14 唯一最愛
(…………土日、だと?)
学園から帰宅し、夕飯を摂って明日のことを考え始めた時だった。
ちなみに今晩のメニューはオムライス。挑戦というやつだ。包むまでは出来ず、ライスに卵の皮を被せただけのものになってしまった(レティは絶品だと褒めてくれた)。料理道は厳しい。
それはともかく。
はたと現状に気付いた俺はリビングで呆然としていた。休みの日といえば、適当に家でくつろぐか、買い出しに外へ出かけるか、ぐらいの過ごし方をしてきた俺だが──
……レティがいる。
そう、レティがいるのだ。二人っきりで、土日だと!?
「………………」
チラ、と視線を投げれば、レティはソファに座り、クッションを抱えたままテレビ番組に夢中になっていた。
なんか世界遺産百景、みたいな内容をやっている。古代出身として、なにか感じ入るものがあるんだろうか。
……とりあえず、風呂に行くなら今だな。
俺はそっとリビングを抜け出し、桶を掃除し、湯を張り、まだリビングでレティがテレビに釘付けになっているのを確認してから、風呂に入り、十分で終わらせ、服を着替え、湯を抜き、風呂場を掃除し直し、湯を張り直して、何食わぬ顔でリビングに舞い戻った。
「──レティ、風呂の準備できたぞ」
「へっ?」
はた、とソファで完全くつろぎモード、寝転がってテレビを見ていたレティが我に返る。
美少女の気の抜けた格好、実に良い。──と思っていると、跳び上がるようにしてレティが姿勢を正した。
「そ、そそそそうですかっ。お風呂、オフロ、ですね。えぇはい、知っています。えーっと、どんな鍛錬法でしょうかッ!?」
「いや鍛錬じゃなく……湯浴み、って言った方がいいか?」
「あ、なるほど」
ピコーン、と得心がいったように手の平を拳で打つレスティアート。
いちいち可愛いな……慎重を期して風呂ハプニングフラグを回避したが、ちょっと勿体なかったような気持ちがわいてくる。いかん、邪念が。
「あれ、でも……私、精霊ですし。汚れなら、霊力で『破壊』すれば問題ありませんよ?」
「応用効くなぁ……けど、湯につかった方が疲れも取れるぞ。一度くらい入ってみたらどうだ?」
「ディアがそう言うのなら……」
わかりました、と頷いてレティが歩いていく。俺はその背を見送っていると、
「……? ディア? 一緒に入らないんですか?」
──うん。やっぱりそういう価値観だと思ってた。
学園長伝手だが、病院では全裸で添い寝しようとしてたらしいからな……対策は無意味じゃなかったようだ。
「俺はもう済ませたし。それに現代では『恋人同士であっても』、風呂には一緒に入らないもんなんだ」
「そ、そうだったんですか」
そうです。そういう事にしてください。
お願いだから十六歳の男子高校生に、無闇な試練をこれ以上、重ねないでください。
それから俺はボディソープやシャンプー、リンスから洗顔用の洗剤についてレティに軽く説明した。これらはマンション側が用意してくれていたものだ。詰め替え用も完備されていたので実に助かる。どれもこれも高級そうなので、今後の出費は不安だが……
さて、無事に彼女を風呂に送り出し、俺はようやくソファで息をつく。
あいつの着替えは……多少ためらったが、うっかり素肌を見てしまうよりはマシと判断して、下着含めて脱衣所に用意したし。タオルも置いたし。ドライヤーもあるし。このまま待っていれば、何事もないハズだ。事故要因は全て潰した。俺がハプニングる要素は限りなくゼロに近い。
後は、決して、「そこ」へ近づかないこと。
同居生活のお約束、打破してくれる。ラッキースケベなど無いッ!
……いや今日、戦場で既に凝視しちゃったけど。白いの一枚、まだ記憶に焼き付いてるけど。
と、ともあれ。レティは埒外なドジっ子でもないし、現代の設備への順応も早い。風呂場キャーな展開は、まず無いと見ていい。そのために人事を尽くしたのだから!
「…………いやぁ」
しかし──男とは愚かな生き物で。
自ら禁忌としながらも、結局、俺はリビングで一人、思春期童貞らしく妄想を拗らせることになった。
レティの裸身ってどんなん何だろ…………とか。
胸のふくらみからしてそこまで平たくないよな…………とか。
……そんなとりとめもない、下劣な妄想が止まってくれない。というか考えないわけがない。先に風呂に入ったのはそういう事だ。だから念入りに掃除した。お陰で今は落ち着いているが、しかし脳内では湯上がり後の展開がもう数パターン駆け巡り始めている。
『良いお湯でした☆ さぁ、今度は一緒に入りましょ♪』(なんでだよ!)とか。
『ディアがいないと寒いです……ハグでもっとあっためてください♪』(喜んで!)とか。
『ディア……お風呂の壁に汚れがあったんですけど、アレって……』(ヤメテ!)とか。
期待と不安と高揚と絶望が代わる代わる過ぎ去っていく。まかり間違っても念話で届いていませんように。いや、念話を使う時は専用の「回線」が開く感覚があるので、そんな事故は滅多に起こらないだろうが──
ピリリリリ!!
