19 世界崩壊危機
「あーっ! 斬世、お昼はどこに行ってたのさぁ! 屋上で架鈴と待ってたのに!」
──午後。界域・第十四学区で如月たちと顔を合わせると、まずそんな文句が飛んできた。
なんだって約束もしてないのに俺たちが屋上に現れると思っていたのか、こいつら。しかし怒りを露わにする如月とは裏腹に、その後ろでは奏宮が無言のサムズアップを向けている。
「昼休みぐらい恋人と過ごして何が悪いってんだよ」
「……じ、自意識過剰でした、ゴメンナサイ……」
“恋人”という単語は思春期男子には刺激が強すぎるのか、一瞬でもじもじと人差し指を合わせ始める如月。こんな免疫のなさで奏宮からのアタックを受けてるとか、こいつ本当に大丈夫なんだろうか。
「可愛い良夜をありがとう、斬世くん。これ、先週言ってた二人へのお礼。帰ったら食べてみてね」
と言って、奏宮が差し出してきたのは布に包まれた弁当箱だった。
ああなるほど、だから屋上で待っていた、と──
「──ッ!? これ手作りか!?」
「え、うん。そうだけど……?」
包みを解いて蓋を開ければ、おお、そこにはお手本のような「手作り弁当」が広がっていたッ! よく宝石箱とかと例えられる比喩がよく分からなかったが、色彩とりどりに栄養バランスの整った具材を一箱に詰めた様は、まさに料理という芸術が織りなす奇跡の美術品──!
「……架鈴様。いや架鈴師匠。作り方を……いやもっと言えばレシピを教えちゃくれねぇか……なんだこの高等技術で出来た中身……本当に人間技か……?」
「まさかの流れで名前呼びが解禁されたね……斬世くん、料理するの?」
「目下修行中だ。今の夢はレティ専用の台所主夫」
「清々しいほどの通常運転で安心したよ。レティちゃん、良い旦那さんを持ったね」
そんなレティは現在、俺の足元で顔を覆ってうずくまっていた。静かに悶えているらしい。可愛いことこの上ないが、しゃがむと髪が地面についてしまうので、首根っこを掴み上げる。
「にゃあぁっ、やめてぇ……」
「髪が汚れちまうだろ。どうしても悶えたいなら俺の背中に登ってろ」
「はいぃ……」
ふよよ、と少し浮いて俺の背にしがみついてくる白妖精。軽すぎて吹けば飛んでしまうのではないかと少し不安になる。
「……なんか先週よりもバカップル度が上がってない……? 俺の気のせい?」
「下がってたらやべぇだろ逆に」
「そっか……そうだね……」
意外に勘が鋭い野郎だ。もう少しこいつと交流があった後にレティと出会っていたら、一線超えたことを察されていたかもしれん。
もらった弁当の蓋を閉じて包み直したところで、待っていた気配が来る。
「よーっす。全員出席でたいへん結構。カップル濃度が高くて独り身のオッサン死にそう」
「慰めた方がいいのか? 自慢した方がいいのか?」
「や、結構です。今日は……まぁ一応の見回りだ。金曜からこっち、ここでは一度も魔獣が観測されてないんでな。油断はしないよーに」
芒原の言に眉をひそめる。
「魔獣が? 一度も?」
「あぁ……なんか『侵入しようとした先から』、存在が分解・消滅してるらしい。その辺の理屈はご本人様に訊きたいところなんだが……」
「私の霊力の性質ですね……」
と、俺の後ろ首に顔を埋めながらレティ。
「私の残留霊力が結界のような役割を果たしてるんでしょう……この空間の境界はまだ不安定ですが、魔獣の数が減少するにつれ、異界の侵蝕も低下していくはずです……」
「『現世回帰』だな。そりゃあいい、精霊士の戦線が減るに越したことはねぇよ」
異界に侵蝕された現世領土の回帰──
“魔獣を倒し続ける”ことによって成し遂げられるのがそれだ。侵蝕がなくなれば現世の領土は戻っていく。人類の生存圏は拡張し、続けていけば、いつか世界は元の姿を取り戻すだろう。
