66 8月9日、時永市
──翌朝。
特にまた8月8日になっていることもなく時計は8月9日を指しており、つけたテレビや届いた新聞には、トラック両断事件のことなんか一文字たりとも書かれていやしなかった。
観測局の情報操作様々だ。
『日下部くんは病院で未だ意識不明だ。容態は安定しているけどね』
「あの無人トラックはなんだったんだよ」
『残骸を調べたところ、何者かが遠隔操作したものだったそうだ。それにしてもなんで日下部くんを狙ったんだろうね? 刈間くん、なにか心当たりとかある?』
「知らねぇよ。自分の生徒のことくらい調査しとけ」
学園長とのやり取りはそんな具合。
怪奇! 暴走無人トラックの謎──なんてホラーじゃなくてよかった。精霊、魔獣はわかるが幽霊沙汰は管轄外だ。それにレティが怖がるし。
『おわかりいただけただろうか……?』
「フェイク、フェイクですっ。こ、こここんな現象、精霊でも魔獣でもありえないんですからっ……!」
通話を切ってレティの方を見る。ソファに座り、正面にあるテレビでホラー番組をガン見していた。クッションを抱きかかえて分かりやすい反応を示している。現代の夏を楽しんでいるようで何よりだ。
「やめとけって言ったのになぁ……」
「まっ! まだ諦めていません! ば、番組の策略をぉ……幽霊の正体をぉ……暴いてみせます! それが現代に蘇った英雄の使命……!!」
そんなことで英雄らしさを発揮しなくても……というか、そう言いながらまんまと番組に呑み込まれてる視聴者の典型例にしか見えねぇぞ。
『──そのとき! 画面右端に女性らしき影が──!』
「ひぃっ……!! う、うう、うううぅぅ……!!」
目を逸らさんとばかりに涙目で必死に凝視している……一周回って勇ましいな。
さて、ホラーはともかく今日は用事が入っている。学友野郎からの呼び出しだ。
(帰郷……ってことになるのかね)
夏休みといえば里帰り。
そんな気もしなくもないし、離れていたのは半年近くだし、あの町が大きく変わっている……ようなことはないと思うが……
「……そろそろ時間だな。レティ? 大丈夫か?」
そう声をかけると、ちょうどテレビの電源をリモコンで落としたレティが立ち上がり、無言で腰に抱き着いてくる。
「……怖かったなら怖かったって言っていいんだぜ?」
「…………怖かったのでなんか優しくしてぇ……」
ざっくりとした注文には、頭を撫でたり背中をさすってやるなどする。
ホラー番組は、かの英雄に普段の敬語を失わせるほどのダメージを与えたようだ。侮れないコンテンツめ、やりやがる。
◆
「ときながし?」
「そう。俺が前まで住んでた隣町だよ」
乗り込んだ列車はガランとしていた。地理的には境黎市とそれほど離れた距離には無いはずだが、あの町の付近は界域が発生しやすい。わざわざ危険地帯に行く人間など早々いまい。
「基本的に周辺の空間が不安定だからな。交通ルートこそあるが、それでもギリギリ現世側って感じだ」
「確かに……界域に似た雰囲気を感じますね。魔獣の気配はしませんが……」
こういった地域は世界中でも少なくない。
空間は歪んでいるが人間が生活できるならマシ、という感覚を持つ奴らは多いだろう。
俺の隣に座ったレスティアートは幼女形態。日よけの帽子を被り、髪はストレートに流し、戦闘状態にも配慮された造りだという薄水色と白のワンピースを着ている。俺には相変わらず可愛いってことしか分からん。
車窓の外を眺めていると、段々と懐かしい町並みが見えてくる。
高層ビルがまばらにある小さい町。田舎というほど閑静ではないが、どこか時代に取り残された郷愁が漂っている。都会未満、或いは発展途上とも言えそうな半端な空気感は、相変わらずどこか現世離れしていた。
「うわ、変わってねぇ……」
駅から出て、広がった風景の見慣れようにそんな声を漏らしてしまう。
寂れている。見事なまでに廃都市の一途を辿りつつある。全然人通りがない、駅前なのに車もない、というかここで降りた客が俺たちしかいなかった。
