63 召喚拒否
流石につかれた。
観測局総合会議室、そこからようやく解放されて廊下に出る。
ふらふらとした足取りでそのまま少し金属製の廊下を歩き、やがて設置されていたベンチに腰を下ろす。携帯で時刻を確認すれば午後八時をまわっていた。
「……おかしい。俺は事情聴取に呼ばれたはずだ。だってのに、なんで後半からお前とお偉いさん方の交渉戦になってたんだ……?」
「この機に、お互いの立場をはっきり整理した方がいいかと思いまして。ディアはお疲れのようですね?」
目の前にレスティアートが現れる。余裕の微笑みを浮かべる様は王者の風格だ。あれほどの舌戦を繰り広げておいて、疲弊した様子をおくびにも出しやしない。
精霊、人間というより、この辺は育ってきた環境の違いなんだろう。こいつ、「交渉」というものに長け過ぎている。普段はお目に掛かれない一面だ。
「俺は途中から頭が回らなくなってたぜ……そもそもなんで交渉することになったんだっけ?」
「いくら界域が活発化しているとはいえ、一個人に業務を偏らせる構造は社会として不健全。ここ数日間は特にそれが顕著でした。私とディアに回される任務が多かったでしょう? 以前の私なら『使命』の一環として黙々とこなしていたでしょうが……今の私はあまり我慢が利きませんので!」
にこっ! と深まる上品な微笑。
なるほどつまり俺と過ごすプライベートタイムが減ってたのが事の発端らしい。笑顔の背後に鬼面が見えるぜ。
こちらが要求したのは、俺たちの適切な休養期間と、現在の精霊士部隊の再編制。
交渉内容は主に業務方針のすり合わせだ。俺とレティの界域除去班は、確かに一度で多くの領域を削れるが処理限界というものがある。この調子で討伐を任され続けたとて、待っているのはただの過労死でしかない。
『──現時点での組織運用は理解しました。五つの主要組織が互いに監視し、均衡を保つ。少しでも綻びが出た時、それは精霊士社会の情勢がそのまま表れる形となる。貴方たち「代表者」は、傲慢にも人類意志を代行する存在だと』
魔獣討伐結社──総帥。
カルマ戦線──将軍。
全徒教会──教皇。
魔断霊廟──墓守。
国家異界観測局──局長代理。
あの会議室に揃っていた面子はその五人だった。現世における主要組織、そのトップたち。
終わった今だから振り返ると、なんか漫画とかで組織のメンバーが一堂に会するような光景だった。俺の顔見知りといえば教会代表の天寺の爺と、
『そう言われてもね。この仕組みは帝国から続いた統一国家の最後の王──つまり君の血筋にあたる人が作ったものだよ?』
『でしょうね。ここまでシンプルな合理性と人間味の欠片もないシステムは皇帝陛下の子孫しか在り得ません』
「……で、なぜか学園長が局長代理で来てたんだよな」
あの会議室における一番の不思議。
学園長アサギが局員服で出席していたことだ。ありゃあどういう意図だったのか?