「……凄ぇな、レティ……」
「あ、ありがとうございましゅ……」
噛んでるけどかわいい。いや噛んでるからこそ可愛い。
そんな様子を、なぜか如月たちは遠巻きになって見つめていた。何かをぼそぼそと喋っていたが、すでに俺の脳内はレスティアートに含まれる可愛い成分の再分析に入っていたので、耳に入ることはなかった。
「……土日さ。レティちゃんについて調べてみたんだけど、伝承から想像する姿と実態、だいぶ違くない……?」
「やってることは伝説通りだけどな……」
「割と斬世くんにこの世界の命運、かかってるよね。彼がレティちゃんの恋人になってくれてよかったかも」
「つーか、あの『破壊精霊』を恋人扱いできんの、後にも先にもあいつだけだろ……」
「「同感」」
中心点にいる二人は知らない。
自分たちの関係性が、どれだけ世界に大きな影響をもたらしているのかを。
◆
「キーリセー! 一緒にかーえろっ!」
第十四学区の、何事もなさすぎる見回りが終わり。
放課後──教室を出た途端、待ち構えていたらしい如月が、後ろに引っ付いてきた。
「斬世ー! 一緒に帰ろうよぉー」
「嫌だ断るついてくんな」
午後の界域調査でも名前を呼ばれまくってうざかった。どうも架鈴が先に名前呼びされたのが相当に悔しかったらしい。ガキかこいつは。
「てか、架鈴の奴は一緒じゃないんだな。お前らってセットじゃねえの?」
「あー、奏宮家は門限とか厳しいらしくて。いっつも迎えの車で帰ってるよ、架鈴。一緒に帰れるなら、帰りたいけどね」
家の事情、か。名門だけに面倒そうだ。
刈間の家に居た頃なんかは、半ば放逐状態だったんで印象は薄い。門限なんぞ気にされたこともない。というか、存在すら気にされたことがない。
「ふうん……しかし、だいたい俺と帰るっつっても家の方角が違うだろうが」
「う。そ、そうだけど……でも斬世ってウチの家が管理してるマンションに住んでるんだから、実質、俺の家とも言えるんじゃない!?」
「言えねぇよ!」
どんな暴論だ。それに俺とレティの愛の巣に野郎を入れる隙間はねぇよ!
「つーか俺、お前に住処のことなんざ話したか?」
「ううん、芒原先生に聞いたから、斬世からは聞いてないよ!」
「あンのクソ教師……んじゃあ、先週金曜のことは?」
「あ、凄かったんだよって何人かに自慢したよ! ぎゃっ」
無言で振り返ってその顔面にアイアンクローを決める。ちょっと如月の足先が地面から浮いた。
「今朝の騒動はてめえが原因かッ……!」
「ご、ごご、ごめんごめん! 俺もまさかあんな事になるとは思いもよらず──ッ!」
……言い訳もなく謝罪に転じる態度に免じて、手を離す。
顔をさする如月は、涙目になってしゃがみ込んでいた。
「ごめんよぉ……ごめんってぇ……嫌わないでぇー……」
「いや、お前への好感度は初期段階から変わってねぇから」
「プラマイずっとゼロォ!? 期待されない無関心って一番傷つくんだよぉ!?」
「……、そうだな」
まぁ……その意見には、大いに同感できる。
無関心も、慣れればどうでもよくなってくるけど。
校舎から出れば、そこには校門まで並木道が続いている。地面はレンガで舗装されており、ちょっと辺りを見渡せば、庭園ばりにあちこちに道が伸びてるのがここの特徴だ。学内地図もなしに、この学園を探検したいという気にはなれないだろう。
「──見つけましたわよ。刈間斬世」
「あ?」
右手の横道から、そんな一声。
振り向いてみると、そこには朝にも見かけた人影が立っていた。別に縦ロールではない、普通の金髪ロイヤル女子生徒、聖麗院シュリアだ。