「集合場所……自販機前、というのは?」
「行きつけの駄菓子屋。あいつが指定してくるのはあそこしかないからな」
指定場所に向かって歩き始める。
ごちゃごちゃとまとまりのない建物は、この町に無数の路地裏を作っている。地図があっても初見さんなら迷う道のりだ。だがそれなりに歩き慣れたベテランこと俺にかかれば、迷路のような路地裏は、ある程度ショーカットとして応用できる。
「まるで魔獣の出てこない界域のようですね……」
「何年か前までは本当に出てたけどな。ここも落ち着いたもんだよ」
だが廃墟になっているものも多い。一応覗いてみるが、魔獣の影はなかった。
……静かだ。蝉の鳴き声もなければ、夏だってのに暑さもあまり感じない。しばらく境黎市にしたせいか、この町が随分と異質な場所のように思えてくる。
「……ディアの記憶を覗いたせいでしょうか。私もどこか、懐かしい感じがします」
「ふうん? でもレティって、封印されてる間はずっとこの町にいたようなもんじゃないのか?」
「ああ……それもあるのかもしれませんね。……というか、私って誰に封印されたんでしょう?」
「レティを封印した奴か……」
地味に明らかになっていない謎だよな、それも。
やはり帝国……皇帝の差し金だったのか? だったらなぜ、あの日あのタイミングで目覚め、俺と出会ってくれたのか?
──考えたところで仕方がない。
いつかどこかで、隣の席に座った奴が「自分ですよ」とあっさり自白しにくるのかもしれないし。
路地を出る。広い道路が見えた。そこから左手側に振り向けば、一軒の駄菓子屋が鎮座していた。
──チリン。
涼やかな風鈴の音。瓦屋根で年季の入った店構えは、まるでこの町の長老を主張しているようだ。その在りようも、半年以上前からずっと変わっていない。
ホントにココもいつからあるんだろうな。
「お、来た来た。久しぶ──ってSPだぁッ!?」
ちょうど栄紗が店から出てきた。肩を出すタイプのブラウスに短パン。鳶色の髪色に瞳、片手には棒付きアイス。夏によく見る一般的な一般人の格好だ。
かくいう今回の俺は半袖ズボン、それにサングラスをかけたファッション。なにか文句でも?
「完全に組の若頭とお嬢にしか見えないんだけど……」
「? ディアはディアですよ?」
「いや斬世は分かっててやってるでしょソレ」
当然だ。伴侶を引き立たせるためなら俺は全力でちょけるぞ。この格好なら変な虫どころか、人間も寄り付かないからな!
「いきなり呼び出して何の用だよ」
「協力要請。ま端的に言っちゃおうか──来週のアストラル対策作戦、斬世とレティアちゃんも参加するんでしょ?」
「お前はそういう情報をどこで聞いてくるんだよ……」
正確には対アストラル撃退作戦、だが。
主要五組織の精鋭を集めて、アストラルの顕現に備えるという話だ。俺とレスティアートは、当然ながら参加が決まっている──
◆
これは回想。
総合会議室に呼び出された時のやり取りだ。
塵一つない清潔な会議室。
真っ白でぐるりとした円環状のドーナツみたいな穴が空いているデカい机。
そこにズラりと六つの椅子が並んで、入口に近い席の一つに俺は座っていた。
左側の壁は全面ガラス張り。その向こうには闇よりも黒々しい宇宙があった。
「決行日は八月中旬。──そこから先の世界……つまりは未来の景色を、私は観測できていない」
そう言ったのは俺の正面、局長代理──学園長アサギ。
以前に語っていた“世界の滅亡だけが視える未来視”──それで見た結果を。
「八月中に世界は滅亡する可能性がある。もちろん、まだ私の観測できていない要素があるのかもしれないけどね?」
「……いきなり壮大な切り出しだな。それ、的中率はどれくらいなんだよ」
「ゼロに決まってるじゃないか。一パーセントでもあったなら、とっくに世界は滅んでるよ?」
──逆説、ほぼ確定的な事実であると。
“滅亡の未来を視るたびに回避してきたから的中率はゼロ”。こんな調子で世界はよく滅びかけていたらしい。知りたくなかった事実すぎる。
