31 図書室の邂逅
──がさり、と下駄箱の中からありえない音がした。
紙である。便箋であった。手紙だった。
しかも二通。
一つは柄のないシンプルな、いかにもコピー用紙を折っただけの便箋で、もう一つは華やかな花の柄の封筒だ。
「……ええ……?」
月曜早朝からのサプライズにしてはやりすぎだ。
俺に来るようなモンなんか、そこはフツー、果たし状とかじゃないのか?
『? それ、お便りですか?』
『あー……これは……なんというか、んー……内容次第?』
ひとまず他の生徒がいるんで、さっさと手紙を内ポッケに仕舞って男子トイレへ向かう。
ただでさえ最近の学園では注目を集めているのだ、こんなラブレターじみたモンを持っているのがバレたらどんな騒ぎが舞い込んでくるか分かったものではない。万全を喫した密室で確認する必要がある。場合によってはそのまま水に流して無かったことにするのもアリだ。
『外で待ってますね!』
──非実体化状態であろうと、レスティアートの律儀さには頭が下がる思いだが、今回ばかりはまぁ、これは一人で確認した方がよかろう。
一番奥の個室に入り、まずはシンプル・イズ・ベストな真っ白便箋から見分する。
〈本日ひる、ひとりで図しょ室に来られたし〉
手の込んだ便箋にしては一言メモみたいな内容の中身だった。字体は殴り書きのように荒々しい。こんなに短い文面なのに、解読するのに少し時間がかかった。
次。
〈刈間斬世へ 本日放課後、第三訓練場裏まで来てほしい。話がある。 by奏宮華楓〉
「……『by』って」
手紙を書き慣れていないのか、何かを見失っているように感じる。お前、そういうキャラじゃねーだろ副会長。
だが文字自体は綺麗を通り越して達筆だ。便箋のチョイスといい、節々に貴族っぽさがある。
(しかし何の用だ……?)
前者の図書館は情報がなさすぎて半ば悪戯のような気もしてくるが、後者は相手が判明しているぶん、首を傾げる他にない。
……まぁいい。急な二大イベントだが、一つずつ片していくとしよう。
◆
『レティは先に屋上行っててくれ』
『えっ……ディアは、お一人で?』
『「ひとりで来い」って書いてあるからな。場所も場所だ、荒事にはならねぇだろ』
『わ、わかりました……』
人気のない踊り場で、レスティアートが実体化する。弁当を持たせると、青い双眸が不安げに見上げてくる。
「なにかあったら、必ず呼んでくださいね!」
「ああ、呼ぶ呼ぶ。すぐ合流するさ」
こくりと頷くと、レティは全身の輪郭に霊力の光を帯びながら階段を上がっていく。
あれが彼女の霊力による認識阻害の効果か。俺には見えるが、おそらく他の奴らの視界にレティの姿は映っていまい。
──さて、さっさと昼飯にありつきたいのもあって足早に向かう。
学園の図書室。
一階にあるそこは、書庫の精霊だか本の精霊だかの加護か能力によって、自分に相性のいい本が見つかりやすいらしいという噂を聞いたことがある。不良という体面、自分から足を運ぶことはなかったが、一度は来てみたかった場所だ。
目的地に到着すると引き戸式のドアを開け、中に入る。
静寂と書籍で隔離された空間はそれなりに広い。教室三つ分以上はある。入ってすぐに受付カウンターが見えたが、そこに図書委員らしき者は誰もいない。無人だ。
「おい、誰か──」
『──動かないで』
本棚群を眺めながら歩いて、すぐに。
空間のどこからかそんな声が聞こえた。凛とした女の声だ。
動くな、と言われつつも別に得物を突きつけられているような気配はしない。だが姿も気配も捉えられないのは驚異だった。
『カリマキリセ、ね……? 少し聞きたいことがあって呼び出したの。嘘偽りなく答えてくれたら、何もしないわ』
「なんなんだお前は? どこの精霊だ?」
『余計なことは口にしないように。──融合精霊、というものは知っているかしら』
その単語に、反応するのを堪える。
聞き流すような感覚を胸に置きつつ、「まあ」と返す。
「噂で聞いたことはあるが……それがなんだ?」
『それについて、率直に、貴方はどう思う?』
「なんかの面接試験か?」
『答えて。貴方がどういう人間なのか、計るテストでもあるから』
そんなことをして何になるのかは見当もつかないが……、
ま、質疑応答で済ませられる案件ならそれがいい。
「人道的、とは言えねぇな。だが実現不可能な夢物語だろ、そりゃ」
『──嘘ね。貴方なら知っているでしょう、成功例を』
こいつ……
レティについて探ってるってパターンか?
「なんの話かさっぱり分からん」
『じゃあ率直に聞いてあげる。刈間斬世、貴方は組織の人間?』
「は……?」
思いも寄らぬ問いかけには素っ頓狂な声しかあげられない。
組織……組織? そんなのサークル規模でもこの世にごまんとあるだろうが。一体なんの話をしている?
