57 永劫邂逅
「要は、レティみたいに……アイオーンの融合精霊になるって案なんだが」
いやいやちょっと落ち着きましょう、と涙も引っ込んだ私は、彼と共にベッドに腰を下ろして話を聞いていた。
ディアによる秘策というか、無謀にも近い提案。
ただし──現在もっとも可能性のある方法を。
「アイオーンは永劫の大守護者、なんて言われるくらいの超級の精霊だ。つまり成っちまえば、レティの加護なしでも俺の寿命問題は解決するだろうし、なんならお前の破壊エネルギーに関しても解決する糸口くらいは見つかるかもしれない」
「か……仮説だらけじゃないですか、そんなの。ていうか、ええ? そんな簡単に人間……辞めちゃうんですか? 誇りというか、矜持というか、人間だからこそ! 的な拘りは!」
「……うーん……」
両腕を組み、彼は深く深く考える。
熟考している。
人間について。きっと、自分の人生観に照らし合わせて。
「いやぁ、別に……人間でよかった、なんて思えたこと、そんなにないしなぁ……」
「────」
あまりにあっさりした回答。
いや──だけど、それは当然の帰結だったかもしれない。
「すぐ疲れるし、不安定だし、金かかるし、なんか上手くやれたりできなかったりするし、宝クジ当たらねぇし、一人で生きられねぇし、時間は有限らしいし、好き勝手できねぇし、それなりに楽しくはあるけど────」
うん、とそこで一区切りおいて。
「……人間に生まれたからって、別に人間のまま生き続ける必要性、なくね?」
それが結論だった。答えだった。
まぁいっか、みたいな気軽さで。
「人間で居続けたい」、という意志を却下した。
……それは、大多数の人間に当てはまることとは思わないけれど。
この人は、そういう答えに行きつく人生を歩んできてしまったらしい。
「自分のことを、どうすりゃ『人間らしい』と思えるのか、ってのはよく考えてきたけどな。でも結局、答えは出なかった。俺はどこまでいっても俺だし、人間らしさってのも分からなかった。『人間の中でも限りなく化物に近い人間』、なんてふざけた結論が一番近いかもしれないけどな」
「……いえ、そんな」
刈間斬世の場合。
その身には、身に余るほどの剣才があった。生まれた時から、今の今まで。
……ああ。薄々感じていたことだが、ここにきてようやく理解する。私と彼の、明確な違いを。
最初からそうであったか、そうでなかったか。
私は人間として生まれ、果てに「破壊精霊」として生まれ変わったけれど。
彼は違う。人間として生まれ、そのままに、剣技の才能を振るうしかない規格外。
役割を以って力を与えられた私なんかまだマシな方だ。
偶然的に付与された才能によって、多くの同族から「違うモノ」だと疎まれる人生と比べれば、どちらの方が生き苦しいのかは論ずるまでもない。人間という枠をあっさり捨て去れる彼の感性の根幹は、ここにある。
「それにこの前、言ってくれただろ。才能とか関係なく……って。まぁ、だから人間くらい辞めたところでお前に愛想尽かされないなら、いいかなー、というか」
……私は曖昧に、難しい顔をするしかない。というかも何も、それが決定打でしょう、あなた!
あの時言ったことは本心だけども、まさかこんな答えが返ってくるなんて思いもしませんでしたよ!
「……むう。それを言われてしまうと、私から言える反対意見がありません。融合精霊……私と同じ種になる、というのが嬉しくないわけではありませんからねっ」
「それって嬉しいってことか?」
「……、」
……嬉しくないわけがない。
私が好きだからって、私のために、同じものを目指してくれるなんて。
そんなの、ちょっと──ロマンチックすぎません?
「……あなたの目指す結末は分かりました。そう簡単に事が上手く運ぶとは思えませんが……その意志には、同意したいと思います」
「!」
「で、す、が! 道は一つとは限りません──あなたがアイオーンの力を手に入れる、それによって私たちの理想が叶わないと分かった時は、即座に私が引き留めますからね!」
「──ああ。そうしてくれると、助かる」
心からの信頼の声。
それに私は気を良くし──けれども、どこか陰りのある彼の様子に、いささか不安を覚える。
……まだ何か、言ってないことでもあるんでしょうか?
