27 凱騎蹂躙
(あっ)
如月良夜は一人、踏み出した先が氷のように砕けたような感覚を味わっていた。
なにかこう、決定的な──引き出してはいけない証言を意図せず引き出してしまったかのような──或いはこの、致命的な──地獄の蓋をそうと知らずに善意で開けてしまったかのような──
自分は時々、そういうことをやる。
それは生まれてから十六年、彼自身が経験則的に理解していた己の欠点。治そうにも治し方がないというか、そういう星の下だから、としか言いようのない事をした感覚に満ちていた。
「か、カタストロフィって……えーと」
「かの者こそ破壊の化身! 破滅を司りし英雄精霊!! 奴の力さえあれば、かの御方がた──『マリア年代紀』の理想も叶えられる! 人類の時代は終焉を迎え、精霊による新たな世紀が始まるのだ!!」
(うわ──っ!! なんか全てが地雷原というかうわぁあああ──!!)
知らず、契約精霊の霊力を操作する手元が狂いそうになる。
ヤバイ。絶対にヤバイ。自分はなにか今、他人が友人の危険地帯を歩いている光景を見ている気がしてならないッ!
「そんな精霊、いるワケが……!」
(相良くんやめて! 反応しないで! あとが怖い!!)
相良──相良界兎という友人のことを心底から心配して良夜は冷や汗が止まらない。正義感の強いあの友人は、敵が謳う精霊のことをどう捉えるか分かったものではない。良夜の脳裏には、一瞬で「界兎→破壊精霊→斬世→Duel!」の可能性図が浮かぶ。
「いるとも! 既に封印は破れ、この世の何処かに、かの存在は顕現している! ならば! ああならば!! それを見つけ、献上するのが我らが使命にして役目──!」
「っ……信仰は人の勝手だけど人に迷惑をかけるのは違くない!?」
速戦即決──その言葉を念頭に、良夜は戦いの流れを変える。
わざと霊力の波に隙を作り、こちらで押し留めていた鎧の教徒たちを突っ込ませる。
──そこに。
「っ──!? ……氷結!? 一体どこから──」
遠方のどこからか、氷の爆撃が降り注ぐ。
その攻撃は多数の教徒たちを氷漬けにし、その場を極寒地帯へと変貌させた。
(架鈴ナイス!)
凍結が続く時間は長くない。
この足止めが効いている内に、良夜は指示を飛ばした。
「界兎くん、草紀くん! 道はこっちで拓く! あの奥にいる人、やっつけちゃって!」
「「──!」」
良夜の言葉に、二人の少年たちは顔を合わせるまでもなく意志を一つにした。
眼前向こうに見据えるのは、この事態の元凶──教徒たちの長だ。
「──クレア!」
「──みんな!」
日下部草紀は契約するパートナーに。相良界兎はその身に宿す精霊たちに。
声をかけ、彼女たちからの応答を受けた瞬間──走り出す。
「ッ、させるか!! 総員、最速で陣に霊力を循環させよ! 来たれ、来たれ破壊の意志よ! 終焉の神よ!! 我ら愚昧なる人類に、その恩恵を与えたまえ──!!」
狂信者が叫んだ直後、全ての教徒たちが一斉に剣の切っ先を天に掲げた。刹那、大地には光り輝く術式陣が浮かび上がる。
「っ……!?」
「がぁっ……!?」
ぐらり、と──
陣が展開した途端、草紀と界兎から力が抜ける。
思わずその場で膝を折る中、彼らは空間の異常と、自らに起きている異変を察知した。
「霊力、がッ……!?」
「お前、一体これは、何を……!」
霊力が急速に抜けていく。いや、吸収されていく。
この魔法陣に──狂信者の背後で立ち昇った、光柱の中心に。
『GAA、aaa……!』
「っ、ジャック!?」
あろうことか、如月良夜の背後にいた竜精霊さえも、その実体が薄くなっていく。
消えかけている。
その事実を認識した時、良夜はこの儀式の本質を知った。
「あ、あいつまさか、精霊を生贄にして召喚しようとしてる……!?」
──ならば少年たちの急激な弱体化も道理である。
日下部草紀、相良界兎は共に、契約精霊の加護を受けている者。まだ未熟な少年たちは、精霊からパスを通じて供給される霊力あってこそ、並外れた身体能力を行使している。
そこで、精霊との契約を絶たれかねない危機に遭えば……彼らはもう、ただの人間、何の力も持たない、どこにでもいる少年たちに過ぎなくなる。
「はははははは!! 見よ、来よ! これが終焉のもたらす祝福だ!! 我らが『希望』はここにあり──!」
勝ち誇った狂笑をあげる信者。
光柱は輝きを増し、場の霊力は一点に収束していく。
「く、っそ……!!」
「こんな……ところで──!」
絶対の危機。逆境を迎えた展開の中、しかし少年たちの眼に諦めはない。
──まだだ。まだ終わっていない──!!