「……なに、どの組織? 固有名詞じゃねぇと分からんぞ」
『「伝承庭園」──ここまで言えば分かるでしょ? 融合精霊、伝説上の成功例レスティアートの契約者。いったいどういう意図で学園に潜入しているのか、是非とも聞いてみたいと思って』
質問者はなんでか勝ち誇ったような声音に満ちている。
まさに相手の正体、暴いたり! なドヤ顔を幻視する。
こっちはここまで言われても何一つして分からん! 潜入ってなんだ。あのなお嬢さん、どんな事情を抱えているか知らんが、痛々しい勘違いはその辺にしとけ?
「あの……その中二的な期待を裏切るようで悪いんだが、マジで無関係だぞ」
『は? そんなわけないでしょう、シラを切るつもり? それほどまでに力のある精霊を従えておいて、何もしないはずがないわ。何も考えていないわけがない……!』
どうしよう。
昨日も世界の危機とかまったく考えず、恋人とイチャついてただけとか言えねー。
『それにしても、どうやってあの英雄精霊を丸め込んだの? 貴方──何者?』
相手の中二力が留まることを知らない。何者? と問われても一般通過学生である。剣才があるだけの/他には何もない、ただの学生だ。
「……変な勘違いを前提に話を進めてんじゃねぇ。組織とやらは知らんし、俺はただの精霊士だ」
『──そう。答える気がないならその気にしてあげてもいいけど』
「ッ!? ま、待て待て! 世界を滅ぼす気かお前はッ!?」
『そうね。別に滅んだっていいわ、こんな世界』
それこそ、馬鹿な、と言いたくなるような返答だった。
原則として精霊は現世を護るために召喚されるものだ。滅亡賛成派の精霊など、厄災精霊志望だと自ら言っているようなもの。
そんなこちらの困惑をよそに、女は続ける。
『でも滅ぼすにしても、目的を果たした後よ。陳腐な動機だけれど、私の場合は復讐。こんな身体に、こんな存在にした奴らに報復するの。実験台に寝かされて、何日も暗闇の中で激痛を与えられるだけの体験をしたことはある? もう人間じゃないからって、完全な精霊でもないからって、まともな生命体として扱われない日々を送ったことは? ──私はそういうものなの。魔獣だの異界だの、そんなことよりも、ただただあいつらを殺してやりたい──』
吐き出されたものは怨嗟か呪詛か。
姿が見えなくてよかった。こんな台詞を吐く奴の面なんぞ、たとえ美形であったとしても拝みたくはない。
(こいつ……融合精霊なのか?)
今の自分語りからして、きっとそうなんだろうが……そんな実験、今も行われてる事なのか? 成功例の量産でも目指して? ──正気か?
「ねえ、手を組まない?」
実体化したのか、不意にすぐ後ろに気配を感じた。
こんなにすぐ近くにいたのか、という驚きもよそに、眉をひそめる。
「……はぁ?」
「貴方、どうせレスティアートに脅されているんでしょう? ただの人間が易々と契約できる相手ではないし……何を握られてるの? 命? 尊厳? 友達? なんでもいいけど、私に協力してくれるなら貴方の目的にも手を貸してあげるわ。カリマキリセ、貴方って彼女に家族を消されてるんでしょ。復讐の理由は充分だと思うけど?」
……俺の現状って、傍から整理するとそうなるのか。
しかし、こんなに見当違いの推論と考察の上での取引、どういうリアクションすればいいかわからねぇ!
お前が思うより世界は平和だぞ、と説得でもするべきだろうか?
いやしかし、こいつのシリアス&中二力に、俺たちのような甘々メロメロイチャラブ生活とか、すげー下手な言い訳にしか聞こえなくない?
「どこで知ったんだよンなこと……」
「ちょっとしたツテよ。貴方のことを嗅ぎまわってる精霊士は多いから。少し『お話し』したら、皆ぺらぺら喋ってくれたわ」
なるほど、情報源は学園内のメディアか。
道理で情報が揃ってる割には穴が多いわけだ……いや、待った。
「なら、あいつのことはどこで……」
「言ったでしょ、実験所で嫌というほど完成品のことは聞かされたの。アレの再現、複製品を創り上げるために世界中でどれだけの犠牲が出ていると思う? 英雄精霊? ハ、お笑い種だわ。あんなもの──生まれなければよかったのに」
……ああ、ここにレティがいなくて良かった。本当に良かった。
こんな話──とてもじゃないが、聞かせられるものではない。
「勝手にやってろよ、逆恨み野郎。お前に付き合う義理はない」
「……なんですって? レスティアートさえいなければ、私は──!!」
「だったら、あいつの力なんて借りようとしてんじゃねぇよ。勝手にヘラって卑下して絶望して、開き直ってどんな手でも使うってか? 負け犬側だって認めてるようなもんだろ、それ」
「っ……」
復讐の火を燃やすのはいい。正当な権利で、当然の反応だ。
だが知っている。復讐心を持つ自由すらなかった奴を知っている。
今の俺は、そいつの方が大事だ。
だから見知らぬ奴の復讐劇には、付き合えない。知るか、好きにやってろ──だ。
「つまり……交渉決裂ということ? 残念だわ。けど分からない。貴方は彼女が憎くないっていうの……?」
「根本から勘違いしてんだよてめえは。つーか何もかも間違ってる。色々と」
「何もかも……? ……ッ! まさか、貴方──ッ」
「あ……?」
「彼女を騙しているのッ!? そっか、英雄なら罪の意識に付け込んだ方が懐柔も容易いってことね……! まさかそんな手で利用するなんて……!」
「──ちょ、あの」
待て。待った待った待った待った!!