「……ねぇディア。秘密は、御法度ですよ?」
じろりと顔を覗き込むと、彼はすっと視線を外した。
「…………いずれ言うことなら秘密じゃないだろ?」
「なっ」
こ、この人は!
詭弁にも程がある。そんな発言、自白してるのも同義だっていうのに──!
「……また、私を思いやってのことですか?」
「俺の勝手だろ」
「そんなに危ない秘密でも持ってるんですかコラー! 浮気ですか!」
「違ぇよ」
苦笑混じりの返答。
……それに嘘はない。でもこの人は、本当に一番大事な秘密を抱え込んで、どこかに行ってしまいそうな感じがする。それが、私は最も怖い。
「言ってくれませんか」
「今はな」
「じゃあいつ?」
「いずれまた」
暖簾に腕押し。のらりくらりと質問はかわされてしまう。
いっそ頭の中でも覗いてしまおうか──とも思うが、それは彼の心遣いを踏みにじる行いだ。それは……それはあまり、したくない。
やったらきっと、彼の顔はもっと暗いものになってしまう気がする。
そしてその時は……それ以上に、私も気を落とすだろう。
だから──
「……ずるいですね、ほんと」
負け惜しみじみたことを言って、彼の肩に寄りかかる。
それが今の私に返せる、精一杯の反抗だった。
◆
アイオーンになる──アイオーンの座を奪う。
別に、思い切った決断とも、斬新な発想とも思っていない。思えない。
むしろレティという実例のこんなに近くに居ておいて、すぐさま思いつかなかった己の愚鈍さが嫌になるくらいだ。
融合精霊。人間が、精霊の力を持った存在。
レスティアートがどれだけ強大な力を持っていようと、統括者という規格だろうと、その基本の枠から外れることはない。事実、規格の上位性に反して、大精霊を前にすれば無力化にまで追い込まれるのだから。
人間の視点からすれば、彼女は間違いなく神にさえ等しい上位存在だが。
精霊の視点からすれば、彼女は人間の要素を合わせ持った混合者に過ぎない。
……そう考えると、三すくみの関係が思い浮かぶ。
彼女は人間界の脅威になりうる力を持ち、人間は精霊を使役し、精霊は人間の脅威を打ち払う。
まあこれは余談としても、重要なのは「融合精霊」という存在についてだ。
半分とはいえ、人間を精霊にする。
それは可能だと証明されている。証明されているということは、理論が、方法があるということだ。
「具体的な作戦を詰めたいんだが……融合精霊ってどうやったらなれるんだ?」
レティの私室を後にし、廊下を歩きながら俺は言う。
向かうはこの記憶世界の最終地点。彼女が過去、アイオーンと謁見したという空間だ。
そんな俺の右隣を歩きながら、レティの意見が返ってくる。
「そうですね……まず何をしてでも、必要となるのは『伝承』かと」
「精霊を構成してるっつーアレか」
基本の基本に立ち返る時だ。そもそも精霊とは何なのか?
「基本的には精霊界という別次元の力の塊が、現世に顕現したものを『精霊』と呼びます。そこに現世の『伝承』が重なると、精霊はより強い力を得る。要は知名度による補正ですね」
「その伝承の浸透性によって、現世での精霊の格も決まってくるんだよな」
「はい。現在の人界は、魔獣の侵蝕によって多くの伝承・伝説・神話が失われています。その失われた情報群は、魔獣に食われた時点で人々の記憶からも喪失していく。私も多くの知識を教育されていたはずなのですが……目を覚ました時には、知識の欠落の感覚が多く見受けられました」
……三千年の間で、いや、それよりもっと以前の時代から、失われてきた伝承群。
それらを取り戻し復元するというのも、精霊士に期待され、課されている役割でもある。
「伝承の話に戻りますと……私の場合、まずは『“触れたものを破壊する”呪われた王女』という話が、当時最高潮に広められました。要は伝承を創り出し、人為的に融合先の適性をでっち上げたんですね」
「伝承を──創り出す……」
「あそこまで手の込んだ茶番は人生でそうそうありません。ええ、もちろんトラウマです」
ぎゅっとレティが俺の手を握ってくる。
こんな細指のどこに破壊の力があるっていうのか。信じさせるのも無理がないか?
