48 空白の試験勉強
外が騒がしい。
『居たぞ五組の参加者だッ! 狩れェ──!!』
「ほい、んじゃこれ先週のテストな。全教科、平均点以上たぁ頑張ったな。担任として嬉しい限りだぜ」
「……どうも」
『通路を塞げッ!! ここで奴らを足止めするぞ……ッ!』
「ただ、『精霊学』は復習しなおせよ? 精霊の基本知識は、精霊士として重要な科目だからな……って、つい三か月前まで精霊と縁がなかったならしょうがねぇが。しかしそっちはともかく、『観測学』や『界域空間学』も七割以上だったのは意外だな。どっかで習ってたのか?」
「……まぁ、実家で少々」
『潰せェ──!!』
『殺れェ──!!』
『両者そこまで!! 生徒会実働部隊、これより制圧を開始するッ……!』
バリバリゴッッシャァアアア!!!! ──という爆裂音やら破壊音やらが廊下から聞こえてくるが、この職員室は冷房が効いていることもあってか、至って平和そのものだった。
俺の前には、椅子に座りながら成績表片手の芒原がいる。
返されたテスト用紙を手に、俺はうるさすぎる外に視線をやった。
「……乱闘、いつまで続くんだよ?」
「予選は木曜までやる見通しだな。つかお前、参加してねーの?」
「見ての通り俺はマジメなんでな。学生らしく勉強してるさ」
「そりゃ感心なこって。けどいいのか? 剣術は刈間の唯一の満点科目なのに」
だからこそだ。参加してそれが判明してみろ、一斉にターゲットにされてるのは目に見えてるだろーが。
学園中から袋叩き。四面楚歌が一週間も続くとかやってられねぇ。そんなことになったら俺は夏休みが来るまでレティと家に引きこもるぞ。
「ま、今年の大会は荒れるだろうなぁ。留学生も参加してるって話だし……」
「留学生?」
「あぁ。地方から、こっちの学園に何か月か在籍するって奴がいるんだよ。精霊士の養成学校は、学園が一番デカいってだけで、ポツポツと各地にあるもんだからな」
「ほーん」
話半分に俺は聞き流す。
こっちは既に、「~恐怖! 留年生の巻~」を昨日体験しているのだ。俺はもう金輪際、序列戦には関わらねぇと決意している。昨日も帰った後はずっと試験対策してたし。
ともあれ、本当は昨日返されるはずだったテストも受け取ったので、これで職員室での用は終わりだ。昼休みは短い──さっさと屋上に行こうと踵を返す。
「おっと待て刈間。せっかくならこれ書いてけ」
「?」
振り返ると、芒原が一枚の紙を突き出してくる。
「序列戦・不参加届」だった。
ガラリと職員室の扉を開けて外に出る。
案の定、そこの廊下は焼け焦げた跡やら、倒れた生徒たちで死屍累々の有様だった。保健係らしき生徒が負傷者を治療していたり、精霊の力を用いて保健室へと運んでいる。
そしてその中には、制圧した現場を監督しているらしい、藍色髪の副会長も立っていた。
ドアを開けた音でこちらを振り向き、気付かれる。
「む、刈間か。……また何か問題を起こしたのか?」
見るなり、出てきた部屋で人をトラブルメーカー扱いするのは止めてほしいんだが。
テスト返却されただけだ、と返すのは簡単だ。しかしこいつには昨日の恨みがある。そう、捨て石にされた件──黄泉坂の足止めに使われた一件だ。なので俺は、
「……あ、どうも。お仕事おつかれっす、先輩方……」
「えっ」
他人のフリ他人のフリ。
視線を逸らし、現場の惨状にドン引きの意を示し、「関わらないでくださいオーラ」を全開にする。
「(おい……あの刈間にドン引かれてるぞ……)」
「(えっ、じゃあ私たちの活動って一体……)」
「(一年生にはなぁ……ゲリラ戦はやっぱ刺激強いよなぁ……)」
「(いや……もしかして慣れてる俺たちが異常なのでは……?)」
「(そんな馬鹿な……俺たちの良識があいつより欠けてるっていうのか……!?)」
──後ろでヒソヒソと聞こえてくる生徒たちの声に、奏宮は直立したまま、だらだらと脂汗を流している。
そういうことだよ。分かりましたかクソ蛮族ども。真面目に学生やってる模範生に気安く話しかけないでいただけます?
