50 暗闇を往く
筆記試験終了。
恐ろしくなるほど楽勝だった。
事前対策通りの内容だったワケだが、無茶な勉強の甲斐あり、問題に詰まることはほとんどなかった。
もしかすると今、俺は人生で一番頭が良いのかもしれない。努力ってしてみるもんだな。
「お疲れ様でした。それでは、各々の案内人に従って次の試験会場へ進んでください」
「一番から二十番の人、こちらへどうぞ」
教室を出るとそんな指示が飛んだ。
番号によって、グループ単位で移動するらしい。集団戦とかになるのか? まぁ学園での実戦授業を思えば、妥当な実技内容か。
「刈間斬世さん」
不意に左から呼ばれて、顔を向けた。
白い廊下にポツンと一人、スーツにオールバックの黒髪眼鏡の男性局員がそこにいた。こいつは確か……、
「アンタはさっきの……」
「水ノ瀬といいます。貴方の実技試験会場に案内しますのでついてきてください」
……この人は俺用の案内係なんだろうか?
はあ、どうも、と煮え切らない返事をしつつ俺は局員の後を追う。
進む先に他の受験者の姿はなかった。どうやら完全に俺単体で受けることになるらしい。
水ノ瀬局員は一度も振り返ることなく、淡々とした歩みだ。一般人みたいな風貌をしているが、その歩き方には無駄がない。観測局の役員ともなれば、こいつもただ者ではないってことか?
「あの、レティ……俺の契約精霊は?」
「彼女はただいま、セラフィエル様が責任を持って力の計測をしています。貴方がた両方を同時に計測する技術は今の観測局にはありません。どうしても彼女の力の影響を大きく受けすぎるので」
「あー……」
レティを参加させたら、俺の実技試験の意味がなくなる、ってコトか。
ここはどうしても別々に行動するしかないのか……
「彼女とは貴方の実技試験が終わり次第、合流できるでしょう──それよりも刈間斬世さん、観測局は貴方の方に注目しています」
「俺?」
「かの英雄精霊の契約者……という面もありますが、それよりも問題視されているのは、貴方と彼女の関係です。貴方が望めば、彼女はいかなることであっても叶えるでしょう。精霊士とは、精霊を御する者……すなわち精霊を意のままに従える存在でもありますから」
「従えるって……」
確かに傍から見れば──特に観測局からすれば、俺たちは爆弾のようなものか。
片や学生。片や大昔に使い潰されようとした大精霊。
何をしでかすか分かったもんじゃない。
「既に一度、貴方たちは教団という一組織を潰している。何千年と存在していた大組織を。貴方にその気がなくとも、彼女は再び貴方のために暴走しかねない。それが今最も懸念されている問題です」
……耳が痛い。
いくら俺たちの間では感動たっぷりのロマンスであっても、周りからすれば災害でしかない。当然の懸念事項だろう。
「そしてもう一つ」
区切って、水ノ瀬局員は言った。
「貴方は刈間家の駒として動いているのではありませんか?」
「……は?」
流石に声を上げるしかなかった。
呆然というやつだ。
「貴方が彼女と契約できるよう、かの家が調整していたのではないか、という推論ですよ。貴方にその気がなくとも、彼女にもその意志がなくとも──亡霊の意図がどこかに絡んでいるのではないか。そう危惧する者もいるようですから」
「──、」
心底から、芯から悪寒がした。
ぐらりと意識が揺れる。身体が痛みを錯覚する。
結局どこまでいっても逃れられない呪いが──足を重くする。
「そんな……ワケがあるか。あってたまるか。死んだ奴らが今も暗躍するなんてありえねぇだろ」
「あの家の研究に対する執心は貴方が一番よく知っているのでは? それに彼らのような人間ならば、研究のために己が命さえも躊躇わない──そうは思いませんか?」
「テメエが何を知ってんだよッ!!」
堪らず、叫んだ。
