58 世界の端で
──崩壊の夢を見た。
暴風が吹きすさぶ。舞い上がった瓦礫と塵は虚無に還っていく。
都市が壊れ、築き上げた文明が、跡形もなく砕かれていくのを見た。
世界がミキサーにかけられているような光景だった。
空間を砕き、次元を引き裂き、竜巻のようにギャリギャリと文明都市を渦に巻き込んでいる。崩壊は破壊を誘発し、破壊は虚無すら叩き壊さんばかりの轟音を上げていた。
「なんだ──これ」
暴風の中心から離れた位置に、俺は立っていた。
格好は着慣れた制服だった。いつの間に着替えたのか? 思い出せない。
ソラを仰げば、黒々しい無音の空が広がっている。
色彩すら灰色の暴風に壊されているのか。しかしその災害は、この災厄は──まったく脅威に思えない。
まるで雨が降っているような、虹がかかったような、そんな当たり前の感覚に近い。脅威であるハズなのに、そうとは認識できない。
自然の摂理。
世界の終わり。
そんな言葉が思い浮かぶ。
──この終わりがやがて来る。どの世界にも、平等に。
「!?」
不意に、「知識」としてそんなことを思い出した。
いや違う、俺はこんなことを知らない──別の意識が、知識と認識させることで割り込んでいるのか?
「これは……なんだ? 未来視か? なんで俺に見せる?」
──カタストロフィがそこにいる。類を見ない世界線だ。
「は……?」
──興味深い。そのような世界は、初めてだ。
……まるで自分の頭と会話しているような気分だ。いちいち思い出すような感覚のある会話なんて、もはや意志のやり取りとも言えない伝達だろう。
然れど、このやり取りが俺の妄想でも幻覚でもないのは分かる。
俺は彼女のことを、「カタストロフィ」なんて、無意識でも呼ぶことはないからだ。
「お前……お前は、アイオーン……なのか?」
答えはなかった。
質問として認識されていないのか、それとも愚問だと認識されたのか。
いずれにせよ、本物だと仮定するなら俺が訊くべきことは一つだけだ。
「応えろ。一体どこにいる?」
──私は常にここに在る。
ザざッ!! と崩壊の風景がノイズと共に遠のいた。
直後、舞台が変わっていた。終局の気配からは大きく離れた王城だ。──謁見の間。陽光が差しているのか、随分と周囲が眩しい。
そこで俺は、玉座を見上げていた。
一人ぶんの影が、座っている。
顔も格好も、逆光でよく──見えない。
──汝は何の理を以って、我が前に立つ?
荘厳な問いかけだった。
かけられた重圧に叫び出したくなる。何を言っても、どう反応しても、以後の己の全てが目の前の存在に掌握されてしまうような恐怖。
それは、死そのものが意志を持って問いかけてきたような。
故に其は終着点。原始にして終局の座で待つ、永劫の大精霊──
「──貴様の座を寄越せ、永劫精霊」
知ったことかと前に踏み出した。
もう一歩と行きたかったが、身体が──精神が拒絶する。
これ以上の先に踏み込めば、彼女の元に帰れなくなる。
──面白い。そのような者も、初めてだ。
景色が白んでいく。目が覚めてしまう。
意識がもう、保てない。
──待っているぞ狩人。善き新世を。
「待ッ──」
覚醒の予感に吞み込まれる。
果ての景色は、そこで閉じられた。
◆
……なんか苦しい。
そんな一念で意識が醒める。体に乗った謎の重りがなにかと考察する前に、目蓋を開けた。
「……うう?」
「──あっ」
視界に映る白い可憐な人影。案の定、レスティアートだった。
ロリの姿で布団の上から俺の下腹部辺りに座り込んでいる。衣服はいつものネグリジェではなく──
「……そのシャツ……」
「こっ、これはええと! 偶々そこにあったので、ええ! 深い意味はありませんよッ!?」
ぶっかぶかな俺のワイシャツを着て謎の弁明をするレティ。
なお、俺は服を着ているので、彼女のは恐らくタンスを漁ったものだと思われる。
うわー、いい景色。寝起きから頭がおかしくなりそうだ。
「と、とにかくおはようございます……なにもシテナイデスヨ?」
「なんかしようとはしてただろ……」
かぁっ……とその顔が赤くなっていく。
なにその反応。寝たフリに切り替えた方がよかったか?
