32 正午の馬鹿騒ぎ
図書室を後にして廊下を歩く。
すれ違う生徒たちから視線を感じるのはいつものことだ。しかしレティがいないことで、俺自身のコンディションは下降気味だった。
端的に言って機嫌が良くない。
元より荒んでいる側だという自覚はあったが、レスティアートと離れたことによって、普段からどれだけ自分が彼女という存在に癒されていたのかを痛感する。
なんだか身体が重い……気分も落ち込んできた。憂鬱だ。具体的に何に対して憂鬱かと問われると黙さざるをえないくらいには曖昧だが……いかんいかん、こんな情緒不安定ではいけない。界域でもあるまいし……そうだ、レスティアートの名前を唱えてみるのはどうだろう? 彼女が傍にいないことが原因なら、その名を想うことで少しは楽になるんじゃないだろうか? よしそうだそうしよう。せーの、レスティアートレスティアートレスティアート──(以下、字数制限のため略)
「なぁ、さっきのヤバくね? あれって五組の如月だったよな……?」
ふと。
廊下で聞こえてきた会話に、足が止まった。
「あんな奴らともつるんでんのかな……顔が広いっていうか……」
「刈間の奴にも関わってるって話だぜ。それに最近は、あの『奏宮』の女とも結構仲いいっぽいらしい」
「え、マジ? 付き合ってんのあいつら?」
「おい」
横から声をかけると、世間話に興じていた二人の男子生徒たちがぎょっとする。
こうも凍り付いてくれると、こちらとしても用件を通しやすくて有難い。
「──如月の奴、どこにいるか分かるか?」
良夜、とこいつらの前で呼ぶのはためらわれた。なんとなくだ。
「え、ああっと……さ、さっき外の訓練棟の方に? 行って、ました……」
「そうか。邪魔したな」
何か訊き返される前に、その場から立ち去る。
屋上で待つレティに早く会いたい、という気持ちは強いが……
またしても変な連中に絡まれてるらしい友人を、放っておくこともできなかった。
◆
件の現場はすぐに見つかった。いや、見つけたというべきか。
既に開戦していたらしく、砂利を蹴る複数人の気配と、慣れ親しんでしまっている不良共の雄叫びが聞こえてくる。急いで訓練棟の角を曲がって陰になっているそこを覗くと、しかし予想外の光景が広がっていた。
「こいつ、ちょこまかと……!」
「うわーっ! わー!! わああ──!!」
走り交錯する七、八人の不良集団。
拳を振り抜いたり、捕まえようとする奴もいたが、それらのことごとくを避け続ける良夜の姿があった。
本人は一瞬一秒、全力でかわしているといった様子だが。
追う側からすれば、「なぜか攻撃が当たらない」「なぜか逃げられ続ける」という不思議な状況だ。
(あいつ……なんか習ってんのか?)
精霊士として、家で鍛錬をしている者もいるだろう。
それはあそこにいる不良たちも例外ではなく、むしろそういった半端な鍛え方で調子づいている小物のサークルなんだと思うが、それにしたって良夜の回避は身軽だった。
悲鳴を上げながら、ひょいひょいと不良たちの脇をかい潜り、それで不良の二人がかち合って倒れ、減った人数と開いた空間を更に活かして、良夜の回避フィールドは拡大し続ける。
しかし──
「っ、この……! 待ちやがれ!」
「わっ!?」
タクトらしき契約武装を持った不良の一人が、良夜の動きを阻害する。
一瞬にして地面から生えた植物が良夜の足に絡み、尻餅をついたところで、彼の逃避芸は幕を閉じた。
「ようやく捕まえたぜ……よくもコケにしやがってよぉ、御貴族様が」
「ちょっとちょっと! 変な難癖やめてよね! ていうか精霊の力を借りてる時点で俺の勝ちだし! ねえ!?」
「勝ちとかそういうのはどうでもいいんだよ、俺たちは。お前にはやってもらいたいことがあるのさ」
「や、やってもらいたいこと……?」
