12 愛に駆ける
──殺す。
殺して殺して奪って傷つけ壊して滅してまた殺す。
灰色の荒野を歩いている。白い霧が立ち込めていて前も見えない。
それでも、敵がいるのは解っている。
故に武器を振るう。大地を薙ぎ払う。感慨も悲嘆もこの状況に対する感想も、「飽いた」という感覚すらとっくに喪失した。
──殺す。壊す。駆逐する。
この世にあまねく魔獣どもに死を与えん。人の世を脅かす害獣よ、消え失せよ。
我が身は刃であり光であり終点を示す導きなれば。
英雄と謗られようと。
精霊と苛まれようと。
足を止めることはない。進み続ける。兵器は兵器として在るがままに。
破壊の力を振るい尽くした安寧の果てに、あの、ただ一つの夢へ辿り着くために。
◆
──その光は、遠く、遥く、彼方く。
人では絶対に届かない高みの宙。
辿り着こうと思い上がった時の絶望は、死に等しい。
それが天災、などという人の認識で括れる現象なのか、自信はなかった。
仰いだ光の空は、幻想的だという印象よりも先に、逃れられようのない死への恐怖を与えてくるだろう。
だが──俺にそんな感想はなかった。死に思うものは悔しさと怒りだけだ。だから俺が呆然とその現象を見届けてしまったのは、その光景に対して慄いたからではなく。
天空で、あまりに毅然とした彼女の威風に見惚れていたからだ。
「……ウェディングドレス、だと──ッ!!」
「今そんなコト言ってる場合なのっ!?」
ツッコんできたのは意識を取り戻したらしいアイカ。いやだって見てみろ、あの天空の大天使! 最初に見た戦装束、アレってよく見りゃウェディングドレスじゃねぇか!
クッ……なぜこんな簡単な伏線に今まで気付かなった、馬鹿が! 後で絶対に撮影会させてもらお!!
「……って、言ってる場合なのか……?」
光の雨が降ってくる中、ふと冷静になる。
レティの腕前は信じているので、アレによる被害は考慮に入れていない。だからここで考えるのは、彼女自身の残存霊力量だ。
全盛期の二分の一。
今、限りなく超広範囲に光剣を展開しているようだが、それは一体どれだけの事なのか。
無茶か、偉業か。
或いは……両方?
「……なんか心配になってきたな。ちょっと迎えに行ってくるわ」
「な、貴様、待──」
呼び止めようとしてきた華楓を無視し、俺は走り出した。
まあアレだ。落ちてくる花嫁を受け止めるのは、どう考えたって俺の役目だろ!
◇
──三千年前、クルイロフ帝国に一人の王女が生を受けた。
第一王女として祝福された彼女は、その実、生まれる前から用途を定められていた。
六歳の時分の頃。その日は国を挙げての祭典の日だった。紙吹雪が舞い、民衆が踊り、帝国の将来を祝う祭りの日。
王室に生まれた者が、初めて民衆の前に姿を現す日。
代々、その国の伝統として受け継がれてきた特別な日。無論主役は彼女、第一王女だ。
国王と王妃に連れられ、少女は優雅な足取りで世界に姿をさらす。わあ、と民衆から歓声が上がった。幼なくも麗しいその美貌に、誰もが素晴らしい王女になると想像した。
各国から来訪した王族が、祝辞を贈る。
第一王女には親友がいた。隣国から来た同年代の王女だ。王家の付き合いで、祭典よりずっと前の年から友誼を結んでいた相手だった。
──彼女の最期の言葉を、既に少女は記憶していない。
そも、聞き届ける前に。
握手を交わし、永遠の友好を示す場で──
──ぱんっ、と。
鮮血が弾けた。鳴り響いていたファンファーレさえ酷く遠のいた。
時間が停まった。全てが別世界のようだと、一人取り残された少女は呆然と、思った。
だって何が起きたのか、少女自身も分からなかった。見下ろしたのは自分の手。ついさっきまで、握手しようと手を伸ばした時点で止まった、何も掴めなかった己の手を。