「き! 記憶に異常はありませんか! 意識に問題は!?」
「意識……? あー……えっと……」
──そうだった、とそこで完全に眠気を払って正気を取り戻した。
「アイオーンを見て、俺……」
「気絶! ですね。けどこればかりは仕方ありません。記憶越しなら平気かと思いましたが、やはり流石は原始の大精霊。あんな光の塊にしか見えないといえど、存在の情報量はケタ違いです。……というか、当時の私も意識が持ったのは十数秒ほどだったので、ディアは健闘した方ですよ?」
「あー……いや……」
そっちじゃない。そうじゃない。
俺が気にしてるのは気絶した事じゃなく、「その後」に見たものだ。
「アレは……街が壊れてたり、あと……玉座の影は……」
「?」
上体を起こしてレティに確認を取るが、小首を傾げられる。
とても可愛い。ではない。
「いや、なんか台風……の億倍ヤバイ嵐が都市を壊してて、なんか皇帝っぽいのが玉座に座ってて……」
「あの、ディア?」
「そういう夢を見たんだよ。なんか言われた気がするが……」
──ダメだ、思い出せない。
景色の方は朧気に覚えているが、妙な呼ばれ方をしたような感覚しか残っていない。
明日の朝には忘れてしまっているような、それくらい淡い記憶だ。
「……えっ、もしやアイオーンの情報を読み取ったんですか!? 本当に!?」
「情報……?」
「あっ、ええと……少なくとも私の記憶には、おっしゃったような風景はありません。ただ、アイオーンは完全情報記録帯……アカシックレコードとも呼ばれるほどの情報の塊なんです」
はーん、とあまり実感がない生返事。
アカシックレコード。なんかゲームで見たことがある名前すぎる。
「それ自体はアイオーンの正体に関する解釈の一つですが……あなたはそこに構成されている情報の一部が見えてしまった……のかも?」
「そりゃあ……なんかマズイことなのか?」
「マズイではなくスゴイんですよ! ディア、普通にアイオーンへの適性があるのでは!?」
「それは嬉しいことだが……なんかなぁ」
特に安心材料とは思えない。
夢でも妄想でもなく、本当に使える情報だとしても……あの玉座を見た今、アイオーンがいる位置への距離が嫌でも想像できてしまう。あれ、きっととんでもなく遠い座標にいるぜ?
「まぁ半歩前進ってところか……? 絶望感が増しただけな気ィするが……」
「謙遜ですね。私はいつの間にか、一緒にコースの真ん中までジャンプされていたような感覚ですよ?」
目指せ人間卒業。
うん、ノリで頭に浮かべてみたが割とシャレにならねぇ字面だな?
「……ひとまず、飯にするか。腹減ったし」
「あ! ではでは、噂のホットケーキを一緒に……!」
「……お前はまず、その格好をどうにかしない?」
◆
「────あれっ? クロノスのおじさんだー?」
そこは森林が広がるフィールドだった。
かつて現世にあった風景の名残り。されど界域主が今さっき倒された以上、ここも数日中には元の座標に回帰していくだろう。
界域主は角の生えた熊のような魔獣だった。
体長約四十メートルと少し。その消え行く死骸の上から地上を見下ろした討伐者の少女の視界には、懐かしい顔がいた。
「よォ、黄泉坂の嬢ちゃん。また人格変わったな?」
灰色髪の男。
サングラスをかけ、ベージュのロングコートを着こなし、左肩に長銃を背負っている。彼が軽く片手を挙げると、黄泉坂と呼ばれた金髪の少女は死骸から飛び降りた。
「おひさ! まだ無職なの?」
「神は職業じゃねぇよ。そっちこそデビューしたのか?」
「まだまだ~。なんか最近は特に忙しくてね? ちょっと前にいっぱい界域消えたはずなのに、それを取り戻す勢いのごとく増えてるんだよ! おじさん、なんか知らない?」
「宇宙が近づいてきてるからな。観測局の想定より三百年早い。『王冠探し』の時期になるだろうよ、人間は大変だな」
「えー! ひとごとー! っていうかアストラルってナニ?」
「俺の言ったことをそのままセラフィエルに伝えれば分かるさ」
そうなの? と少女は首を傾げる。
その時、木々の向こうから草を踏む音がした。