「……どういう演出だったんだ?」
「私のお披露目会で、隣国の王女ちゃんと握手しようとしたら全身パーンと」
「悪りい聞かなきゃよかった」
「ちなみに一番仲の良かった友達でした……」
「なにやってんだ皇帝オイ!! 俺がアイオーンやるから座ァ降りろッ!!」
成ったらまずは戦犯野郎を玉座から蹴り飛ばそう、そうしよう。
あんまりにもあんまりな話に思わず叫ぶと、くすくすと笑い声が聞こえる。
「ふふっ……すみません。陛下に対してそんな風に言う人、初めて見たので……ディアなら本当に実現してしまうかもしれませんね」
「実現するさ。口にした以上はな──問題は、その適性ってやつだが」
アイオーンへの適性。或いは、それに合致する伝承逸話。
そんなの、どうやったら手に入るというのか。
「……つーかアイオーンってどんな権能持ってるんだ? 永劫永劫って言われちゃいるが、別に『永遠に存在してるから』ってだけで、そんな大それた異名がついてるわけじゃないんだろ?」
「かの大精霊が担っているのは、人類文明の保護ですね。その加護は、“永劫”という名の通り、今も人類の時間を保護しているんです」
「時間? 保護?」
ちょっと分かりにくいですね、とレティは顎に手を当てる。
やがて話はこう切り出された。
「例えば、時間というものは過去から現在、そして未来へと当たり前に流れているものですよね。そしてそれは、決して逆行したり、乱れが生じることはあり得ない」
「ああ……まあ、創作じゃあ逆行とかあるけどな。タイムマシンとか」
「ええ。ですが人類史創始以来、一度たりともその技術が成立したことはありません。別次元から精霊を召喚する、なんて技術革新は起こっているのに」
「……あ」
言われてみれば。
限定的とはいえ、次元を超越する術を持ちながら、俺たちは時間という壁を破れたことはない。
現在はいつだって過去へと置き換わり、未来は常にすぐ隣にある。
「つまりそれこそがかの精霊の権能なのです。時間はよどみなく流れ続けるものであり、悪戯に介入されるものではない。この世の摂理を表す力であると同時に、アイオーンによって私たちの時間は『保護』されている。その権能は理不尽な、或いは不平等な“やり直し”を許可しないんです」
「時間操作、逆行、干渉は却下される……ってことか。ん? じゃああの自称時間神は……」
「あれは恐らく、本物の神格ですからね……あ、神というのは、精霊が顕れる前までこの世界を支えていた旧システムだと言われています。今はその座を精霊が取って替わり、伝承や信仰を失った神々の多くは消滅を余儀なくされたハズですが……」
「……そうか。アイオーンの権能に近い時間の神は、どれだけ伝承が消えようと、『時間』って概念が消えない限り、生き残りやすいのか」
生命体が時間を完全に支配するまで、あの自称時間神には生存の道が残されている。
だから新世を目指してる……のか? それが具体的に何をなすことなのか、まだ全然分からんが。
「んー……あの胡散臭い神のことはともかく、権能が続いてるってことはアイオーンもまだどっかにいるんだろ?」
「だと思われます。間違いなく現世にいるはずですが……どこにいるんでしょうかね……」
「セラフィエルとか知ってねぇかなあ」
「確かに全知を司っているとはされていますが……アイオーンはあの方さえ超える存在ですからね。知っている確率は低いかと」
……なら無闇に目的を開示して、近づくのはリスキーか。
アイオーンの座を狙うなんて、敵対する可能性もあるわけだし。
となると残るは、あの自称神に付いているエアリエルだが……
「エアリエルはなんか知ってると思うか?」