良夜が困惑する中、リーダー格らしい不良が声を張り上げた。
「──いるんだろ、刈間斬世! 出てきやがれ!!」
……。
……お呼びのようだが、しかし。
そう言われてノコノコ出ていく馬鹿がどこにいるのだろうか。俺は建物の陰に隠れ、微妙な静寂だけ残された空間を放置してみる。
「……あ、あれ?」
「こない……よ?」
「ば、馬鹿な! 流れ的にはそろそろ来る頃だろう!?」
「そんな山勘みたいな……都合よく来るわけないんじゃない?」
シン……と再び静寂が舞い降りる。
ほどなくして、コホン、と仕切り直しの咳払いがあった。
「あー……あー、よし。ではまず打ち合わせをする。如月良夜! お前は人質だ」
「人質!? 人質ってあの人質!? 映画とかで出てくるアレ!?」
「なぜそんなに食いつきがいい……おい、いいか。俺たちはな、あの裏切り者を許しちゃいねぇ」
裏切り? なんのだ。
そもそも顔見知りでさえないはずだが……
「ああ、まったく許されざる禁忌を奴は犯した……」
と、不意に出てきた奴が眼鏡を押し上げながら言う。
「誰とも慣れ合わぬ一匹狼。外部からスカウトされてきたという謎の男子高校生……定期」
と、今度はデッキブラシ(!?)を持った変な口癖の奴が言う。
「さまざまな奴に難癖をつけられながら、毎日毎日、喧嘩を買っては勝ち続け、それを誇ることもなく威張ることもなく、教室の窓際席で憂い気に空を見つめるあの姿……」
と、なにやら手帳にペンを走らせている奴が言う。
……ぞっ、と鳥肌が立つ。なんだその描写力は。どこの誰なんだお前らは!?
「その! 男の中の男のあいつヲォ!! たぶらかしやがった奴がいるッ!」
「如月良夜、貴様はその筆頭候補だったが……定期」
「ああ。だが違うらしいな。精霊──それも上位の女精霊のようだ」
……少し、奴らへの警戒度を引き上げる。
次に出てくる文句によっては、停学も視野に入れた手段を行使する必要がありそうだ。
「いい男にはいい女が付くものだ……だからそれに関しては別にいい。問題はそこじゃあない」
「あの刈間斬世が……喧嘩を止め始めた。それが大問題だ……!」
「「……?」」
なにやら男衆は、ここからが本題なのだとやけに深刻そうな雰囲気だが、遠く離れていながら俺と良夜は眉をひそめるしかない。
「──違うだろぉお! そこは! なぜもっと先を行かない! 上を目指さない、刈間斬世ェ! お前なら……お前ならこの学園のトップにもなれるハズ! いいや、ならなくてはならない! 不良大王による学園支配! 強大な精霊を手に入れたのなら、より強力な精霊士との決闘とかが起きるだろう! そこはフツー!!」
……なるほど。
最終結論が出た。
バカだこいつら。ただのバカだ。
「い、いや……精霊士の敵は精霊士じゃなくて、魔獣だし……?」
「この正論の箱庭で育ってきたようなお坊ちゃんがよぉ! お前には浪漫がないのか! 男の浪漫が!!」
「俺たち全員精霊と契約してるのに! なんッでこの学園で起きる決闘イベントは、いつもいつもいつもイケメン野郎とか冴えない奴と美少女とのやつばっかりなんだよォ──!!」
「殴り合え! 殴り合え! 気合いと根性と意地で戦い抜く、男同士の熱い決闘! 刈間はその理想の体現者だったんだ!!」
理想とかいわれても、俺は退学希望者だったから、それに殉じた行動を取っていただけで……
売られた喧嘩を片っ端から買ってただけのことを、決闘とか言われてもな……
「そ、そんなに言うなら君たちが斬世に挑んでみればいいんじゃないの……」
「それはヤダ。痛いのはちょっと」
「俺たちは戦いたいんじゃなくて見たいんだよ。混ざるとかはムリ」
お前らが真の腑抜けだこんクソ馬鹿ども。
なんでこの学園ってロクな奴がいないんだろうか……目立つ奴も目立たない奴も、なんか総じておかしいのばっかじゃねーか……?