「のわっ!?」
突然の携帯の着信音。
思わず座ったまま跳び上がり、一瞬精神が死ぬ。なんだなんだいきなりこの野郎。
確認した画面にはメール。不定期連絡。中学時代の旧友からだった。
『風の噂で入院したと聞いた。これを見ているという事は生きているんだな? 返信不要』
「……いや、どうやって俺の無事を確認するんだよ」
相変わらず調子のズレた野郎だ。
つーかあいつ、人の入院で心配する感性を持っていたのか。俺が学園に強制入学することになった時はなにも言わなかったクセに。
『うるせぇ。忙しいんだよ』
少し考え、「返信不要」の「う」をしりとり化して、こんな短い文面を送ってみる。
返信はすぐに来た。
『彼女できた?』
「うるせぇ!」
余計なお世話だ。
彼女どころか結婚したわ。
『察しろ』
『式場の手配は任せろ』
「……なぜ察せる」
これが学友野郎の恐ろしいところだった。
今は絶滅危惧種とされるガラケー使いのクセして、メールの文面だけでこっちの状況を把握しやがる。
しかもそれで精霊士じゃなく、ただの一般人なのだ。
精霊士とは何の縁もない、野生の天才。それがあいつだ。
『てめえの力はいらねぇ。用がないなら返信すんな』
『返信不要に返してきたのはそっちだろ。元気そうで何より、お幸せに。
──P.S.据え膳食わぬは男の恥』
「マジでうるせぇ……」
片手で顔を覆う。
まさかあいつ、こっちの状況まで把握してるんじゃなかろうな。無駄に高い計算能力を疑似監視カメラみたいに使うとか、本当にやりそうなのが怖い。
『ディア』
『っ!? なんだ、どうした』
急にレティから念話がきた。平静を装いつつ、頭をクールに保つ。
『「しゃんぷー」と「りんす」って、どっちが先でしたっけ……?』
『……シャンプー。で、その後リンスは髪に馴染ませてから流す……感じ』
『なるほど! ありがとうございます!』
回線が閉じる。変な緊張感を味わったせいで、俺はがっくりとソファに倒れ込んだ。
…………嗚呼、なんかここ、レティの残り香がするぅ──ッ!
「ぜぇ……はぁ……」
「上がりましたー♪ 久々の湯浴みでしたが、やっぱり良いものですね! 入浴剤? の香りがまた心地よくて……あれっ? ディア? どうしたんですか?」
「……ちょっとラジオ体操を、三周ほど」
ソファからすぐさま離脱した俺は、邪念を払うために体を動かしていた。
ちなみに風呂上がりの過度な運動はあんまりよくない。だが必要な事だった……
そこでようやく、覚悟を決めつつレティを視界に入れる。見えたのは白。穢れなく伸ばされた白髪と、露出を控えた寝間着──裾長のネグリジェ姿の彼女だった。
「──っ、がっ」
「?」
ぐああああああああ可愛いぃぃいいいいあああぁぁ!!
白! 白! 白! 真っ白な完全究極存在がそこにいる! 見立て通りだ最高だ! 絶対に似合うと思った、白髪幼女のネグリジェ姿! 一二〇〇億点!! 萌え袖、裾から見えるおみ足、白い首筋、デザインで体躯の魅力を引き出す「小っちゃ感」! もはや歩く花束状態! 背の後ろから見える髪が翼に見える! 花びらまで舞ってきた! 幻覚!!
「──あ。に、似合い……ますか……?」
「めちゃくちゃ可愛い超似合ってる」
「ひゃ、ひゃぃ……」
似合ってるとかそういう次元ではないが。
完璧を超越した何かだ。人類の至宝だ。世界遺産っつーか宇宙遺産でよろしく。
これは死傷者が出る……なんという兵器を生み出してしまったんだ、俺は……
こんなん見たら全人類ロリコン不可避だろ……!
「えと、お着替えの服とか、用意してくださってありがとうございましたっ」
「お、おう……」
ドン引かれないカナ、と不安だったが問題なさそう。
レティの恋人としての干渉可能限界ラインがまだよく分からない。なんでもかんでも受け入れすぎなのだ、もう少し不満を言ってもらっても構わないのに……
「覚えててくれたんですね。『ディアが選んでくれた装束しか着たくない』、って言ったの……」
──そういやそうだ。風呂場事故を回避するために全意識を割いていたから、今思い出した。
「い、いや、単にレティに似合いそうなのをセレクトしただけで……まぁ、その……」
「ふふ。ディアって、いつも私のこと考えてるんですか?」
「ああ」
「そ、即答」
当たり前である。
レスティアートに出会ってからというもの、俺の思考の八割強はレティのことで一杯だ。残りの二割? もちろん彼女との未来予想図についてだが、なにか?
「そ、それは……えっと、どんな……?」
「最近の俺のレスティアートトレンドは『宇宙の構造とレティの相関性』についてかな」
「想像外のトレンドすぎますっ!? なんでそんな方向に思考が飛んじゃってるんですか!? 私と宇宙、なにも関係ありませんよ!?」
「俺にとっての宇宙=レティだからな。だとしたらレティそのものが銀河であり世界である可能性が……」
「ないですー! ないですからっ! ここにいる私だけを見ていてくださいっ!!」
俺の傍に駆け寄ってきたレティがぽかぽか胸を叩いてくる。そして流れでとんでもねーコトを言っている。困ったように赤くなった頬。その声、仕草、やはり実物が一番可愛い。
「……って、レティ。髪、あんま乾いてねぇぞ」
「……あ」
表面上は乾いているようだが、一部の毛先には水滴がついている。
ははぁ、さてはこいつ。
「……霊力でなんとかしようとしたな?」
「えーと、まぁ……その、どらいやー? の使い方がよく分からなかったというかぁ……私が触ると壊しちゃうんじゃないかなー、とか!」
「戻れ戻れ。乾かすぞ」
くるっとレティを反転させ、洗面所に逆走。
その後、あうあうと抵抗する彼女に構わず、容赦なくドライヤーの洗礼が襲った。
──しかし俺はここで、一つ立ち止まって考えるべきだったのかもしれない。
彼女が霊力を用いた髪のケアをしようとし、それが中途半端に終わっていた意味を──




