10 界域異変
「つーかよ」
もう数えるのも億劫になった頃、俺は奏宮に尋ねた。
「……魔獣、増え続けてねぇか?」
「第十四学区、あるある。私と良夜も完全掃討できた日は少ない。大体、日に三百体くらい狩ったら切り上げ時。それ以上は……キリがないから。明日になったら復活するし」
「それで『チュートリアル最前線』ね……よく言ったもんだ」
永遠に絶えない敵数。永遠に終わらない戦線。永遠に消えない界域。
確かに精霊士が鍛える場として、これほど見合う所はない。雑魚の一体一体を狩るのは低級精霊士でもできることだが、長期戦に向くのは持久力の続く上級精霊士の方だろう。
『あー、テステス。聞こえるか、青春中の敬虔なる学生諸君』
……そんな芒原の声が、奏宮の方から聞こえた。彼女が制服の内ポケットに入れていた携帯端末からだ。奏宮が取り出す。
「なに、先生。緊急事態?」
『その通りだ、察しがいいな。さっき、第五界域の方から通信があった。どうも今からこっちの界域に、向こうの魔獣がくるらしい』
「「!?」」
『だ、第五界域!? 魔獣討伐の最前線の一つじゃん!? それホント!?』
第五界域……
聞き慣れちゃいない場所だが、通信越しの如月の反応から察するに、今の俺たちではレベルが違いすぎる戦場なんだろう。
『大マジだよ。今、二年生の精鋭が追ってるらしい。お前らはさっさと離脱しろ。どの道、足手まといになるだけだからな』
「……」
そこでレティの名を出さない辺り、俺は芒原に感心する。
どこから此方の様子を伺っているか分からないが、英雄頼りで「なんとかしてくれ」とか「助力してくれ」の一言もないのは、純粋に教師として真っ当だ。
「了解。すぐアイカと合流する」
『あっ、じゃあ俺、迎えに行くよ! いつもの十字交差点で!』
「わかった」
そう奏宮が告げて、緊急通信はいったん途絶える。
俺もすぐにレティに連絡を──
『──ディア。緊急です。「なにか」が此方にやってきます』
『ちょうどその話が芒原からきたところだ。俺たちは離脱しろってよ。どこにいる?』
『今は中央区画のビル近くです。すぐに──、ッ!?』
瞬間、地響きが界域を揺るがした。
現世で起こる地震に近いが……これは違う。空間そのものが、揺れている……!
『ビルを……ゲートに!? アイカさん、こっち──!』
「っ……おい奏宮、走るぞ!」
迷っている場合ではない。即断して告げると、言葉のないまま奏宮も頷いた。
先行者たちのいる方角へと走っていく。二百メートルほど先に、レティが言っていたらしき高層ビルが見えた。それは今、
「な……」
「嘘……次元を、直接繋げて……!?」
ビルは漆黒に染まっていた。
存在そのものにおびただしいノイズが走り、周囲の景色が歪んでいる。その近場の地上からは、液体のようなものが染み出していた。
「あれ……全部魔獣か!?」
液体に見えたモノから、ここ短時間で随分と見慣れた姿が出現する。
次元の揺らぎ。空間の乱れ。それは異界と現世の「狭間」のバランスを崩す一大事だ。下手をすればここは界域ではなくなり、異界そのものに侵蝕される……!
《────────────ッ!!》
暴風となった雄叫びが、全てを震撼させた。
ノイズまみれになったビルの向こうから、それが這い出てくる。
……漆黒の影。半透明の魔獣とは違い、実体を持った正真正銘の怪物。四十メートルを優に超える威容は、初めこそ他の魔獣に類似した黒い影に過ぎなかったが──
「シェイプシフター……!?」
「!?」
横の奏宮が名称らしきものを口にする。
変幻自在の怪物と同じ名を持つ影は、人型を模したモノへと変じていく。さながら影の巨人だ。他の魔獣と同じく胴体から地上に生えた格好なのが、連中との同類性を示す唯一の要素だった。
「おい、ありゃ魔獣の中ではどういうカテゴリなんだ」
「実体化一歩手前の末期状態。あそこに明確な『概念』……動物でも伝承でも、此方の世界の要素が取り込まれたら、『異界災害』に認定される」
つまり、
「……この界域は現世と切り離され、私たちも晴れて異世界人になる」
「笑えねぇ冗談だな……」
俺たちが界域に出入りできるのは、あくまでも界域が「曖昧な場所」だからだ。
空間、時間、次元、境界線の狭間。ここは現世の上に被せられた布地でしかない。しかし侵蝕が進み、現世が完全な異界と化せば、そこはもう切り捨てる他になくなる。
魔獣とは異界からのウイルスであり、俺たちの現世は未だ、精霊という抑制剤しか見つけられていない。というか精霊も異界の存在だし、根本的な解決方法とは言えないだろう。
「カリ──ン!!」
「アイカ!」
そこで頭上から赤いロリが降ってくる。焔罪姫だ。奏宮が両腕でキャッチする中、遅れてきたレティも俺の傍に着地した。
「ディア、あれはもしかして……」
「あぁ、実体化寸前の魔獣らしい。芒原から離脱命令が出てる。とっとと離れるぞ」
「ちょ、ちょっと待って!」
アイカが上げた声に、俺たちは揃って振り向く。
奏宮に抱き着いたまま、そいつは絶望を湛えた眼をしていた。
「さっき、カエデの気配がしたの! もしかしたらまだ──……っ」
「え……」
空間が揺れたのはその時だった。
ノイズに塗れたビルから這い出している影の巨人を見た瞬間、俺は目を疑った。
──巨人が、内部から光に裂かれている。
左の肩口……と言っていいか分からないが、ともかく人体でいえばその辺りから閃光が覗いていた。そして間を置かず、そこから飛び出してくる人影がある。
「お姉ちゃん……!?」
奏宮が驚きに叫ぶ。遠目だったが、俺にも分かった。
というか、色で把握できた。長い藍色の髪を揺らしながら、およそ学生服とは思えぬ……いや完全に中世の鎧武装らしきモンをまとった奏宮華楓が、上空に飛び出していた。
……なんだあの格好。二年の精霊士って皆あんな感じにコスプレするのか?