「というワケでだ! 奴が喧嘩をしないなら、せざるを得ない状況を作るのみ! そこで焼きを入れてやるのさ──あいつが最も輝く舞台はここにあるとォ!」
「えーと……事情は分かったけど、俺が人質になるとして、実際に戦う役は誰になるの?」
『こいつ』
全員が、一斉に別々の奴を指さした。
……なんという不完全な団体。なんという馬鹿げた集団。行き当たりばったり、ここまで来ると、あいつらこそが真の男子高校生なのかもしれない。
「おいおい……なんで意見がバラけてんだよ……さっきジャンケンで決めたろうが……」
「なに言ってんだよ……お前、古参ファンなら殴り合えることこそ栄誉、とかほざいてたじゃねーか……」
「握手会ならぬ殴り合い会か……金になりそうな企画だな……定期」
「もうそろそろ本人来るんだろ? 流石に殴り合う役は必要だろ、どー考えても!」
馬鹿どもは隅に寄って、ぶつぶつと顔を突き合わせ始めている。
その隙に俺は何食わぬ顔で出ていき、良夜の肩を後ろから叩く。
「っ……!」
人差し指を立てて、良夜の傍に屈む。こいつを解放するには足に絡んでいる植物をなんとかしなきゃならんが……
「(これ切れる? 斬世の刀で)」
「(……いや、契約武装を使うとレティに現状がバレる可能性がある)」
もしくは俺になにかあったと勘違いして、大事に発展しかねない。
なのでここは──そう、定規だ。
内ポッケから愛用の15センチ定規を取り出す。良夜の足と植物の間に差し込み、スパッ。
拘束は解かれ、良夜が自由の身になる。
「(……なにその小技!? じょ、定規って……切れるの!?)」
「(削って刃にしてんだよ)」
「(間違った文房具の使い方!!)」
これが汎用性あって実に使いやすいのだ。俺にとっては定規さえ「刃物」の内に入る。
良夜が立ち上がったところで、さて、と件の連中を見やる。
「(なんなんだあいつら?)」
「(えーと……斬世のファン? 的な? 人気者だね!)」
「(いらねぇ。マジでいらねぇ)」
俺はレティからの人気があればそれでいいのだ。
余所からの人気なぞ、男だろうと女だろうと欲しくはない。
つーかあんな集団、一体どこに息をひそめていたんだよ……
「──あっ」
とそこで、ふとこっちを振り向いた一人と目が合った。
気付いた他の面々もぎくりと硬直し、微妙な空気になる。
「……で、出やがったな刈間斬世! ここで会ったが百年目ェ!!」
咄嗟にそう叫んだリーダー格の男が咄嗟に木刀を構えた。それにつられてか、他の面々もそれぞれの武器を構える──デッキブラシ、箒、バット、メリケンサック、ゴルフのスティック、二丁拳銃、ギター(なんでだ)と、本当に多種多様な武装である。
「その武器の選出はどういう基準だお前ら……」
『契約武装は危ないからな!』
そんな良識あるなら不良やめてろ。
あとさんざん言ってた殴り合い賞賛の精神はどこにいきやがった。
「ククク……夢みたいだぜ。あの刈間とやり合えるなんてよぉ……!」
「I kill you!」
「奴の初手は右ストレートが固い! 気を付けろ……!」
「それ以外がきたら!?」
「適宜対応! 臨機応変だ! こちらの世界に戻ってこい、刈間ァ──!!」
木刀を構えた奴が飛び出してくる。それに続く他の男ども。
俺は今まで色んなチンピラを見てきたが……ここまで阿保と馬鹿に突き抜けた集団は初めてだ。ある種の新鮮さすら感じる。
「き、斬世! どうする!?」
「いや……別に何もする必要がないんだよ、これが」
ターゲットは俺一人。
少し前に出て、迎撃態勢──すら取らない。取る必要性が、ない。