俺の怒号はキンと無人の廊下に響いて、すぐに静寂がくる。
「……クソ」
自分が嫌になる。
さんざん諦めたフリして──結局これか。まだあの家が怖いのか。無くなったはずの家が。死んだハズの連中が。
「……申し訳ありません。どうやら踏み込んだ話題をしてしまったようですね」
「アンタは……なんだ。何者だよ……あの家のこと、知ってんのか」
「局が調査した範囲ですが。刈間家に関わりのある人間の証言も多少はあるので」
「……そうか」
……もういい。考えたくもない。
過去に向き合えないなんて自分でも馬鹿馬鹿しいと思うが、あの実家に関してだけは特例だ。
あんなものは、向き合うべき過去でもなければ、思い出すべき記憶でもない。
それでもそのいずれかだというのなら、レティに殺された方がずっといい。
「ですが今後、このような揺さぶりには注意してください。恐怖の源は敵にとって絶好の弱点です。貴方が揺らげば彼女が動きかねない」
「ハン……軽い精神試験かよ。局員サンも命がけだな」
だが、肝には銘じておく。
ここが戦場だったなら、俺は間違いなく次の一瞬でやられていただろうから。
「貴方の実技試験の会場は此方になります」
そう言って水ノ瀬局員の足は突き当たりのエレベーターの扉前で止まる。
……エレベーター?
眉をひそめつつも、彼に続いて乗り込む。
水ノ瀬がパネルを操作すると、扉が閉まり動き始める。
「貴方にはこれから界域に赴いて頂きます。そこにいる界域主を討伐する──それが実技試験の合格条件です」
「……なるほど。それで、アンタが試験官ってワケか」
エレベーターは上へ上へと昇っていく。
後ろの窓を見れば、宇宙が広がっている。広大な暗黒の海。遠くで星々が輝いているものの、その最奥には底知れない闇ばかりが覗いていた。
「あまり『外』を注視しないようご注意ください。“向こう側”はある方の領地なので」
「ある方?」
「大精霊アストラル」
それは──知っている名前だった。
帝国大守護者が一角、星を司るもの。セラフィエル、エアリエルと並ぶ大精霊だ。
「我々人類の生存圏が太陽系に限定されているのは、太古の契約が今も続いているからです。とはいえ、大昔の人類は宇宙という概念すら知りはしなかったでしょうがね」
……歴史によれば。
当時、人類は太陽系以外の宇宙領域全てを譲り渡す代わりに、帝国の大守護者になれとアストラルに持ち掛けた。それで確か、そのアストラルと意思疎通を行うために召喚されたのがセラフィエルだったか。
一説によれば、そんな広大な領地を譲った人類の懐の広さに感銘を受け、セラフィエルもまた帝国の大守護者となった──んだったか。
あの金髪ロングが? ちょっと想像できないな。
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「……なんだよ」
俺は壁に寄りかかりながら局員の背を睨む。
こいつとの会話は神経が逆撫でされるような感覚がする。どうせロクな話題じゃない。
「いずれ貴方は『彼女』の担う使命に引き裂かれる。それを分かっていながら精霊士を志すのは、いかなる理由があってのことでしょうか?」
「……何が言いたいのか、よく分かんねぇんだけど」
「大前提として、貴方と彼女では背負う責任……運命とでも言い換えましょうか。その比率がまったく釣り合っていない。これに自覚はありますか?」
「……」
英雄精霊とただの人間。
釣り合いがどうだのとなると、そんなの決まり切っている。
「帝国の皇帝が課した役目の重みは、ただの人間に耐えられるものでもなければ支えられるものでもない。であれば。貴方は試験を放棄し、また彼女からも離れる──そういった選択肢も考えられるはずですが」
「ねぇよ」
この先、何度もされそうな質問だなと思いつつ、俺は言う。