「力を貸してくれ、俺の精霊──」
「僕たちの道は、こんなところで終わ──」
それは覚醒。逆転劇の兆候。好機の呼び込みに繋がる一手。
だが。
今日、真実として、ここに彼らが主役の舞台はない。
「〈終極破壊〉」
──炸裂があった。
その一階エリアという空間、全てを消し飛ばしかねないほどの炸裂が。
網膜を焦がす突然の閃光と衝撃波。竜巻がごとく吹きすさぶ暴風。
二人の少年は突然の現象に吹き飛ばされ、防護の結界に守られながらも衝撃に耐えきれず意識を失う。
あうっ、と咄嗟に目をつぶり、竜の加護に守られた良夜だけが、すぐさま直後の現状を理解した。
「……あ。あ、あー……来ちゃったかぁー……」
呟きは諦めを帯びている。
この場に彼らが居たとしても、こちら側で決着をつけるのが彼の理想だったのだ。
……それならせめて、相手も怖い思いをしなくて済みそうだったから。
果たしてその確信めいた予感は正しく──
「────よォ、お前らが元凶か?」
「────ごきげんよう。覚悟はできてますか?」
殺意にも似た戦意を滾らせた両者の声色に、良夜の顔が引きつる。
一方、不意に響いた新たな声に、衝撃で膝をついていた狂信者の男も勢いよく顔を上げた。
「なんだ……貴様らは……!? くっ、儀式は!!」
「術式ごと跡形もなくお掃除させて頂きました☆」
「あと残ってる塵はてめえだけだぜ、おっさん」
それは──白い男女の二人組だった。
刀を肩に乗せた構えで佇む青年。
白杖を両手で握る幼い少女。
彼らのことを、狂信者の男は知らない。知るハズもない。──なんだこいつらは? どこから出てきた?
「っき、き、貴様らァァアア────!!」
だが、相手の正体への追求よりも、儀式を阻害された事実への憤怒が勝った。
即座に残っていた白銀の騎士鎧たちが立ち上がり、狂信者の男自身も〈望霊〉をその身に受け入れて、漆黒の鎧騎士へと変生する。
──敵数、およそ三十六体。
鎧の壁とも言える光景に、しかし二人も、その後ろにいる良夜も、表情は変わらない。
「ええと、その、じゃあ……頑張ってー……!」
友人として、最低限の鼓舞の言葉をかける良夜。
振り返らぬまま頷き、敵陣を見据えた彼と彼女は、同時に言った。
「「レティとのデートを邪魔しやがって。ぶち殺すぞ貴様ら」」
参戦の理由と開戦の言を同じくして。
最強ペアによる、ただの蹂躙劇が始まった。
◆
──白塵凱騎。
それはかつて「白い厄災」とも称され、人々から恐れられた存在。
中でも有名どころして伝わっている逸話は、彼らの軍団が各地の国々を滅ぼした──という恐怖伝説だろう。
それを、「望霊」という精霊の力を借りて顕現させたのが、今回の白塵凱騎。
望霊の願望成就の力は絶対である。故、ここに顕現している騎士たちは、伝説に謳われた精霊とほぼ同一といっていい。ただ一つ、伝説上の彼らと比べて劣化している点を挙げるとするなら、人間に宿らせることで──つまりは人間を触媒として顕現させた存在だという点だろう。
それはいかに望霊と言えど、新たな精霊の顕現には新たな楔役……契約者が必要となるが故の処置。
されど、劣化点はただそれだけ。宿らせている人間側の生命力が尽きれば消えてしまう……その程度のデメリットであり、いかに上級精霊士の一人や二人を相手にしたところで、彼ら「白い厄災」の再現体は、決して負けうるハズもない──はず、だった。
「弱い」
「脆弱」
「軟弱」
「やる気あんのかお前ら?」
──ありえないものがあった。
開戦と同時に、命知らずにも突貫してきた剣士の一閃が、二体の騎士を両断する。
は? と狂信者の脳は理解を拒み、続いてなす術もなく五体の凱騎たちが人へ戻ったところで、我を取り戻した。
「は、……なん……なんだ貴様ァッ!?」
驚愕よりも感心よりも先行する恐怖。
凱騎たちの鎧は、決して生中な強度ではない。断じて。そう断じて──綿か紙かのように、強度を無視したような斬撃で、あっさり斬られていいものではない──!!