「ぐはぁッ!?」
先手を取って向かってきた奴の一撃が、俺に入る直前──それは見えない壁によって阻まれる。
反射障壁。
相手は吹っ飛ばされた。
「なッ、なにぃ!?」
「怯むな!! 続け続けぇ!」
精霊士には精霊の加護がある。俺の場合、それはレスティアートから厳重に……それはもう厳重にかけられている防護の結界だ。叩こうが殴ろうが、それらは衝撃をはね返し、敵を近づけさせもしない。
「ぐぁっ……!!」
「近づけん……! どんだけ加護張ってんだ!?」
後続の連中もまた、一人たりともまともな攻撃を与えられぬまま吹き飛んでいく。
立っているだけで敵が倒れるなんて、まぁまぁ面白い光景だ。レティの加護すげぇな。
「もう分かったろ。俺に関わるのは時間の無駄だ。どういう集まりか知らねぇが、もちっとマシな過ごし方を考えるんだな」
「ぐッ……いいや、まだだ!!」
木刀持ちの奴が立ち上がる──それに呼応し、他の面々もしぶとく起き上がってくる。盛大に吹っ飛ばされたのに、諦めの悪い奴らだ。
「どこから来るんだよその熱量は……」
「知るかそんなの! 今のお前は認められん! お前が変わるというなら俺たちが変えてやる!!」
「カッコいいな。台詞だけは」
行動は傍迷惑も甚だしいが。
ま、事情を聞くだけ無駄か。こういうのは力技で捻じ伏せるしかない。
「刈間斬世!! 俺たちがいる限り、真っ当な学園生活など夢のまた夢だと思え──!」
どういう脅し文句だよ。
そもそも学園がまともじゃない時点で、真っ当な学園生活なんて望むべくもねぇよ。
そんなツッコミを入れる暇すらなく、木刀を振りかぶって立ち向かってくる馬鹿筆頭。
俺はそれを、もう黙って受け止めはしない。右手を伸ばし、するりと武器を奪い取った。
「えっ? ──あがッ!?」
虚を突かれた阿呆を軽く叩いて気絶させる。
その光景に固まった他の面子を一瞥する。足が動く。刃が滑る。
一瞬の交錯の後。
後ろで多くの武装が壊れる音と、複数人の倒れ込む音がした。
「おお~~」
ぱちぱちぱち、という喝采は傍観者一人ぶん。
俺は木刀を肩に担ぐようにしようとして──持ち手から先、刀身が見事に砕け散っていることに気付く。そこで不良のうめき声が聞こえた。
「な……なんだ今の斬撃は……木刀の切れ味じゃねぇ、ぞ……!?」
「刃物を扱うのは得意なんだよ。昔から」
本気で使った刃物はことごとく砕け散る。使い潰す。消費する。
だからレティとの契約の証は奇跡だと思う。壊れず、砕けない、あの一振りだけは。
「じゃあな。これを機に人生見つめ直せ。もう二度と現れなくていいからな」
木片と化した木刀を放り捨て、突っ立っていた良夜の肩を叩きつつその場を後にする。
覚えてやがれ、とか、これで勝ったと思うなよ、とかいうお決まりの台詞が聞こえてきたが聞き流す。
「面白い人たちだったねぇ」
「お前もあんな怪しい奴らについていくなよ……」
「いやぁ、ジュース奢られちゃったから、つい」
財閥息子、安すぎる。というか絶妙に小賢しい手を使うなあいつら。やはり一発くらいは殴っておくべきだっただろうか。
「いいなー、ああいうの。やっぱ見てる人は見てるんだねぇ」
「ありゃストーカーに類するなんかだったろ」
「でもいいじゃん。なんかヒーローみたいで!」
「俺はそういうのじゃねぇよ」
「えぇ? 俺を助けに来てくれたのに?」
「それは成り行きと気まぐれと──見栄だよ」
「見栄?」
そうだよ、と俺は言う。
俺の行動原理は徹頭徹尾、ただそれ一つのみだと突き返すように。
「レティに釣り合う男として、当たり前のことをしたまでだ」




