け皿にその黄色い丸を取り、出汁を注ぐ。
液体をかけると黄色い宝石が磨かれツヤを取り戻すように、テラテラと美しく輝いた。
慣れない箸でその丸を持ち上げ口に入れる。
ホワホワの食感に卵の甘味と出汁の旨みが口いっぱいに広がる。
「うんま〜!」
夢中になって、次々に口に運ぶ。
「オリバーくん」
アルバートが頬をツンツンと指さす。
彼は頬いっぱいに明石焼きを頬張る私を見て、パディのようだと言いたいようだった。
「アルバートさん、明石焼き美味しいでしょ」
会長が自慢げに豪快に笑う。
「美味しいですね。たこ焼きにも似てますが、味が優しい。それはそうと、タコは別にして食べた方が良いのでしょうか?」
よく見ると会長の小皿の上には生地から出されたタコが山のように積まれていた。
「これは、今ダイエット中なものでして……歳には敵いませんな。ガハハ」
会長は立派なお腹をさすりながら言った。
「オリバーさん、出汁ポット取ってもらえませんか」
ソフィナさんに、手元にあった出汁ポットを手渡す。
「そうだ、ソフィナさん。ご両親って、外国の方なんですか?」
ソフィナさんの青い瞳を見つめる。
「そうなんです。私、父がイギリス人でですね。幼い頃はあっちに住んでいたんです」
「やっぱり! ソフィナさんを見た時に、なぜか親近感が湧いたんです」
メガネをクイっと持ち上げ、ソフィナさんは微笑んだ。
「小林さんも、外国にルーツがおありでしたよね」
ソフィナさんが話を振る。
「ええ、僕は生まれも育ちも日本ではありますが。母がイタリア人なんです」
「だからかぁ。日本にいるのにとても居心地がいいなって思ったんですよ」
オリバーは明石焼きをモキュモキュと頬に詰め込みながら言った。
「あああ、そんなに口に詰めると……」
「あっふ、あっふ、あつっ」
アルバートは何も言わずにこちらを見つめてくる。
師匠、楽しんでますね!? そう言いたかったが、オリバーにそんな余裕などはなかった。
「お茶飲んで、お茶」
小林さんが、グラスに入ったお茶を差し出してくれて、火傷はせずに済んだ。
明石焼きの鉄板をみんなで囲み、楽しいひとときを過ごした。
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夕食を楽しんだ後、事件が起きた。
「会長!? 会長! しっかりしてください!!」
男性の並々ならない声がホームズ庵に響いた。
その声は、食べた明石焼きの出汁が胃から逆流するかと思うくらい大きかった。
オリバーが使用人と談笑しながら皿洗いをしていた際中の出来事だった。
ドタドタドタドタ
布巾を持ったまま、慌てて声の方へオリバーと使用人が駆けつけると、そこには青い顔をした田端さんと、師匠、小林さんがいた。
師匠の目線の先には、会長がうつ伏せで倒れていた。
オリバーは思わず、持っていた布巾を落とした。
その後にソフィナさんも何事かと慌ててやってきた。
「みなさん、近づかないで」
アルバートはそう一言言って、会長の脈を測る。
「救急車をお呼びします」
使用人が電話をかけようとする。
「その必要はないようです。死んでる……警察を」
アルバートが目線を上げると、彼の目は探偵のそれになっていた。
落とした布巾を拾おうとするオリバー。
亡くなった会長の顔が見えた。
見開かれた大きい瞳にオリバーは違和感を覚えた。
会長って、純日本人だったよね……
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アルバートは警察の到着するまで、容疑者になりうる私を含め5人を部屋に集めた。
第一発見者の田端さんの証言。
「会長から時間になったら白湯を持ってきてほしいと言われ、扉をノックしました。すると返事がなく、居眠りしていらっしゃるのだと思い扉を開けると、会長がお腹を抑えながらこちらに倒れてきて、私のシャツの襟にしがみついてきたんです。そして空を見て言ったんです、「俺の目が青いうちに……」と」
田端さんはソファに浅く座り、唇を指で触りながら話を続けた。
「会長は夕食後、体調が良くないから休むと言われて自室に入って行ったのです。最近、病院にも通院している様子で、昨日も現地入りしてからこの近くの病院に行っておられましたので、鍵はかけないようにとお願いしていました」
「一つ質問なのですが、病気のことは何か聞いてますか?」
「いえ、何も。ただ、大雑把なあの会長が食品成分表を見るようになられていたので、肥満を気になされているのだとばかり」