足元には人一人ぶんの血液と衣服だけが残されている。
隣国の王女は、影も形も、肉片さえ残さずに、この世から喪失した。
「……なん、……ぇ……?」
意味がわからない。ワケがわからない。一切合切、意味不明。
けれど凄惨な現象は、周囲の動揺と混乱の引き金を引くには充分すぎた。
助けを求めるように顔を上げた彼女が見たのは、恐怖と嫌悪に染まった、この場全ての民衆の視線だけだった。
──帝国の第一王女は呪われている。
魔獣の呪い。悪魔の呪い。魔女の呪い。様々な伝聞と伝承と考証が、燎原の火の如く大陸全土を駆け巡った。
祭典の後、すぐに彼女は王城内に隔離された。件の事件は、表向きには王族を狙った暗殺だと公表されたからだ。だがそんな公式の発表よりも、「呪われた王女」の伝承の方がより民衆の好奇心と興味を刺激していた。
けれども、そんな世論に反して──
両親──帝国の王と王妃が娘に向ける表情は、優しく、柔らかなものだった。
──おかえり。おめでとう。よくやったね。
あまりにもにこやかな、見たこともない笑顔。
その時、少女は本能的に、この世界が狂っていることを確信した。
「先刻のことは気にしなくて良い。アレは元から、そのように消費われるものだった」
「向こうの人たちも承知しているわ。全ては貴方に伝承を重ね、触媒とするため」
「さぁレスティアート、君は英雄になるんだよ」
「おめでたい日だわ、本当に」
「この帝国のために尽くしておくれ」
「人類の繁栄のために」
「人類の繁栄のために」
祝福の言葉は呪いのように幼子の精神へと刷り込まれる。
ただでさえ分からなかった両親の存在が、明確に怪物のように思えた。
少女は彼らの愛など知らない。書物でその概念を知りはしていたが、実感したことなど一度もない。
冷たい父親。無関心な母親。命令に忠実な配下たち。
「帝国」という社会システムを歯車として動かすだけの両親を、少女の心は断じて拒絶した。
そうして──運命は決定される。
ある日、レスティアートは石室に連れてこられていた。そこでは見たこともないローブを着た術師たちと、白い外套をまとった大人たちが待っていた。
「貴方は選ばれたのです、レスティアート様」
傍らの侍女がそう言った。空間中央の石祭壇に寝かされて、足掻こうとしても身体が動かなかった。石にされたように、動けない。
なに? なに? なに? なに?
彼女の混乱に、説明してくれる者は誰もいなかった。
暗がりの天蓋に、真紅の光が灯る。同時に、祭壇の下でも魔法陣が輝き始めていた。
「精霊融合術式──起動」
聞こえた言葉も、なにもわからなかった。
少女にとっては一瞬の閃光の後。
長い──永い眠りから目覚めたような心地を覚えながら、彼女は起き上がる。
闇ばかりだった気がする部屋は、よく見えた。多くの人が倒れていた。大人たちだ。だが誰もが、狂気に歪んだ笑顔を張り付けたまま、満足そうに死んでいた。
「な、……にが」
何が起こったの? ──そう疑問を舌に乗せた途端、暴風が起こった。
一瞬にして石室の床には破壊の爪痕が刻まれ、転がっていた死体たちを八つ裂きにする。べちゃり、と飛び散った血潮が顔に張り付いた。
「……? ……、……っ!?」
咄嗟に口を押さえた。すると指先が触れた空気が真空刃となり壁を刻み付けた。
……少女は、ゆっくりと、慎重に、視線だけをその壁に向けた。何も、起こらない。
(……違う。私の中に、何か、が)
────途方もない、竜巻のように渦巻く力の奔流。
それが己の内にあると認識した少女は、次にその力を制御しにかかる。
