74 同日、終末キャンセル
レスティアートと出会った日のことを今でも思い出す。
彼女を目撃した時の衝撃、心臓を掴まれた感覚、初めて口付けされた記憶。
それ以前の過去はまるで切り捨てられていくように、日に日に遠くなっていく。
それまで確かに生きていた自分はもはや別人。
あの日以前の俺と今の俺では、人格からして違うだろう。
……もしも昔の刈間斬世が、今の刈間斬世を見たらどう思うのか。
興味がなくもないが、なんとなく俺は予想がついている。
“下らねぇ”、とただ一言。
そんなことを言いながら、どうせ俺の隣にいる少女からは目を離せないに違いない──
「──おはようございます♪」
うっすらと目蓋を開けて見えたのは、絶世の美少女による満面の笑み。
絹みたいな白い髪、愛おし気に見つめてくる青い瞳、同い年とは思えぬ美貌。
俺、普通に放心。
そんな隙を見せている間に、ちゅっと柔らかめの感触が唇に触れていく。
そこでやっと瞬きして目を覚ます。
「あぁ……おはよう……何時だ今……」
「八月十日、午前五時半になりますね! 七時には拠点へ着きたいので、六時半には家を出て、如月家に向かい、触媒を受け取りに行かなければなりません!」
「そうだった……」
夏の世界危機、当日。
というのも暫定的な日にちだが──
「……♡」
もうちょっとイチャつけますね、みたいな態度でこのお姫様、離れる気配が皆無。
抱き枕志望なのか全身のあらゆる柔らかい箇所を押し付けてくる。シャンプーの混じった甘い匂いと、シャツ越しの体温の相乗効果で全身凶器になっている。たぶん殺す気なんだろう。理性を。
「いや堪能してる場合じゃねぇ……堪能している場合では……」
「あんっ♪ 朝から積極的ですねキリセ? 世界が危ないというのに──ふふふふ」
細い指が猛禽類の鉤爪がごとく絡みついてくる。
首から頬に触れ、いい子いい子と頭を撫でてくるが、気分的には蛇を前にした蛙だ。そんな気持ちになるたびに、あの感覚──心臓を握り潰された時の記憶が鮮明になってくる。
ただし付随するのは、恐怖ではなく期待。
脳髄から痺れるような感覚がじわじわと広がって、このまま意志を手放せば、望むものが手に入るだろうと確信し──
「──よし、起きるか」
「にゃっ!?」
全ての誘惑の鎖を振り切り、上体を起こした。
体のバランスを崩したレティがころんと転がる。シャツ一枚の姿なんで当然あられもない格好になっていた。ぎりぎり裾で隠れているが下着があるか分からんラインだ。
目を逸らしたところで、がばっとレティが起き上がってくる。
「つれない! キリセがつれません! 煩悩を滅却したというんですか!」
「レティの方が旺盛なだけなんじゃあ……」
「はー!? なにを根拠にのたまいますか! 私のどこが!」
「…………」
「な、なぜ黙りますかっ」
「……昨日泣かされてたくせに……」
「ばかっっっ!!!!」
顔真っ赤でクッションを投げつけられた。可愛い。
そんなこんなで朝飯を摂り、服は色々迷ったが結局二人で制服にし、レティの御髪を梳かしたり俺も髪を梳かされたりして、全ての支度を整えた俺たちは家を出た。
──次にどんな状態で自分たちが帰ってくるかなど、想像だにしないまま。
◆
「当該界域の掌握を完了した」
「座標が分かったのなら距離を破壊して移動できますよ!」
「なら俺の異能で適当な界域に連れてくから……そこから道をぶち抜いて突入するか。ついでに聖女たちの足止めもやっておく」
「ってことは俺とレティで聖女長を倒せばいいのか」
一からファイン、レティ、芒原、俺による最速作戦立案の光景であった。
その片隅で榊が手をあげる。
「あの、芒原教諭……出撃許可は」
「とにかく時間がねぇからな。上への説明は俺がやる。どうせ世界が滅べば、そんな報告もできなくなるだろうしな」
事後報告! と榊が複雑な表情をしていたが、反対する者は誰もいなかった。
なんで作戦通り、準備が整い次第とっとと芒原の異能で適当な界域に移動、そこからレスティアートが目標座標までの道をぶち抜き、一気に教会への突入完了──だ。
『高位精霊が二人も揃うとこんなことが実現可能になるんだな……』
『私とマスターは教会外にいる魔獣たちの掌握を続ける。憂うことなく問題の根幹解決に当たるといい』
「了解」
榊とファインは教会突入直前に離脱、教会の外で待機中だ。
そんな彼らの通信の声を聞きつつ、地下廊下を走っていく。
界域の影響を受けているのか、やたらと長い。そして奥へ進むたび、最奥からは得体の知れない霊力の気配が強まっていく。