「知っていたとしても……教えてくれるかどうか分からない大守護者ですね。とても気分屋ですから」
「じゃあテレストリアルとか」
「目撃例が伝承上にしかないというか、果たしてどんな意志を持つ御方なのかも分かりませんねー……」
「アストラル! アストラルはどうだ!」
「セラフィエル様がいないと人語すら通じないらしい方はちょっと……現代でも残ってるイメージ画がなぜか触手体だったんですけど」
結論、テレストナントカとアストラルは論外。
っつーか後者は正気度が危なげな大精霊な気がする。
「……大精霊、なんの役に立つんだ?」
「一応現世の維持には関わってくださってるはずですから! ね!」
レティによる健気なフォロー。皇女様も大変だ。
しっかしとなると、いよいよアイオーン繋がりの大精霊たちじゃなく、手がかり掴めそうなのがあの自称神のサングラス野郎しかいないんだが……
(……いや)
なんでもかんでも上位存在に頼るモンでもないか。幸い、推理に関しちゃ飛びぬけてる天才が人類にはいる。
一影栄紗。
裏技というか反則の手な気しかしないが、やっぱ人間の閃きが最後の鍵を握るのかもしれない。
「伝承、適性……うーん……やっぱり今のディアに必要なのは知名度なのでしょうか。し、しかし、有名になってしまうと余計な虫がつく可能性も……!」
「レティさん?」
「いけません、そうなってしまえば私の破壊衝動がどこまで持つか……!!」
……俺の攻略ルートはレティ限定固定なんだからフラグの心配は要らないと思うんだが。
しかし知名度、知名度ねぇ……学園じゃ不良、世間から見れば精霊士の一端、観測局からすりゃ期待の戦力、ってところか?
(ダメだ、アイオーンに関連できるものが一つもねぇ)
というか有名になれそうな第一要素が、『レスティアートの契約者』くらいしかない。
彼女の英雄知名度に便乗して名を広める……いや無理だ、絶対にレティの活躍に呑まれる。たかが一学生が、三千年も途切れなかった大英雄様の伝説に勝てるわけねー。
最大の味方が最大の障害とはな……
このルート、実に攻略しがいのある難易度だぞ。
「俺が適性を得るか、アイオーンを見つけるのが先か……」
「──少なくとも、まずは相手を知るところからですね。着きましたよ!」
お、と足を止めると、いつの間にか神殿のような所に来ていた。
廊下の突き当たりには、巨大な扉がそびえている。その奥から──記憶の中だというのに──物々しい気配を感じる。
「この先か……なんか謁見のコツとかある?」
「覚悟だけは持っておくように、としか。あなたであれば、きっと大丈夫です!」
……その一言が何よりも力になる。
レティのことを信じることに関しちゃ、俺の右に出る奴なんていないだろう。
「──オーケー。開けてくれ」
促すと、レティが頷き、ゆっくりと大扉が開いていく。
重い音を立てながら、暗闇に包まれた「その先」の空間が顕わになって────
「──」
その先に、光を見た。
強大な光。青い光。
だというのに眩しさを一切感じない、神秘的な輝き。
──其の形を、俺は認識できない。
──人間の認識では、其を「光」としてか見ることができない。
だが、そこにはっきりとした意志を感じる。たとえレティの記憶越しであったとしても。
輝くそれは──間違いなく、人類を超越した存在であることを。
“■■──■■■■■”
認識にノイズが走る。風景がザッピングする。
単純に脳の処理能力を超えている。「其」が何を言おうと、どんな意志を発そうと、少しでも此方に向けられた時点で俺は蒸発する。奴の視線にさえ質量じみたものを感じるのだ。いや、重圧といった方が正しいのか?
(あ)
しまったと思った。
もう遅かった。
そいつと確かに、目が合った。