(こいつ、精霊のみを斬って……あの精霊による加護か!? であれば──)
青年の隣にいた少女精霊。
あちらを先に片せば勝機が見えるやもと愚考した狂信者は、しかし。
「──てめえ誰の女を勝手に見てやがる」
「ひっ……!?」
直後、縦に飛んだ斬撃が八体近くの騎士たちを刻み切り、狂信者──今は黒い凱騎と化しているが──のすぐ横を通り過ぎていく。
続々と斬られ、加速度的に減っていく戦力。
三十六もいた凱騎は、もはや半数以下しかいない。
それがたった一人の人間による剣戟乱舞で為されていることが、悪夢と言わずとして他になんという。
「貴様……一体なんなのだッ!?」
「あぁ?」
「ただの斬撃でなぜ〈望霊〉を斬れる!? 摂理に反している! 貴様は、人の世にあってはならない異物だ──!!」
精霊を身に宿してなお、狂信者の震えは止まらない。
目の前のコレはなんだ? 人の形をしただけのなにかか!? ああ、ならばこいつは──
(魔人……か!!)
精霊の敵対者、精霊を斬る者ならば、その呼び名こそがふさわしい。
魔獣ではなく魔人。この青年剣士こそ、己が全霊を懸けて打ち倒すべき──敵!!
既に敗色は濃厚。
だが、彼の信仰心は許さない。精霊にならともかく、ただの人間に破滅を味わわされるのは以ての外だと。
「──総員、奴の手数を抑え込めぇ!!」
いかに速い剣速と言えど、剣は剣。それには振り動作があり、一瞬で出せる斬撃の数は限られている。これは相手が人である限り絶対の理だ。
故に、そこを狙う。凱騎たちで一斉に斬りかかり、それを迎撃した瞬間に、一矢報いてみせる──!
「死ねぇええええ──ッ!!」
剣士の形をした怪物に、彼は立ち向かっていく。
この瞬間のみを切り取れば、ともすれば彼の方こそが英雄らしい奮闘に見えたかもしれない。
強者に抗う弱者。その光景そのものは人々の胸を打つに違いない。
──が。
「私のディアに何かご用ですか?」
「──!?」
背後から。
絶望の声がした。
一声に篭められた、聞くだけで全身の骨が砕かれそうなほどの威圧感。
足が竦み、止まる。たったそれだけで、彼の精神は硬直する。
「私の前で私の最愛を侮辱するとは良い度胸ですね♪ ──消し飛ばしますよ」
(なっ……なんだ!? なんだ後ろのこいつは……精霊様……なの、か!?)
──精霊? いいや、本当に?
こいつはそんな規格に在る存在なのか?
恐怖。生への執着。生存本能。
精霊への信仰に全て捧げたと自負していた男は、この一瞬で己の底を実感する。
どれだけ信じ、讃えていようが──しかし。
背後にいるコレが精霊の一角だというのなら、何十年と積み上げてきた信仰心を捨て去ってでも逃げ出したいと──
「──レティ。終わったぞ」
無論、彼に残された道などない。そうこうしている内に、剣士に向かわせていた全ての凱騎が斬り伏せられ、崩れ去り、人に戻されてゆく。
剣士が踏み込み、決着の一閃が迫る中、信仰者に出来たのは習慣の祈りだけだった。
「わが、精霊よ、たすけ……」
「俺のだっつってんだろうがッッ!!」
黒い凱騎の意識は、振り下ろされた斬撃によって断ち切られる。
あまりにも理不尽な──「天災」に見舞われた、憐れな人間の一人のように。