「アリバイをお聞きします。会長は19時29分に亡くなりました。夕食を食べたのは19時10分頃。約20分の間の皆さんは何をされていましたか? 田端さんから順にお願いします」
「私は、談笑室でアルバートさんと小林さんとお話ししていました。19時25分になって、白湯を会長の部屋に持って行きました。それ以外は、ずっと談笑室で話をしてましたね」
「はい。田畑さんとは、会長に来るように言われてるからと言って、部屋を出るまでは一緒でしたね。覚えていますよ。アルバートさんとはずっと一緒でしたね」
「使用人の方にもお聞きします」
「わたくしは、オリバー様とキッチンで夕飯のお片付けをしていました。会長を田端さんが発見する直前に、確かに白湯を取りにいらっしゃった事も覚えてます。わたくしとオリバーさんはずっと一緒におりました」
「なるほどなるほど」
「会長は俺の目が青いうちにと言ったんだ。ってことは青い目を持つ、ソフィナが怪しいんじゃないか? みんな誰かと一緒にいたのに、一人だけアリバイがないじゃないか!」
動転している事もあるのだろう、田端さんはヒステリックになりながらムクリと立ち上がり、ソフィナさんに詰め寄った。
「確かに、アリバイはないですけど。私はずっと、自分の部屋で明日の研究発表の最終チェックをしてたんです!」
「アリバイがないからって、まだ犯人だとは決まってませんよ! いいから落ち着いて座ってください!」
私は思わず、二人の間に割って入っていた。
「オリバーさんの瞳にだって青はあるんですからね」
そう言い放つと、田端さんはフラフラとソファに座った。
「……」
「ところで、すべて食器は洗ってしまったのかい? オリバー?」
アルバートは手を顎にあて、私を見た。
「まだ半分くらい残ってます」
「ちょっと確認するよ」
キッチンに移動したアルバートはテーブルに残った汚れた食器に顔を近づける。
「アルバートくん、食器を洗っている最中に匂いはしなかったかい?」
「そういえば! 金属が雨に濡れた時のような匂いがした気が……」
すかさず金属製の出汁ポットの中を確認する。
すると中のメッキが剥がれ、金属の匂いがムワンとアルバートの鼻を触った。
「銅中毒だな。明石焼きに注ぐ鰹出汁に銅が溶け出したのだろう。しかし、一番食べていたはずのオリバーには銅中毒の症状。めまい、腹痛、吐き気などはない。私もなんともない。だとすれば、なぜ会長だけが……?」
独り言のようにブツクサと推理を進めていくアルバート。
考え込んだ師匠をキッチンに残し、オリバーは談話室にいるパディの元へ戻った。
オリバーは、さっき田端さんに瞳の色だけで、他殺と決まった訳でもないのに犯人だと疑われたことが頭から離れなかった。
「瞳の色だけで、犯人と思われるだなんてね……。パディ、早くイギリスに帰りたいね」
パディはモゴモゴと何か口を動かしている。
キッチンから、ソフィナさんも戻ってきた。
「オリバーちゃん、あなたははまるで青菜に塩ね。さっきはありがとう」
弱音を聞かれたのだろう、さっき一緒に犯人扱いされたソフィナさんに元気付けられてしまった。
「そういえば会長って、ハーフなんでしょうか?」
「いや、そうじゃないはずよ。どうかしたの?」
「いやさっき、会長の瞳をたまたま見たら青みがかっていたので」
「……?」
オリバーはその場で腕を組み考え込んでいた。
「あら、可愛い」
肩に乗ったパディがモゴモゴと口を動かしていると思えば、渋い顔をしてペッと何かを吐き出した。
地面に転がったそれは丸い粒のようなもの。
「これは、薬?」
「でかしたパディ」
オリバーは薬を持ってアルバートのもとに駆けて行った。
アルバートはオリバーから会長の目の話を切って、薬を見た途端に一目散に部屋の前に行き、身を屈めて何かを探している。
「あった」
アルバートは全員を部屋に集めた。
▼
「皆さんお集まり頂きましてありがとうございます」
「犯人がわかったんですか?」
落ち着きを取り戻した田端さんがアルバートに質問する。
「はい」
「え!? わかったんですか?」
ソフィナさんの思わず出た声が、よりその場をどよめかせた。
「まずはこれを見てください」
アルバートが見せたのは明石焼きの出汁が入っていた金属製の出汁ポット。
「これがどうかなされたんでしょうか」
使用人のおじいさんが聞く。
「よく見てください。中が剥がれているでしょ?」
ポットの中はメッキが剥げて変色していた。
「本当ですね……」
「犯人はこの出汁ポットを使って銅中毒を引き起こし、会長を殺したのです。明石焼き用の鰹出汁の入ったこのポットは、長時間火にかけられていました。短時間であれば、害はないものの温められた事から酸性の鰹出汁と露出した金属部分が反応し、銅が液中に溶け出したのです」