「ごっ、誤解だ刈間! これは大会の一環で──!」
「……生徒会なら治安の乱れとなる大会そのものを廃止するべきなんじゃねぇか……? なんで自ら参加してんだ、この副会長……?」
「がはッ」
独り言を呟くと、奏宮が吐血しその場に膝をついた。
それを完全に放置して、俺は屋上へと向かっていった。
◆
「あちこち大変なことになってるよね、ホント」
屋上──いつもの面子、いつものベンチに座りながら、右側でそう言ったのは架鈴だった。
藍色のハーフアップヘア。どこか副会長に似た雰囲気の顔つき。しかして真反対な印象を受ける性格は、姉妹関係とやらの不思議性がある。
「大変で済む規模じゃねぇと思うがな……授業が終わった途端に、どっかから爆発音が聞こえてくるって異常だろ」
「序列ってやっぱりカッコいいからね。皆、本気を出しちゃうんだろうね」
「その熱は一体どっからくるんだ……」
そうぼやく俺の膝にはちょこんとレティが座っている。背を向ける形ではなく右半身をこっちに預ける姿勢だ。そんな彼女の膝上にある弁当から卵焼きを取ってその口に運ぶ。
ん? なにお前、半分しか食ってないけど? 俺の分? じゃあ遠慮なく。
「俺としては斬世が参加してないのが意外だなぁ。絶対、優勝間違いなしなのに!」
と言うのは良夜。こいつはこいつで焼きそばパン片手なのに、更に架鈴が手製の弁当を差し出している。お前らがいつも通りで何よりだよ。
「優勝ねぇ……そんなことになったら、俺は逆に敵を作るだけだろ。ちょっと前まで落第生だった奴が目立ってたら、心証が悪すぎるし」
「その発言こそ意外だね。斬世くん、周りの評価を気にするタイプには見えないけど……」
「評価はどうでもいい。レティとの時間が減ることこそが問題だ」
「全ては惚気に帰結する、と。……なにか私の知らないところで色々あったようだけど、いつも通りで一安心かな」
……俺は無言で良夜へ視線をやった。知らない知らない、と首を横に振られる。
じゃあなんなんだこいつ。教団の一件は知らないはずだろ。ならエスパーってコトか!?
『女の勘、というやつですね。カリンさんはヨシヤさんの言動をいつも観察していますから、それでなにか引っかかる部分があったのでしょう』
……恐るべし、女子の観察眼。
急に良夜を巻き込んだことを懺悔したくなってきた。しかし機密事項機密事項。いつかの将来、架鈴に詰められるだろう俺に同情しておく。
「まぁ、別に二人がどう仲良くなってようといいんだけどね。単に、仲間外れにされると私が寂しいってだけだから」
「「……す、すみません……」」
「謝る意味が分からないね。男の子同士の友情とか勝手にすればいいし」
拗ねてるぞこいつ……
おい良夜、どうにかしろよ。彼氏なんだから彼女の機嫌くらい直してやれよ。
「あ、あのぉ……架鈴。お詫びってワケじゃないんだけど、お、俺にできることなら……」
「なんでもするって言った今? 言ったね? 言質は取ったよ」
「言うところだったのに言ったことにされてるッ!」
「どっちも変わんねぇだろソレ」
架鈴は軽いガッツポーズで満足気な笑み。
こいつ……まさか不機嫌すらも布石に、コレを狙って? 末恐ろしすぎるだろ。
「……そういえば斬世くん、持ってるソレって試験問題?」
「あぁ、まあな」
俺の左手には、昼飯中も余裕があったらやろうと思って持ってきた薄い冊子の問題集があった。無論、中身は精霊士免許試験の過去問である。
「精霊士の正式免許、か。確かにそれがあれば、色々と便利になるね。学園が定めた安全界域以外にも出入りできるようになるし」
「え? 界域の出入りってそんな許可制だったのか」
「そりゃあ精霊士はね。斬世くんの雰囲気からして、前から散歩道に使ってたっぽいけど」
「……」
……そりゃあまあ。
俺にとって界域とは、ちょっとした友人よりも身近な存在にあった。いや、当時も友人なんか一人もいなかったが。
「で、試験を受けるからなんだっていうんだ?」
「いや、別に大したことじゃないよ。ただ思っただけ──」
そして架鈴は言った。
その言葉を。
「免許を取れば、校内でレティちゃんを顕現させても校則違反にならなくなるね」
って話──そう続けた架鈴の顔を、俺はもう覚えていない。
というかその後のことを俺はなにも覚えちゃいない。