体内を認識すれば、体外に漏れている力を自覚するのは早かった。無秩序に、無制御にもたらしてしまう「破壊」の力を、己の中に閉じ込める。
「……──ふぅ──……ふう…………」
まるで、海中で息を止め続けるような感覚。
苦しい。とても苦しい。けれど、この作法を叩き込まなければ、この部屋の外には決して出られない。出てはいけない。
ああ、それはまるで──
「……………………本当。呪われてるみたい」
自分は、以前の生命とは違う怪物になった。
そこには失望も悲嘆もない。初めから、あの両親はそのために自分を使うと決めていたのだろう、という納得感だけ。
これは呪いですらない。合理的決定に基づく、ただの結果に過ぎない。
「なら……役目があるということ」
嗚咽を押し殺す。
絶望に蓋をする。
この身はもはや人ではない。ならば人らしい感情など排して不要とするべきだ。
皮肉にも、それは両親から受け継いだ絶対合理の思考と精神性。現状を事象として解し、役割を要素として認識する。悲嘆も憤怒も怨恨も英雄にはいらない。ここに少女の個など必要ない──
「……人類の繁栄のために」
微かに震える声音を最後に零し、少女だった精霊は歩き出す。
復讐のためではなく、この国の王女として、与えられる用途に殉ずるために。
この時代、魔獣の脅威は人類が生存圏としている大陸の半分以上を覆っていた。
帝国を筆頭とした各人類国家は、異界の侵蝕問題を解決せんと、一つの計画を採択した。
「魔獣を殺す、システムを作ればいい」
合理と計算で動く帝国王の発案に、各国が賛同した。
異界の脅威を払う精霊召喚は、まだ少ないながらも成功例があがっていた頃。そこで国々は持ち寄った精霊に関する技術を結集し、ある作品を創り出す。
人体と精霊の融合生体兵器。
魔獣を殺すためだけの、人造精霊の創造だった。
帝国は実子を、ある国は理論を、ある国は技術を、ある国は資金を、ある国は検証を。
異界という共通敵を前に、人類は歩み寄って協力することを選択した。
──そこに否応なしに組み込まれる少女の人生など、誰一人として顧みないまま。
◆
光の豪雨は、視界を真っ白に埋め尽くす。
地を砕く轟音、空間が軋む音。
破壊の嵐のただ中を走りながら、俺は天空の一人だけを見つめていた。
「……マズくねぇか?」
凄まじい光景だが、果たしてこんな御業にレティはいつまでもつのか。
降り注ぐ光の合間に目を凝らせば、街も無闇に壊されているワケではなかった。建物から染み出した魔獣のみを、的確に貫いて掃討しているのだ。時には、光剣が壁をすり抜けていることもあった。
(──なんて手腕だよ……)
箱の中身だけを、蓋を開けずに破壊するような行いだ。絶技と言っていい。
これほどの広範囲を、一体どれだけの規模であいつはやってるんだ。霊力量は全盛期の二分の一って話だぞ? それすら、技術でカバーリングしているとでも言うのか?
「落ちてくる」なんて半分冗談のつもりだったが、マジで落下してくる可能性がある。これは地上で待つより……、
『──……づ、──ッ……』
「!?」
聞こえた。いや、伝わった。
見えないパスで俺とレティは繋がっている。命を共有している以上、片方の異常が分かるのは当然といえよう。明らかに無理をしている。いや、し始めている。
『レティ! もういい、それ以上はやめろ! 限界だろ、お前!!』
『待っ……てください。もう少しで……終わり、ますから……』
『十分だろもう! 見栄張ってんじゃねぇ、自分の限界くらい見極めろ!!』
どの口で言える事か、そんなのは知らない。好きな相手が勝手に自壊する様など、黙って見ていられるものか。
──、クソ、真っ当な精霊士なら……契約精霊をこの場に強制召喚して、蛮行を止めることくらいはできるだろうに……!