私はアルバートの言葉に疑問を持った。
「師匠、すみません。私、どこも具合が悪くなっていないですが」
「オリバーくんよくぞ気づいた」
アルバートが腕を組み直し、右手で顎をさする。
「私たちも同じポットから出汁を注ぎ、明石焼きを食べました。しかし誰も具合が悪くなっていない。それに一番明石焼きを食べていたオリバーくんは、このようにピンピンしています。ではなぜ、会長だけが死に至るまで銅中毒の症状を起こしてしまったのか」
アルバートはオリバーの肩に乗ったパディにウィンクをした。
「答えは、そこのちびすけくんが運んできてくれました」
アルバートは、何やら小皿に乗せた白い粒を机の上に置いた。
「これは薬?」
田端さんが、覗き込むように小皿を見つめ言った。
「そうです、これは会長が飲んでいた薬なのです。同じ物が会長の部屋の廊下にも転がっていました。恐らくそれをちびすけくんは、食べ物だと思って頬袋に入れたのでしょう」
「会長が通院していたのは、知ってはいましたがこの薬が何なのですか?」
田端さんが怯えながら聞いた。
「この薬はですねぇ、キレート薬と言って、ウィルソン病患者に処方される薬です。ウィルソン病は3万人〜3万5千人に一人の割合で発症する極めて稀な難病です。蓄積した銅が肝臓や脳、全身の臓器に障害をきたしてしまうため、それを抑える必要があるのです。」
「よく思い出してください、会長は明石焼きのタコを避けていましたよね?」
私は美味しそうに明石焼きの生地だけを食べる会長を思い出した。
「確かに避けてましたね」
「実はタコには銅が含まれているんですよ。だから会長はタコを避けていたんです。」
アルバートが言った。
「でも会長が明石焼きにしようと仰られたのではなかったですか?」
小林さんが目をパチクリと動かしながら聞く。
「使用人さん、どうでしょう?」
「確かに、明石焼きにしたいと会長様からオーダーをいただきました。明石焼きが好物だったので、お客様にどうしても故郷の味を振る舞いたかったのでしょう。しかし、その際病気のことは一切お知らせいただけていなかったです。」
「とういうことは、会長の病気のことを知っていた人物が怪しいってことに……」
私は実は田端さんが知っていたんじゃないかと思い、反射的に見てしまった。
「いや、私は全く知らなかった! 本当です! 普段から会長は人に弱みを見せないようにする方だったので」
「ここで会長のダイイングメッセージを思い出してください」
アルバートが話を続ける。
「俺の目が青いうちに……でしたっけ?」
小林さんが言葉を被せるように言った。
「そうです。僕はてっきり、言葉の意味だけを読み取っていました。会長が生きているうちに何かをやり遂げたかった、見届けたかったのだと」
「会長は今回の講演をずっと昔から楽しみにしていました。それを見届けられなかったことに無念の念を抱いたのではないでしょうか?」
田端さんが眉間に皺を寄せ、床を見つめながら言った。
「きっとそれもあるのでしょう。しかし、死に際に言葉を残す時に、そんな皮肉の入った言葉を選ぶでしょうか? わたしは会長の言葉には裏があると読みました」
「裏とは一体……」
ソフィナさんがどきりとした表情を浮かばせる。
「それは復讐です。会長は、俺の目の青いうちに……と言ったのです。本来なら青ではなく、黒が正しい表現になります。ではなぜ青と言ったのでしょう。わかりますか? オリバー」
オリバーは青の意味を必死に考えた。
ふとさっきソフィナさんに元気付けられた時の話を思い出す。
オリバーは、日本人が緑の葉っぱの野菜を青菜と呼ぶことに疑問を持っていた。
「犯人の特徴に青という言葉が関係があったから……そして、銅中毒で殺されると悟ったから」
「そうなんです。彼の瞳にはカイザー・フラッシャーという銅が沈着してできる青いリング状の線が浮き出るという、ウィルソン病の症状が強く出ていました。だから俺の目が青いうちに……と言ったのでしょう」
アルバートはそう言いながら、目の画像を見せた。
「それなら、この二人が怪しいじゃないですか」
田端さんは、特にソフィナさんを見て言った。
「まだわからないですか? 日本人の青が指す色はBlueだけじゃないですよね」
「緑か!」
田端さんは小林さんの目をじっと見直す。
「いやいやいや、待ってください。僕には証拠があるじゃないですか、ずっとアルバートさん。貴方といたんですよ。アリバイがあります」
小林さんが何を馬鹿なことを言っているんだと、鼻を鳴らして言った。
「そうですね。アリバイは完璧です」