「黄泉坂さん! ここに……、えっと?」
現れたのは制服を着た男子生徒だった。
片手に武器らしき剣を携え、黄泉坂と、その近くにいる男へ困惑した視線を向ける。
「あ、獅子月くん! こっちはもう終わったよ~!」
「それは……見れば分かりますけど。そちらの方は……?」
「見ての通り異界学者だ。お前は……ほほう?」
刹那。
ずいっと、獅子月青年の前に、サングラスをかけた男の面が近づいていた。
「っ!?」
「なかなか主役らしい線を辿っている。が、世界を背負うにゃ少し才能不足か? それに女を抱えすぎだ。学生の間に清算した方がいい。──まぁいいさ、どーれちょっと試してやろう」
「ちょっ……!?」
直後、獅子月の視界は光に眩んだ。
その場が光ったわけではない。その意識に、青い光の記憶を叩きつけられたのだ。
「っ、あ──」
くらっ、と眩暈がしたのか、その場に膝をつく。
しばらくその不調に抗ったようだが、やがてプツリと糸が切れたように倒れ込んでしまった。
「うわぁ! 獅子月くーん!」
「あーダメかぁー。やっぱ早々に良い読み手は見つかんねーなぁ」
男が肩をすくめる中、慌てて黄泉坂が倒れた男子生徒に走り寄る。
息はある。単に気絶したようだ。
「もー、何したのさおじさん!? 完全にトんじゃってるよ彼!」
「見込みがあるかテストしたのさ。暫定、この前会った奴が最有力候補かね。導きはしてやったが、適性の有無は向こうの加護が強すぎてなぁ……分かんねーんだよなー……」
「ぬー? また変な企み?」
「なんならお前もやってみるか?」
「やるー!」
好奇心に駆られるままに少女も男の前に立つ。
彼が片手をかざすと、やがて黄泉坂は小首を傾げた。
「…………なんもないけど?」
「ああ、全然ダメだな。適性ゼロだわ」
「えー! なんでー!」
「お前自体が『この世界』に適してないんだよ。精霊にも相変わらずフラれ続けてるんだろ?」
「そうだけどー!」
彼女を拾う神はいたが、精霊はいなかった。
それは今、この時も。
「とにかくソイツ連れて帰れ。あー、あと他にもこいつみたいなのいる? 女にモテてトラブルに愛されてて、盤面を引っくり返すようなヤツ」
「分かんない!!」
「馬鹿のフリして警戒すんなよ。神は人間の味方だぜ?」
「……」
黄泉坂少女は悪戯っぽい笑みを浮かべたまま男を見る。
恩や感謝はあれど、全面的に信用しているわけではない……とでも言いたげな顔だった。
「良い顔だ。成長したな」
わし、とその掌が少女の頭を撫でる。
当の少女本人は、目を丸くしていた。
「成長? 『前』の私より?」
「それも含めて、だ。お前は前後の自分のことなんか気にしなくていいんだよ。どう変わろうがお前だ。黄泉坂古今っつー人間一人だ。神が保証してやろう」
「よく分かんないんだけどー」
そこで男は手を離す。
空間が揺らいでいる。この界域の終わりも近い。
「だが俺の信者としては半端者のままだな。信仰をしろよ信仰をよ」
「神様になったらしてあげるよ」
それはいつもの彼らのやり取りだった。
口角を上げて、神を名乗る男は踵を返す。
「じゃあなぁ。世界が滅ぶ前にまた会おう」
そして霧と共に消えていった。
またねー、と少女は見送った後、はたと思い出す。
『前』の自分が、終着点にと定めた一人のことを。
「……刈間くんのこと言えばよかったかな? ま、いっか!」
「……ううーん」
「あ、獅子月くん起きたー?」
そこで気絶していた青年が目を開ける。
具合の悪そうな顔色のまま上体を起こし、片手で額を押さえる。
「今の……なんだ……? 空が落ちてきて……あの白い女の子は……」
「獅子月くん正気ー? だいじょぶー?」
「あの子は一体……次の敵なのか……? ……うっ!?」
瞬間、黄泉坂が獅子月の首裏に手刀を叩き込んだ。
一瞬で意識を落とした彼を、黄泉坂はひょいと肩に担ぎ上げる。
「なんか正気じゃなさそうだし気絶しててねー! お医者さんの所まで運ぶよー!」
もちろん返事はない。
帰還ポイント目指して金髪の少女は早駆ける──お気に入りの曲を口ずさみながら。