「彼女が選ばれたのは単にディアの知り合いだったからかと。私が今回の面談を好機と思ったように、向こう側もここで改めて私たちのパーソナリティを確認したかったんでしょう。となると、私とディアの出会いの発端に関わった人物が最適です」
「……まぁ、観測局の局長の正体は、局内外の誰も知らないらしいからな」
一応、観測局の公式サイトや案内パンフには、それっぽい名前が載ってはいるが。
その人物を、誰も見たことがないらしい。実質的な現代人類のトップ──大精霊セラフィエルの契約者。それが観測局の局長だ。
重要人物だからこそシークレット。
よくニュースとか会見で表に出てくるのは、副官や周りにいる奴らっぽいしな。
「あいつら五人の均衡システム……? ってのは、なんなんだ?」
「一目でわかる現世情勢、というやつです。代理を含め、あの方たちの関係性は現世における精霊士社会の縮図。世が平和であれば彼らは人類代表として団結し、逆に均衡が崩壊すれば、いつでも人類と決別するでしょう」
「……えーつまり、裏を返せば人類裏切り予備軍ってコト?」
「ですね。裏切った一組織が終末世界で立て直しを図る救世の礎となるか、それとも人類の超えるべき障害と化すか──それはその時になってみないと分かりません。ま、平和であることに越したことはありませんけど!」
「そりゃあそう」
よく出来たシステムになってやがる。
誰が裏切っても、それはある種の転換期が訪れたことを指すんだろう。
終末世界が舞台のゲームを想像しよう。そこで生まれたいずれ救世をなす主人公が陣営に入り、物語を展開する……その陣営が、かつては世界を裏切った組織かもしれないし、裏切られて取り残された側かもしれない。だがどう転んだところで、人類が再起する土壌がある。つまるところ彼らの役目はそういうものだ。
人類が魔獣に敗北した時の保険。
このシステムを構築した者は、人でありながら神のような視座を持っていたんだろうか。
途方もない設計だ。
「ちなみにレティ的に、今の結束具合はどうなんだ?」
「ほどほどに。普通に。いい感じ寄り。このまま安全運転を続けてください。変な野心を持った人が出たらすぐに周りで囲って処理するように」
「為政者ぁー……」
まだ見ぬレティの一面に戦慄できたところで腰を上げ、歩き出す。
ライフゲージも少しは回復した。あの会議で詰め込まれた情報を咀嚼しつつ、安全に確実に迅速に家に帰るとしよう。まず考えるべき事項といえば、
「大精霊アストラルの撃退依頼……か」
討伐じゃねーのがネック。
“倒す”とか、そういう次元の相手ではないらしい。
「先の会議で提示された任務ですね。此方の要求を呑む代わりに、参加してほしい作戦だと」
「最近、やけに界域が多いのもそいつの接近のせい? らしいな」
大精霊アストラル。星を司る大守護者。
……安心してほしい。「星」とか言われても、俺にもまったく想像つかない。宇宙に関する精霊だとかは知ってるが……
「スケールが大きすぎて戦うビジョンが浮かばねぇんだけど……撃退できるモンなのか? 精霊ってより、“現象”に近い存在なんじゃねぇ?」
「鋭い視点ですね。認識としてはそれであまり外れてはいないかと。かくいう私も、アストラルに関しては実在を疑うくらい縁遠いものです」
「え、そうなの? けど一応は大精霊なんだから、帝国の守護精霊……だよな?」
「帝国『を』守護する精霊……というより、帝国を『見逃した』精霊……という側面の方が強調されていますからね。共生関係にはありますが、それは互いの存在する境界を守ってのこと。それを侵害するとなれば、かのアイオーンの伝説がごとく、アストラルに対処しなければなりません」
そういえば、と思い出す。
──『あまり「外」を注視しないようご注意ください。“向こう側”はある方の領地なので』
「向こう側……」
それはつまり、太陽系の外側。遥かに広い広い宇宙の果ての果て、それら全土を領地としているのが大精霊アストラル。
地球が人類の生存圏になったのは、「地球以外」をアストラルに譲ったからだ。
結果、人類は今日に至るまで宇宙を眺めることしかできず、己の足で地から離れられないでいるのだ──とか、そういう古い伝説もあった覚えがある。