『……嫌な予感がします。ディア、お気を付けを』
ああ、とレティに答えると、仰々しい意匠の大扉が見えた。
石製のものに見えるが、どうせ多重の結界がかかっているに違いない。
「《運命誓言》!」
契約に応えて刀が形成される。
そのまま速度を緩めずに斬撃を通し、扉を結界もろとも斬り裂いて破壊した。
「突入する……!」
『ハイとてもカッコいいですがなんで叫んだんです!?』
レティへの愛を叫べば気合いが入るかと思って。
ともあれ聖女たちの拠点、この教会の核心にあたる空間に来た感覚はあった。
踏み込んですぐ、床の感触に違和感を覚える。平坦ではない造り。その原因は、部屋を見渡せば一目瞭然だった。
『……! これは……』
「──チッ」
入った気合いも一瞬で忘れるほどの不快感。
骸骨で埋め尽くされた床だった。無数の白骨死体が海のように散らばり、重なりあった死の床だ。
それらの元が人間なのか精霊なのかも分からない──ただ一見して直感したのは、これらが残飯に近い代物だということだ。食った魚の骨や皮。それと同じ。
「我らの信仰に応えたまえ……聖なる母よ……天空彼方より来たりし星幽と共鳴し、此処に奇跡をもたらしたまえ──」
部屋の奥は礼拝堂。
長椅子なんてものはなく、ただの祈りの場だ。骸骨の海が唯一避けられている円形のエリアには、一人の女が膝をついて祈祷の言葉を延々と呟いていた。
そして──そいつが向かい合っている最奥の壁。
そこには何か巨大な、生きているモノがいた。
(……心臓……?)
闇の中で吊り下げられた臓物、に見えた。
ドクンドクンと鼓動が聞こえるから心臓を連想したが──違う。
アレは卵だ。
孵化する寸前まで肥大化し、今にもその中から生まれ出でようとしている災禍の根源──!
『あれが、聖女たちの信仰する「聖母」の正体……?』
「──」
速戦即決。
瞬間、白刃を抜刀して斬撃を振り放つ。
目標は胎動しているナニカ、そして無防備に背を晒している聖女長──その二者を同時に、だ。
「ッ!?」
しかし斬撃が届くことはなかった。
直撃する前に、影のような人物が乱入したかと思えば、そいつが此方の攻撃を相殺したからだ。
──俺と似たような得物、刀によって。
「間に合ったか。判断も早ければ的確、本当に此度の案件を解決できる人材やもしれんな」
男の声は後ろから。
庭園のリーダー、アンヘルのものだ。振り向きたいところだったが、目の前にいる謎の剣士から注意を逸らすことはできない。
奴には隙を見せれば斬りかかられる。そんな気配があった。
だから振り向かないまま話しかける。
「テメェ……地上の奴らはどうした」
「私とて万全な状態で君たちを追いかけてきたわけではない。ユリアンを足止めに使わざるを得なかったからな」
芒原の役目はあくまでも聖女たちを押し留めること……ユリアンの相手も追加となると、ここで悠長にはしていられない。
戦地で担任と死別とか、そんなトラウマはご免だ。
『──ディア。時間がありません。丸ごと吹き飛ばしますが構いませんね?』
「!?」
瞬間、俺の後ろにレティが顕現する気配がした。
ピクリと目の前の剣士が微かに反応を示す。俺は奴から意識を外すわけにはいかない。
後ろからレティの声が聞こえる。
「わざわざ袋小路まで出向いて頂いたのは好都合です。庭園のリーダー、聖女の長。この場で全ての障害を排除します」
「破壊の英雄精霊……前回の接敵で、私を殺し切ることは不可能だと知ったはずだ」
「ならば消えるまで消し飛ばせばよいだけです」
「──ッ!!」
レティを中心に膨大な霊力の流れが渦巻き始める。
最大出力の破壊事象の顕現。それを以って、レティはこの儀式場ごと教会を「壊す」つもりだ。
「命令ッ! 刈間斬世と破壊精霊の契約を切断しろ!!」
「「!?」」
即座に下したアンヘルのゾッとする命令内容に耳を疑う。
命令相手は俺の前にいる剣士だ。アンヘルの声が響いた途端、一直線に此方へ飛び出してくる。
「ッ……!!」
──だがその振るわれた刃を弾き返す。
一瞬の刃の狂いも許されない。こいつに一閃だろうが通したが最後、俺たちの敗北と死は決定的なものになる……!
「あ──ッ?」
だが刃と刃が衝突した時、俺は今までにない感覚を抱いた。
奇妙な既視感。
ギャィン、と再び火花が散り、金属音が反響する。
鋭い一閃。無駄のない一線。鮮やかな剣の一撃。
それはまるで──鏡映した自分の剣撃のようだった。
(……こいつ、なんだ……?)