「そうでしょう?」
「ただ、あるはずのないものが無いのですよ。田畑さん。会長は昨日、病院に行ったと言われていましたよね?」
「はい、私はそう聞いています」
私はハッと気づいた。
「処方箋と診断書」
「そうなんです、廊下に散らばっていた薬は会長が飲みかけて落とした物なんでしょう。しかし、机の上にはパソコンしかなかったのですよ。僕の目を盗んで処方箋や診断書を持ち去ることができる人物は田畑さんと小林さんだけなのですよ……!」
さっきまで余裕のあった、小林さんの顔が強張りはじめる。
「会長と親交が深く、青い目、Greenの眼を持ち、犯行が可能な人物……」
バチン
アルバートは思い切り、両手でサスペンダーを弾いた。
「それは、通訳の小林さん! あなただけです!」
「あはは、冗談を言わないでください、状況証拠だけの、ただの言いがかりじゃないですか。証拠を出してくださいよ。しょ・う・こを」
「それは……」
師匠は珍しいことに検討を完全に絞りきれていないようだった。
オリバーは小林さんが犯人だと言われる前から微妙に瞳がプルプルと下に動いていたのを見ていた。
眼を見て観察……という師匠からもらった言葉を思い出し意識していた。
「小林さん、貴方の右ポケットのその膨らみは何ですか?」
オリバーの鋭いとどめの一言が小林さんの理性を貫いた。
「アハハハハハハ〜、いっひひひひひ、ハハハハハハ、ふぅ〜。あっのクソジジィ!!!」
笑い続けて、可笑しくなった小林さんは優しい雰囲気から一変した。
「あいつのせいで、俺は俺はぁぁ!!!」
どすの利いた声で叫びながら、髪をわしゃわしゃとかき乱している。
「小林さん、貴方のことを少し調べさせてもらいました。あなた。会長から、研究を盗まれていますよね?」
「そうだ、片親の俺は必死に勉強して、支援金をもらってイギリスに留学したんだ。その大学で大学教授をしていたのが、その源藤秀忠という男さ。奴は、俺が大学生活6年間をかけた研究を学会で、自分の名前で発表しやがった。その時の栄光から今の日本ホームズファンクラブの会長の座にも座れたというものだ。あいつはホームズの名を利用して、汚した!!」
急変した小林さんの態度は狂気の沙汰であった。
「そうだ、俺は正しい。俺がホームズの代わりに奴に鉄槌を下してやったんだ。どうだ! ザマァ見ろ!! ホームズ! 私は貴方を超えました!!」
嘲笑う小林のもとに、ツカツカとソフィナさんが歩み寄った。
パァン!
「確かにシャーロックホームズはワトソンに言ったわ。君になら言ってもよかろうと思うが、ぼくは自分がすばらしい犯罪者になれたのではないかとずっと考えてきたのだってね。でもそれを超えるのと超えないのでは全く違うのよ!! 私たちは犯罪者の思考を辿れても、決してその道を辿ってはならない。ホームズが辿らなかったその道を、貴方は辿ってしまったのよ」
そのソフィナさんの言葉を聞いて、小林さんは自分の過ちに気付いたのかその場にうずくまり、その場で泣いた。
後に聞いた話なのだが、ソフィナさんと小林さんは大学の同級生で当時付き合っていた恋人という仲だったそうだ。
▼
帰りの新幹線の中で私は駅弁を食べながら気になっていたことを聞いた。
「師匠、なぜ日本には来たのですか?」
「君のルーツの手がかりがこの国にあるからさ」
とんでもないカミングアウトに私は思わず挟んでいた卵焼きを落としかけた。
「え!? 今何と言いました!?」
「そうだ君に渡すものがあるんだった」
オリバーの食い気味の質問をスルーしたアルバートは、長方形の包みを手渡した。
「これは?」
「いいから開けなさい」
オリバーが包みのリボンを解き、ゆっくり開けると中にはワインレッドのサスペンダーが入っていた。
「え? いいんですか、これって」
「君に以前言ったことを覚えているかい? オリバーくん」
「以前言ったこと……?」
「君はただ眼を見るだけで、観察ということをしない。見ると観察しないのとでは大違いなんだよと」
「言われましたね」
「君は今回、観察をしていた。君と君の相棒がいなければ、この謎は解けなかったよ。ありがとう」
アルバートがお礼を言った時、新幹線がちょうどトンネルに入った瞬間と重なってオリバーは言葉の後半が全く聞こえなかった。
「え? 師匠! 今何とおっしゃいました?」
「二度は言わないよ」
「え〜!! 言ってください! お願いします!」
アルバートとオリバーの日本での旅路はまだ続く。
(了)
初の推理もの作品を書きました。
アルバートとオリバーの続きが気になると思った方は
ぜひ評価、ブックマーク、感想お願いします。