「ともあれ作戦の詳細はセラフィエル様に訊かなければなりませんね。アストラル係といえばあの方ですし」
「係って……」
まぁ、あの天使が現世に顕現したきっかけが、アストラルと人類間を繋ぐ翻訳者……だからか。
その時は永劫の大精霊がセラフィエルを幽世から呼び出したんだっけか? 結構な無茶ぶりの仕事だよな。
「はぁ……なんか色々、考えることが増えてきたな……」
とりあえず庭園は後々邪魔しに来そうだから早急に消したいところだ。
それからアストラル撃退……アイオーン探し……ひとまず目の前のものをこなしていけば、どっかで点と点が繋がるか? 大精霊繋がりだし。
「……ま、帰ってからにするか。夕飯どうすっかな……」
「あ、冷蔵庫の在庫的に肉じゃがなど作れそうでしたよ!」
「じゃあそれにすっかぁ」
思えば今日は良夜たちと遊びに行って、討伐呼ばれて、庭園のリーダーと出くわして……色々ありすぎた。そういや良夜たちの方は問題なく帰宅できたんだろうか──うん、携帯のメッセを確認する限り問題なしと見た。次に遊べそうな日はまた数日空きそうだな……
二人で無人の廊下を歩き、エレベーターに乗り、五階から三階へ。
非常に面倒ながらこの観測局とかいう施設、総合会議室までへのルートが毎日変わるらしい。なんで今日は一階へストレートに行けず、三階からまた別のエレベーターに乗り換える必要がある。
ゴゥン、と鉄の扉が開く。外に出ると一気にエリアの空気が変わって、忙しそうに往来する局員たちの姿が見られるようになった。
『おや? この辺りは精霊が多いですね』
──エレベーターを出ると同時に姿を消していたレティからそんな一言。
精霊を肉眼で視認できる彼女だからこその感想だろう。近場を見回してみると、ガラス壁で隔てられた区画と、その表記を見つけた。
『この階は「召喚室」ってのがあるらしいな。それのせいじゃねぇか?』
『あ、ほんとですね。ですけど……その……多すぎる、ような……? なんだか、精霊側が吸い込まれているような……一室に掃除機が如く吸引されているような……??』
なにその表現。どういう光景が広がってんだ?
疑問を呈さざるをえない所感に訊き返そうとしたところで──
“──万象を守護りし者よ。人界に仇なす脅威を打ち払う者よ”
「……んッ!?」
『えっ!? な、なんですか!? この声……!』
妙な文言が頭の中に響いた。
この詠唱文……精霊召喚か!?
“──我が呼びかけに応え、使命を果たさんと誓いたまえ──”
「レティにも聞こえてんのか!?」
『は、はい! な、なんか……私、召喚されかけてます!?』
「はああッ!?」
おのれ不届き者、いやそれ以前にどうやって!?
レティを召喚できんのは召喚本を持ってる俺だけのはずだ、だから原理的に──原理的にありえねー事象が起こってんぞ!? どういうことだ!?
“──詠唱以下略ゥ! とりあえず顕現せよ! 我が契約の精霊よ──!”
んな無茶な詠唱破棄があるか。
思わずそんな感想が浮かんでしまった瞬間、
『ッ、嫌です!! もう好きな人がいるんですッ!』
レティから強い拒否反応。
召喚却下。断固お断り。
その想いは刹那に具現し、稲妻か落雷か──バチッと周囲の空間に光が奔り、
「ぐはァ──ッ!?」
カッ!! と閃光。
直後に召喚室と書かれた区画、そこにいくつか備え付けられていた扉の一つが爆散した。
というか人間が吹っ飛ばされてきていた。……あいつがさっきの詠唱者か……?
(いや、つーかあの声──)
「……は。はは、はははははは…………シンプルな拒否意志、しかと受け取った。……なんか若干フラれたような感覚があるのが解せないんだが……まぁいいか……」
召喚室に踏み入り、もくもくと煙で白んだ空間に近付けばそんな声が聞こえてくる。
大の字で倒れていた人影は、そこで急に勢いよく立ち上がった。
「ふ、──ははははは!! いいだろう、ならば継戦だッ! バイト代が入ったばかりのオレを甘く見るなよ精霊どもめらッッ!!!!」
──狂乱状態としか言いようのない形相で、高笑いと共に一人の精霊士がそう吼えた。
つーか金髪眼鏡だった。
だがいつもは死んだ魚の目のようなレンズの奥の瞳は今、闘志に燃えている。
それはまるで戦線帰りの敗残兵、否──爆死中の課金兵のようだった。
……なんでだよ!?