「大精霊アストラルは確実に顕現する。いや、百歩譲って顕現まではいい。問題は、それに乗じようとする輩だろうねえ」
そう若い男の柔和な声が差し込まれる。
学園長の席から見て、その右側の椅子に座っている奴だった。
『魔断霊廟』が長、墓守エミオザリム。
前下がりの薄緑色のミディアムロングヘア。二十代にみえる顔立ち。細身で薄幸そうな肌の色。瞳は濁ったように光がなく、顔には張り付けたような笑みを浮かべ、黒い学生服のような格好をしていた。
魔断霊廟──現世の精霊士機関の一つ。
魔獣殲滅任務の中でも、半端に魔獣に食われ、侵蝕された精霊士なんかを処断する組織だという。世間では掃除屋のイメージが強いか。
「教団が消えた今、『伝承庭園』と『聖召機関』が動き始めるだろう。斬世くんたちは今、その両組織のどちらにも面識があり、目をつけられている。釣り餌としては絶好の適役だ」
「堂々と思惑をぶちまける度胸は褒めてやるよ。向こうが馬鹿正直に俺たちに突っ込んでくるのか、っつー疑問は残るけどな」
「はははは! 確かに! 僕だったら絶対に嫌だね! どんな手段を使ってでも、裏技チートバグ反則技、なんでも漁ってから挑みにいくなぁ!」
ケラケラと笑うエミオザリム。不気味すぎる笑い方だ。
なんか背中を見せたら刺してきそうな雰囲気してるし……
「真面目な話──連中の主戦力と衝突してなお、余力をもってアストラルに対処できる精霊士は、彼と英雄精霊様くらいのものだろう」
新たな声の主は、エミオザリムの右隣──俺から見てすぐ左側にいる女だった。
こっちも二十代くらいで、真っ赤な長い髪を雑なハーフアップにしていた。赤いドレスのような戦闘装束が豊満な胸部を強調している。会議室の雰囲気が最も似合わない。常に戦線に立っていそうな奴だ。
『カルマ戦線』、将軍ハイナ。
苛烈そう、というよりどことなく……奏宮姉こと副会長を想起させる、真面目そうな印象を受けた。
「戦闘記録を見せてもらったが……英雄精霊様の契約者以前に、彼自身が戦士として優れた技量を持っているしな。剣技は君の祖父から習ったものなのか?」
「俺の剣には経験とか鍛錬とか努力って概念はねぇよ。聞くだけムダだ。その上で、俺はあんま人間相手に刃は振りたくねぇ。精霊の力を借りてまで殺人したいとは思わねぇしな」
「ふむ……君、我が戦線に加入しないか?」
「しねぇよ!」
カルマ戦線は確か……対厄災精霊に特化した特殊部隊だったか? 実に面倒そうだ。絶対に入りたくない。
「話を戻すけど、要は『伝承庭園と聖召機関をあしらいつつ、アストラルに穏便に帰ってもらいたい』ってことだ。そのためには、本来、我々人類は『王冠』を探す必要があるんだけどね」
「王冠?」
聞き返すと、学園長はうんと頷き、こう続けた。
「アストラルが唯一『好む品』。かの永劫の大守護者、アイオーンから贈られたという聖遺物だ。アストラルはそれを探しに地球にやってくるんだけど……王冠は現在、失われていてね。歴史の中で界域の侵蝕に呑まれた……というのが通説だ」
「……まさかそれを探せって言うんじゃないだろうな?」
「そんな無茶ぶりは頼まないよ。なにせ『王冠』の正体がなんなのか、セラフィエル様でも分からないっていうし、第一、発生する全ての界域をくまなく探せ──だなんて人間のできる所業を越えてるしね」
拷問の一種かなんかに数えられそうな内容だ。
だが、だったら……
「……じゃあどうすんだ? 探すにしても探せないなら──」
「対話も交渉も通じない相手に、我々人類が持てる手段はなにかな?」
「……物理的対話?」
「そう。すなわち──“撃退”だ」
王冠を探してる? そんなの地球にはねぇよと殴って黙らせる──
大精霊の一角を相手に、それを大真面目にやる。
野蛮にも程がある手段だが、それくらいしかマトモな手段がないと、こいつらは言っているのだ。
「だから頼みの綱は君たちなのさ。『英雄』のお二人さん♪」
以って作戦名はこう命名された。
アストラル撃退作戦──と。