「そんな選択肢は考えない。だいいち──」
第一、あいつには取ってもらわなければならない責任がある。
俺を殺し、生かした責任を。
それまで放してやる気は毛頭ない。
「……第一、あいつ一人に背負える役目なんて大したことじゃない。あいつに出来ることなら、俺にだって出来るだろ」
「傲慢な考えだと言われませんか?」
……俺が傲慢なら、それ以上の魔王が観測局にはいる気がするんだが。
しかし不幸中の幸いなのか、この生真面目な役人は知らないのかもしれない。現世の組織トップたちを言いくるめ、裏であらゆる暗躍を片手間で済ませる、悪魔のような大天才を。
「どうあれ貴方の破滅は免れない。その時が来るまで己が生存している保証が、どこにあると?」
……そんな保証はどこにもない。この世界のどこにも存在しない。
二人でいるからこそ俺たちは常に危険で、周囲からは許し難い歪みになる。
俺はレティによって殺されるのではなく、彼女といることで発生する因果に潰される。
世界はいずれ彼女の力を必要とする。異界に対抗できる戦力として求め始める。
そこに俺がついていくことは簡単だ。だがその先で──この男の言う通り、俺が生存する確率は限りなく低いだろう。
それはつまりバッドエンド。レティは俺の死を劇的に悲しんでくれること間違いなし、観測局は破壊の渦に巻き込まれてご愁傷様のサヨウナラ。
『身の丈に合わん人生は身を滅ぼす。当たり前のことだろう』
……ふと、金髪眼鏡の言っていたことを思い出した。
その前例を、奇しくも俺は知っている。
教祖セオドア。奴は他人の人生を望んだ果てに自滅したが、なら俺は?
レティを悲しませずに、破滅を回避して添い遂げることができるのか? 俺に? 今もなお、彼女の力がなければ生きていることもできないのに?
「──そんなの、やってみなきゃ分かんねぇだろ」
「……」
失望したような沈黙。
ああ、意地だけで答えてやったとも。なにせ世界を救うより、あいつを幸せにする方がずっと難しいに決まってるし。
彼女を破壊の力から解放し、その上で、俺が永遠に寄り添う未来。
今はそんな、都合の良い夢を叶える方法を探すしかない。
「そうですか。それは出来過ぎたことを言いました」
やがて返ってきたのは、あまりに簡素な返答。
「──ですが、私の懸念も理解して頂きたい」
そう続いた声に、俺は俯いていた顔を上げた。
ガゴン、とエレベーターが停止する。
扉の開錠ボタンを押しながら、局員は続けた。
「死ぬべき屍が動いているなど、気色の悪いこと以外の何物でもありませんから」
それが悪意によって放たれた言葉だと、俺はしばらく理解しなかった。
表情は見えない。いや、どうせ鉄面皮だろうと後に俺は想像する。
思えば、それが初めて奴が感情を露わにした一言だった。
「会場に到着しました」
俺がなにも反応できない間に扉が開くと、広がったのは地平線まで続く砂漠の世界だった。
空は青く、強烈な日光が差しているが、奇妙なことに暑さは感じない。
ここが界域?
「ふむ……ちょうど来るようですね」
「?」
エレベーターから出て、少し歩いたところで水ノ瀬が止まる。
すると──
《Krrrrrr──!!》
少し遠くの大地から、巨大ななにかが飛び出した。
それは全長二、三十メートルはありそうなワームだった。ぎちぎちと帯電した、鋼のワーム。
砂嵐を巻き起こしながらそれは吼え、再び砂海に潜ってどこかへと去っていく。
「アレがこの地の界域主、『殺戮機構虫』。あの討伐を単独で為した暁には、貴方の精霊士試験は合格と見なされるでしょう」
「……もしかして観測局って、俺を全力で潰しに来てねぇ?」
鬼畜局員は答えない──ただその眼鏡が、ギラリと光ったように見えただけだった。
もしも嫁さんがあの場にいたらエレベーターごと爆発間違いなし