「というより、『待っていた』というのが正確でしょうが……今朝の雪辱、晴らさせてもらいに参りました」
「……」
雪辱て。
別に大した会話してねーだろ、俺たち。
「あれっ、生徒会長! こんにちは! 今日もお綺麗ですね! 夕日をバックにしててもゴージャスです!」
「あら、貴方は如月の……良夜さん、ですわね。ご機嫌よう。刈間くんともお友達だったのですか」
「ハイ!! 親友希望です!」
「親友はやめとけよ。売り飛ばすぞ」
「どこに!?」
こと親友・大親友という単語は、俺の辞書においてフレンドポジティヴな意味を持っていない。
それは裏切り者の代名詞であり、同時に生涯の大敵に値する。
『ど、どんな意味ですか……』
レティは俺といる以上、いずれ会うだろうと思う。
中学時代の、あの旧友野郎に。
「仲がよろしいことで……ま、想定外でしたが如月さんなら良しとしましょう。むしろ、貴方からも説得していただけませんのこと? 彼と、彼の契約精霊は、我が生徒会の一員となるべきだと」
「うーん、友達が嫌がってるのを勧めるのはちょっと」
さらりと返してみせる如月。
てっきりこいつの事だから、生徒会長なんか相手にすれば言いなりになりそうかとも思ったのだが……
「そうですか。ですがまぁ、貴方はそういう御方ですものね。では自力で刈間くんの気を変えてみせるとしましょう。理屈の上ではそちらが優勢。ですが──感情こそが、人間の本質でしてよ」
そう言いながらツカツカと生徒会長が歩み寄ってくる。無防備で、隙だらけの接近。自信満々な口ぶりに反して、違和感さえあるその挙動に、
あ、なんか嫌な予感がする。
野生本能的な直感で思わず一歩、後じさった──瞬間、もう目の前まで迫った会長が、
──俺の唇に口付けした。
「ほわぁ!?」
横で目撃者・如月が妙な声を出す。
女子か、みたいなツッコミを、俺は放てない。一瞬の触れあいだけで、すぐに顔を離した愚かな生徒会長様は、ふふんと得意顔だ。
「どうなさいまして? キスの一つや二つ……殿方であれば、コロッと──」
「──あああぁああああぁぁぁぁぁァァ────ッ!!!!!!!!!!」
雷霆が降り注いだ。
稲妻の狂風だった。
破壊の暴風雨だった。
しかし余りの動揺のためか、その雷撃は一度として聖麗院に掠りもしていない──ただただ、ひたすらに周囲の地面がクレーター化しただけだった。
──俺の前には、白杖を完全臨戦状態で構えた、破壊精霊様が顕現していた。
◆
同時刻、学園長室。
そこには飲んでいた茶を吹き出す者と、部屋に飛び込んでくる白衣の教員の姿があった。
「ごっふぅ!?!? なんか学園の結界がミシミシ言ってるんだけどナニゴトーッ!?」
「学園長ォ──!! 局地的に空間がねじ曲がり始めてんスけどこれナンダ──!?」
◆
同時刻、とある観測機関。
研究員の格好をした者たちが、大わらわになっている一角があった。
「どわーっ!? なんか境黎市の観測機器が軒並みエラー吐き出しましたよ博士ェー!!」
「ほう……これは……なんとも……興味深……アレいやちょっと世界終わらないかコレ???」
◆
同時刻、とある組織拠点。
手品師や魔法少女を初めとした、エンタメ風の個性溢れる服装をした者たちが揃って首を傾げた。
「……オヤ? なにか……」
「……地震? 貴方、なにか新しい新技でも発明してたの?」
「いやぁ、ここまで大規模なショーは予定外ですが……?? あ、ページワンです」
「ちょっ」
◆
同時刻。学校帰りに駄菓子屋でアイスを食べていた、ある高校生が顔を上げた。
「……なにやってんだあいつ?」
◆
「私のディアに……私のキリセにッ……貴様貴様貴様貴様貴様」