『え……騎士精霊──?』
「?」
無意識なのか、レティからそんな念話が伝わる。
だがその所感の通り、今の奏宮華楓は騎士精霊にしか見えなかった。もしやアレ、上級精霊士ならではの決戦形態的なやつなのか?
などと思っている内に、空中の騎士が手に持った大剣を振り上げる。
刀身に光が──霊力が収束し、次の瞬間、振り放たれる。
ビルごと魔獣を断つ極光の大斬撃。天罰よろしく断ち斬られた影は、ノイズを周囲に走らせながら、末端からその輪郭を崩れさせていく。
「やっ……やった? やったの?」
「そう聞くと逆に警戒したくなるんだが──」
「いえ──いけません」
するとレティが、手元の白杖をくるりと回した。てっぺんの方で地面を突くと、足元に光円が展開する。
「『飽食』が来ます! 皆さん、伏せてください!」
言葉が聞こえたと同時、俺は即座に、奏宮はアイカを抱えたまま、レティの傍でしゃがみ込んだ。
直後、すぐ頭上を──もっといえばレティが展開した光の輪のすぐ外側を、黒い暴風が通り過ぎていく。ゴウゴウと荒れ狂う獣の咆哮にも似た嵐は本当に一瞬のことで、収まった時には、やけに周りが静かだった。
「……白」
「ひゃっ!?」
俺の呟きに慌ててレティがスカートを抑えた。うん、しゃがむと同時に見上げたら視界に入ったからな。凝視でした。目が離せませんでした。正直すまん。
「なにしてるのよアンタたち……っていうか」
そう、赤くなってぷるぷる震えているレティをもう少し眺めていたい気持ちはあったが、俺もなんとか視線を外界にやる。
「……うわ」
廃墟──いや元から廃都市の風景だったが、それが更に悪化していた。
道路の風化は進み、近場の雑居ビルは骨子が剥き出しになるほどの朽ち果て具合。
時間加速、なんて単語が頭をよぎる。先の一瞬で、俺たちだけ何百年も先の未来に来てしまった……そんな錯覚さえあった。
だが問題は様変わりした都市の方ではなく──
「ちょっと……再生してない、アイツ!?」
アイカの言う通りだった。
奏宮華楓の一撃を食らい、見るからに弱体化していた影の巨人が復活している。
光に裂かれた傷もなく、相変わらずノイズを撒き散らしながら蠢いていた。
「界域の情報を『食べて』再生したんです。侵蝕ではなく吸収行為。第二級に値する危険個体と提言します」
……レティの説明が十全に理解できない己の知識不足は悔しいが。
今は置いておくとして、要するに、アレがヤバイ相手だという事は理解した。
再生技が使える敵が強い法則は知ってる。あの巨人は界域にいる限り、いくらでも周囲から情報を取り込んで、その度に復活するのだろう。
「……お姉ちゃん!」
ハッとした奏宮が立ち上がって、辺りを見回した。
するとここからそう遠くない廃ビル──だった瓦礫が、突如として吹き飛ばされた。立ち上がる騎士姿が見える。奏宮華楓だ。傷一つない。
「今の結界は……? ッ架鈴!?」
こっちの視線に気付いた奴が顔を向ける。しかし、姉妹の再会を喜んでる場合じゃなさそうだ。
《──────!!》
ノイズ混じりの魔獣の雄叫び。いつだったか、魔獣の声は現世に適応していないから、あんな不愉快な響きなのだと……言っていたのは、学友の奴だったか?