『だって、私は……これくらいしか、できないから……』
聞こえたその言葉に、思わず足を止めた。
『……ごめんなさい。私が、ちゃんとやっていれば、魔獣は滅びていたはずなのに……』
英雄の独白は。
俺だけが、聞いていた。
『ぜんぶ──ぜんぶ、私があの時代に滅ぼすはずだったんです。だからまだこんなに残ってる。私がしくじったから、まだ生きている。まだこの世界にやってくる。今度は失敗しません、今度こそやり遂げます──全て、ぜんぶ、壊して……ッ!!』
『……』
『魔獣を倒すことにしか……私の用途はないんです。だったら、ちゃんと、英雄らしいところ……精霊らしいところ、価値があるって、分かってほしい……!』
────なるほど。
俺の嫁は、重症なほどに、こう、精神状態がやられているようだ。
流石にこれは俺の見通しが甘かった。伝説によれば十年ぶっ続けの労働環境、しかも脅威の単騎運営だ。兵器としての己を当然と認識し、それが伴侶としての価値にも紐づいてるとかって勘違いしている過剰労働の殲滅中毒者!!
「……………………すー……」
一つ、深く息を吸う。
でないと、思わず刀を振り抜きそうになったからだ。
頭に残ってる冷たい理性を動員して、俺は念話と共に、言葉を紡ぐ。
「『────レティ。俺はお前を愛してる』」
『っ!? な、なんですかいきなりッ……!』
「『いいから聞け。お前の契約者という伴侶として言うぞ──今すぐその所業をやめろ。でないと、全力でぶった斬るぞ』」
『え、ど、どうして……!』
どうしてだと? 決まっている。
「『俺はお前のことを“価値”で見たことなんかねぇっつってんだよ! 精霊だから、英雄だから惚れたとでも思ってんのか! ンなこと一度も言ってねぇだろ!! どこを自分の評価軸にしてんだよ、そこでお前が死ぬまで頑張ったって、褒めてやらねぇぞ!!』」
『──な──、ぁ』
「『自己評価見直せ、このネガティブ思考! 俺を救っておきながら、まだ「魔獣をどれだけ倒せるか」が基準になってんのかッ! お前にとって俺は魔獣以下かァ!!』」
『……!』
そう、レスティアートの言い分はあべこべだ。
これは「恋人」がどんなもんなのか知らないのが原因だろう。ずっと戦い尽くしだったせいで、なにもかもがごっちゃになってる。
英雄としての本分と、恋人でありたい執着。
本当に──本当に、何も知らないのだ、あの娘は。どこの世界に「壊れるまで戦い続けろ」と命じる恋人がいるってんだ。馬鹿じゃないのか、本当に!
「『しくじった……? お前のせいだと? 思い上がるなよ英雄。だからどうしたってんだ。世界を救えなかったから私はゴミです、ってか? ンな評価がまかり通ったら、出来ねぇ連中もまとめてゴミだろうが! どんだけ高尚な世界に生きてると思ってんだよ、お前になにもかも押し付けておいて!!』」
完全に全ての魔獣を根絶するなんて、一人で出来ることではないし、無理して果たすことでもない。というか、たった一人にそんな義務を押し付けるなど間違っている。
たとえ合理的であろうと。
たった一人を犠牲にしてまで生き延びるような世界など、滅んでおけ。
「『三千年前のことは知らないけどな……ここは三千年後だ。価値観をアップデートしやがれ、新人精霊。一人で背負い込むな、一人で成し遂げるな! 恋人を! 頼れ!!』」
──言いたいことは言い切った。
言い切りすぎて、自分でももはや、何をどう言ったのか、後で思い返せる自信がない。
それくらい魂を、存在そのものを懸けての制止だったと自負する。
『──ぁ──わた、し…………』
そこでようやく光剣の生成が止まっていく。
降り続く光の雨も粒子となって消えていき、眩いばかりだった空がようやく拝める。
「……──ん? おい、レティ? お前、落ちて…………レティイイ────ッ!?」
全力疾走、再開。
力を振り絞っていた天使が、糸が切れたように墜落してくる。最速で走り出した俺は、それこそもう、さっきよりも全身全霊を懸けて、受け止めに行った。