黒い雨合羽を羽織り、フードを深く被った小さい人影。
見た目の特徴はそれだけだ。素顔を隠すなんてよくあることだろうが、この剣の軌道は、あまりにも見覚えがありすぎる。
「チッ、やはり同等か──契約番号16から96番! 破壊精霊の動きを止めろ!!」
その時、背後からとんでもない量の精霊の気配がした。
アンヘルが従える精霊か? レティへの攻撃命令を下したようだが──、
『此方はお気になさらず。あなたの戦いに集中を、ディア』
『──、ああ』
互いに背中合わせのまま、目の前の敵に意識を向ける。
……本当にレティがいると心強い。得体の知れない相手への疑念まで、どうでもよくなってしまうほどに。
──いや、まぁ。
(──普通に強いな、コイツッ!?)
相手から刃の連撃が返される。まるで俺の動きを複写しているような正確さ。
ああ、もう正直、この精霊の正体は見当がつき始めているんだが──今は一瞬を、彼女に捧げることだけを考えろッ!
「私とディアの間を引き裂こうなどと、よくも思い上がったものですね──」
直後、炸裂する霊力があった。
無数の精霊たちによる一斉攻勢。俺たちへ向けられた攻撃が視界の端に、業火や雷鳴や光線として映り込む。
されどそれら全てを、レティが制御する嵐が結界のようになって弾き飛ばしていた。
「っ──高位精霊の攻撃を、こうも容易く防ぐか……! ……だがこの霊力量、単独で現世に顕現可能な域では……? なぜ契約者を必要としている?」
「野暮な問いを投げるものではありません♪ ──消えなさい」
指摘されそうでされてなかったことに軽くレティがキレた。
莫大な霊力が解き放たれようとする。それは間違いなく、聖母も教会も、ここにある全てを薙ぎ払うものだと直感した────が。
「ふふっ……ははは! あっはははははははは!!」
突如、奇妙な女性の歓声が響き渡る。
それは──この状況下でも祈りを捧げ続けていた、聖女長のものだった。
すば抜けて嫌な予感がした。
「しまっ──」
「さぁ……我が身、我が魂を贄に! 星の大守護者よ、我らが聖母を取り込み、人界を新世させよ!」
聖女長が天高くに両腕を掲げる。
直後、聖母と呼ばれる臓物を中心に、異様な気配を覚え──、
──すぐ頭上から、大いなる視線を感じた。
と同時に。
「こんにちはお帰り下さいッ!! 〈破壊仕掛けの終極神〉──!!」
レティが力を解放したのも、そのタイミングだった。
そこでやっと思い当たった。初めからレティは、召喚されるアストラルを待っていたのだと。
対象が顕現したと同時に、最高出力の攻撃をお見舞いして宇宙へと叩き返す。
なんという……なんという博打的で神業的な技量を要される咄嗟の作戦。思いついても普通やろうとは思わねぇ。
それでもやって、完遂した辺り……彼女が英雄とされる理由が、分かった気がした。
その上で。
アストラルもまた大精霊と呼ばれる所以を、すぐに俺たちは身をもって知ることとなる。
「くっ──」
「あッ──」
「──レティ!!」
彼女が放った真紅の破壊砲が、天井に顕現した存在に直撃したと同時。
カッ、と。
眩いまでの光。あらゆる地上の色彩を消し去るほどの光があった。
レスティアートを恐れての極光か、意図のない単なる機能か。
とにかく眩いだけの光が発生し、それがアストラルによるものだと察知した俺は、咄嗟に後ろのレティを庇った。
なるべく彼女の視界に光が入り込まないよう、盾になるように。
結果──閃光が起きたと同時、俺はレティに覆いかぶさるようにして倒れ込むことになる。
……初見の行動ではそれが精いっぱいだった。
反省点があるとしたら──その後の自分たちに起こる展開を、俺は一切まったく、予想できなかったことだろう。
……予想しろって方が無茶な話だと思うけどな?
#2→#3
八月十日。この日に起きるトラブルは避けられない。
これはレスティアートとアストラルが衝突することが避けられず、また、どうせアンヘルの野郎が邪魔しに来るからだ。
前の周は、どうにか一日で解決できたが……今回も同じようにできるとは限らない。
というかループもの中に起きていい類のトラブルじゃない。勘弁しろという話だ。
レティが霊力を使い過ぎず、本来の姿で俺の前に現れてくれれば……今回も前と同じ展開にできるだろう。
だけどそうじゃなかった場合。
つまり、俺が彼女に一目惚れしなかった場合。
……正直、予想がつかない。あんな可愛いロリっ娘を邪険にする人でなしとは思いたくねぇが、なにせ出てくるのは過去の俺だ。
ひとまず今回の俺ができそうな対策は最低限、やっておいた。
未来のことは伝えない。この時点で優先すべきは、記憶を取り戻すことだ。
八月十一日までに記憶を取り戻し、日下部を止めないと……前回と同じことになる。