「っ──え、ちょ、まさか貴方が……彼の契約精霊!?」
レティが想像していた姿と随分違ったのだろう、驚きつつも、反射的に攻撃範囲から後退していた聖麗院が目を見開く。
だがしかし、相対している破壊精霊、否、破壊神へと変貌を遂げた災害は、その殺意を漲らせ、放ち続けるのみだ。停止している現在は、如何様にしてこの不届きな泥棒猫を、どんな刑に処すか無限通りに考えているに違いない。
「とりあえず殺します──絶殺有罪極刑判決。その生きた痕跡ごと消し飛ばしてあげましょう。宇宙の終わりを誰よりも先に見てくるがいいッッ……!!!!」
「ま、まさかこんな愛くるしい精霊だったとは……失策でしたわ。まさか刈間くんがロリコンだったなんて──ッ!!」
「会長、逃げてぇ──! ここじゃ学園が吹っ飛んじゃうからぁ──!!」
はち切れんばかりの破壊の渦。
己の策が失敗したと悟る愚者。
校舎の心配だけをしてる馬鹿。
下校中だった他の生徒たちが悲鳴を上げて逃げ出していく中────
────────ぅえ、と。
ともすれば、「おぇ」だったかもしれない。
そんな声が俺の喉から漏れ、ピタリとレティが破壊の一撃を放つ寸前で止まる。
「ディア……?」
その顔がこっちを振り返ろうとした時、俺は既に走り出していた。尊厳を守ろうとする最後の理性が働いたのだ。そのまま手近な茂みへ入り、樹に手をついて────一気に胃の中を引っくり返した。
「おグッ……ごぁハッ!! ウォグぇえええええええええぇぇぇぇえええええ!!」
「ディッ……ディア────ッ!?」
吐いた。嘔吐した。視界が涙で歪んで口から虹色の吐しゃ物が出てる気がした。血が逆流しているみたいに辛い。胃液まで出てるんじゃないかと思う。
「げほっ……ゴホッオエェッ、レティいがいとキスしちまった……ごはっ、うう、さいあく、もうやだしにてぇ…………ぐえぇぇぇぇぇえ…………!!」
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」
「あ、あのー、シュリア生徒会長? アレはホラ、ね! あいつ、一途すぎるんですよ! べ、別に会長が気持ち悪いとか生理的に受け付けなかったとか、そういうんじゃ……!」
身体的にも精神的にもショックがデカすぎて嘔吐が止まらない。ホントに死ぬんじゃないだろうか俺。などと思っている内に、脳裏に走馬灯までよぎってくる。
『なぁ……大福の餡とコンビニの餡まんの餡、どっちが美味いと思う……?』
クッソ、どうでもいい学友馬鹿の声しか思い出せねぇ上にクソ下らねぇッ!
走馬灯ならレティとの出会いのシーンだろ! 心臓貫かれた感触をもう忘れたか、俺の脳! マイブレイン仕事しやがれッ!!
「だ、大丈夫ですかディアッ。いえだいじょばないですよね! 安心してください、私しか見てません! 全部出しちゃっていいですよ!!」
慌てて駆け寄ってきてくれたレティが背中をさすってくれる。女神すぎて前が見えない。だがそれとは関係なしに、身体の絶不調は止まらない。寒気までしてきた。頭がキンキンする。死が近いかもしれない。
「れ……レティ……スマン…………俺が先に死んでも、別の男とか作らないで…………」
「ディア、ディア──! しっかりして、ディア────!!」
うわああああん、とロリの泣き声が聞こえてくる。
俺はそれから意識の明滅を繰り返し、数十分してようやく体調が落ち着いてから、這う這うの体でレティと如月に支えられつつ、帰路についた……
「悪い……感謝する、良夜……」
「ああっ!? ここで名前呼び!? なんかフクザツだよ!!」
俺はもう生徒会の連中には関わるべきじゃない。
これはそう、強く確信を抱かせる一件となった。