とんでもない勘違いしようとしてないかこの娘──と、俺はそこで後ろを振り向いた。
口元を押さえながら立っていたのは、制服姿の一人の少女だった。ロングヘアのやや鋭い釣り目の金髪碧眼、左右の側頭部からは二本のS字にうねった角が生えている。
……こいつ、どこかで見たことあるぞ。確かショッピングモールにいたような……
「けどいいわ──気に入った。それが貴方のやり口なら、乗ってあげる」
「気に入るな。そしてもうそれ以上の言葉を吐くな! お前がさっきから乗ってんのはただの勘違いだ!」
「何よ、照れてるの? 私の美貌に惚れたとか?」
「それは無い……」
確かに良夜辺りなら「美少女だ!」と賞賛する造形かもしれんが。
もっと凄い一目惚れをしてる俺に生中な美貌は通じん。ガキが。
「──クレアッ! よかった、無事で──で、うぉおおおお!? 刈間斬世サンッ!?」
瞬間、勢いよく図書室の扉が開けられたかと思うと、一人の男子高校生が飛び込んできた。
短い茶髪で、それなりのイケメンだ。こいつの顔にも見覚えがある。
「お前は……日下部草紀、だったか?」
「ひっ、なんで一凡人の俺の名前を知ってんだこの不良……!? 怖っ」
なんでも何も、良夜から聞いたからだ。ショッピングモールでの事件の後に。
こいつの概要はやけに情報過多だったのを覚えている。なんでも、育ての爺さんとは血が繋がってなくて、引き取ってもらった家には義妹がいて、生き別れの双子の姉がいるとかなんとか──だ。
「て、ていうかなんでアンタがクレアと一緒に……」
「──ねえソーキ。いちいち口出しするなって言わなかったかしら、私?」
凍るような冷ややかな声に、日下部少年が硬直した。
発言者の女──クレアといったか──は、それこそ絶対零度もかくやというような鋭い目つきで、少年を睨む。
「アンタは私の目的を達成するまでの契約者でしかない。なのにどうしてここにいるわけ?」
「あのな……契約者だからこそだろ! いい加減に突っかかるの止めろよな。こっちは心配して──」
「頼んでない。余計なお世話よ。迷惑だわ」
「っ、クレア!」
突き放すように言い捨てて、彼女は図書室から出て行った。拒絶を告げるだけの背中を見送って、取り残された日下部少年は、行き場もなく立ちすくんでいる。
「……フラレたな?」
「うっ……い、いやこのくらい、いつもの事なんで……それよりアンタはなんで……」
そこで下駄箱に入れられていた紙切れを渡す。
「これで呼び出されたんだよ。まぁ無駄な時間を食ったが」
「クレアがこれを……? な、何を話したんだ?」
あの女の心情を考えるなら、別に話すことでもないんだろうが……
ま、あんな奴のことなど知ったことではない。なぜ俺が考慮する必要があるのだ。
「端的に言ゃ、発端は向こうの勝手な勘違いだな。復讐したい相手がいるから手を組まないか、とか。まぁ断ったが」
「復讐……やっぱり、クレアは……」
契約者として、ある程度の事情は知っているようだ。
歪んだ字体を書き連ねた紙切れを、しかし日下部は大事そうに握る。
「……なんで、俺じゃなくてアンタなんだろうな。あいつが頼るのは……」
「信用されてねぇからじゃねぇ?」
「ちょ、そんなバッサリ言うかッ!?」
「すれ違ってんのは会話が足りてねぇからだろ。ただ『心配してるから』だとか、『想ってる』だとかってだけじゃ交渉は成立しねぇ。妥協点でも見つけて話し合ってろ」
適当なアドバイスを投げつつ俺は出口に向かう。
「──日下部、お前は何がしたいんだ?」
扉を潜りながら放った問いに、向こうからの返事はなかった。
別に期待していない。覚悟の在処をいきなり訊かれても参るだけだろう。
かくいう此方は本格的に空腹だ。さっさと屋上に行こうと足を速める。
……てか、しまった。あの女、絶対に俺のこと勘違いしたままだな、アレ!?