ただ一言。その一言を聞いた直後。
ばつん、と。
俺の視界も意識も、真っ黒に途切れたのだから。
◆
「…………ハッ!?」
目が覚めた──いや、意識が醒めた、という方が正確かもしれなかった。
……頭が妙に重いような……しかしどこか、すっきりとしている……
「……うおっ!?」
どうやら自室の机に突っ伏していたようで、そこから起き上がると、眼下の惨状に戦慄した。
大量の紙。それにノートと参考書。
隅に転がった何十本以上ものシャーペンの残骸。赤ペンの残骸も相当数あって、ノートと紙には黒と赤ばかりでいくつもの問題を解いた形跡がある。
「……え、なんで全部解き終わってんだ……?」
それらは全て、俺がこれまでコツコツとやっていた免許試験の過去問だった。
まだ数ページぶんしかやっていなかったはずの始めの問題集は一番下に積まれており、たとえ半年かかっても辿り着かないだろうと思っていた分厚い問題集の表紙には、黒ペンで「打倒済!!」という文字が殴り書きされている……
「ディア……?」
「! レ──」
声のした方を見れば、開いた扉の近くにエプロン姿のレスティアートが立っていた。ポニーテイルに髪をまとめた姿が美しい──が、目の合ったその表情は、今にも泣きそうだった。
「お……おい? レティ、どうし──」
「うわああああん!! しょ、正気に戻ったんですね、ディア~~~~!!」
「グフッ!?」
勢いよくとびつかれ、そのまま椅子から転げ落ちる。
い、一体なにがあったというッ……!? 正気に戻った? なんだ、俺に一体なにが今まで起きていたッ……!?
「だっ、大丈夫ですか! 大丈夫ですか……! だいじょうぶですかぁ……!!」
「お、お前のハグで昇天しそうっ……!!」
「ああっすみません!」
決して可愛らしく美しいからといって忘れてはいけない──レティの精霊的腕力を。生きたままグロいことになってしまう。いや俺的にはいいんだが、レスティアートにとんでもないトラウマができてしまう……!
「えーと……何があったんだ? 正直、ほとんど記憶がないんだが……」
「ずっと勉強していたんですよ……寝食を放棄してっ! 確かに私の霊力供給があれば大抵の無理は利きますが、五日間もあなたは正気じゃありませんでした!!」
「五日ぁ!?」
詰め込みってレベルじゃねぇ!
つーかちょっと待て。最後の記憶が火曜日だから、その五日後って……
「……今日、試験日じゃねぇか!?」
「そーですよー!!」
目が覚めたら五日後でした、なんてとんでもねぇ!
しかも気絶じゃなくて正気を失ってたからこの状況ってなんだ! 集中続きすぎだ! なぜこんなことに……
「……あ、そうか。免許取れば、学園でいつでもレティが見れると思ったらつい……」
「そんなことだろうと思いましたよ! わ、私を想うあまり我を忘れて暴走しないでください! 凄く寂しかったんですよ!? すごく誘惑しても全然反応してくれないし!」
「それはちょっと後で詳しく」
俺はこの五日間でどれほどのレスティアートを見逃したんだ。失態がすぎるぞ。
「いや……そうじゃないな。心配させて悪かった……」
「本当ですよ!! もっと反省してください!」
「……ちなみにその間の飯とか風呂は……」
「……トイレはご自分で行ってましたよ? ご飯はまぁ、私の出したものなら食べてくれましたし。お風呂は言っても聞かなかったので、意識を奪って……まあ」
「まあ?」
「──さぁ、早く支度しましょう! あんなに勉強したのに試験会場に行けずに落ちるなんて、もったいないですよ!」
俺はこの五日間でどんだけレティに好き勝手されていたんだろうか……
心底気になるが、追及してはいけない気がした。互いのためにも。
「試験会場って、観測局の本部だったよな……まぁ、全然間に合うか」
「そんなに近場なんですか?」
「近場ではねぇな。宇宙だし」
「…………はい?」
フリーズしたレティが小首を傾げる。
まぁ気持ちは分かる。人類もよく、そんなところに重要施設を建造しようと思ったもんだ。
「ちょっとした新婚旅行といこうぜ。日帰りだけどな」
苦笑いを零しながら俺は言う。
異界との距離感が失われた現代。惑星外は人類にとって、少し手を伸ばせば届く場所だった。