『──……ぃ、おい生きてるか教え子ども! 生きてるなら返事しやがれ! 俺ぁお前らの両親家族に頭下げにいくやつとか絶対ヤだぞ! 楽に教師やりたいのぉ! 分かる!?』
……奏宮の携帯から芒原の声。流石に焦っているようだがやっぱカスか、あいつ?
「クソ教師、失言はそこまでにしとけよ。こっち、二年の奏宮とかいるんだけど」
『ゴホンゴホン、おおっと生きてて何よりだ刈間~。早よその危険地帯から離脱しろ。お前らの命はお前らのだけじゃない、俺の教師生命も懸かってるんだからなッ!』
「本音がまったく隠れていませんね……」
ここまで清々しいといっそ気持ちがいい。教員芒原、長生きしそうだ。
もっとも──それも、俺たちがここから生還できればの話だが。
「──お前たち! ここは私が食い止める、早く行け!」
「っ、お姉ちゃん! 私も戦える!」
「そーよカエデ! 私たち抜きでやるなんて──ってぇ!? 話は最後まで聞きなさいよーっ!?」
妹とアイカの決意表明に構わず、再び空中へと飛び上がっていく奏宮華楓。
姉としての矜持か、生来の責任感か……などと心情考察できるほど俺はあいつのことを知らん。あえていうなら、あの騎士風の格好は趣味なのかどうなのか?
「おい、ごねてないで行くぞ。お前、俺より先達なら、この場の最善くらい分かってるだろう」
そう奏宮の背に声をかけるが、奴は姉が飛んでいった方向を向いたまま微動だにしない。
握り拳が強く握られている。……理性では分かっていても、感情では納得いかない、か。
「私は……私、お姉ちゃんの力になりたくて、ここまで来たの。刈間くんの言ってることは解る、わかってる、けど……!」
……良夜に引っ付いてる印象しかなかったが、割と妹要素が強いらしい、この娘。
放っとくと勝手に自分語りでも始められそうだ。それこそ戦場でやってる場合じゃない。
「カリン……」
「──わかりました。では、私があの方の援護に行きましょう」
すっと、栞を差し込むような気軽さで。
レティが、そんな事を言い出した。
思わぬ提案だったのか、奏宮が振り返った。
「えっ……?」
「厳しいことを言いますが、今のカリンさんやアイカさんの力では、あの魔獣の相手は難しいと断言します。下手をしたら瞬殺かと」
「あ、アンタに私たちの何が分かるって──」
「カリンさんは大型魔獣との交戦経験が圧倒的に足りていません。それはアイカさんもです。というか貴方、自分の火力調整もできない身分で炎の精霊とか、よく言えますね?」
「な゛ッ……」
濁った音でアイカが唸る。真っ向から図星を突かれて反論できないらしい。
「その点からいえば、配分される人材としては私が適切でしょう。戦場にも、魔獣にも慣れています。なのでカエデさんを援護しつつ、あの魔獣を打倒するという道も──」
「──レティ」
口を挟んだ。
それ以上は、黙ってはいられなかった。
「俺は反対だ──俺たちはさっさと離脱するべきだ。それを確実なものにするには、お前の力が不可欠だ。あの副会長もバカじゃねぇだろ。あの魔獣が自分の手に負えないと解ったなら、撤退を選択できるハズだ」
あいつは二年生なのだから。
ここにいる俺たちより──一年は多く、この現代の戦場で戦ってきているのだから。
「レティの力が規格外らしいってことを踏まえて──俺は反対するぞ。ここは退け。ここで粘って、仮にアレを打倒できたとしても、お前が支払うだろう代償を俺は黙って見過ごすことはできない」
「ディア……」
そんな言い方をされては困る、なんて顔をする。
嬉しいけれど、しかし。とか。とっても有難い言葉だけど、でも。みたいな。
そう思っているような──顔をする。
ああまったく、ホントに可愛いな!
「あー……っつーワケで、妥協点だ」
この言い方は、あの学友野郎の口調を真似てるみたいで実に癪だが。
こういった場面では、こういう話の持っていき方が一番効くだろう。
「レティが行くなら俺はレティの援護をする。で、その俺の援護を先輩たる奏宮たちがする……それでどうだ?」
女子三人、呆気に取られたように目を丸くした。
……どういう表情なんだそれ。いや、空気の掴みとしては悪くない気もするが……?
『ディア……それはちょっとイケメンすぎませんか?』
あ、悪くない感じのようだ。念話ダダ洩れ。
「──……わかった。それでいこう!」
「食い気味だな……」
見直した、という眼で迫る奏宮。その横にいるアイカも見てみれば、むむむ、と両腕を組んで口をとがらせている。
「わ、悪くない提案ね。新人にしてはやるじゃない。私の考えと同じなんてね」
「あぁ?」
「ぴッ……!」
凄んで睨むと、ササッと奏宮の後ろに隠れやがる。
この赤ロリィ……レティと違って全然可愛くねぇな……
「うん、今のはアイカが悪い。ごめん、でもありがとう、斬世くん」
「明確に好感度が上がったことを名前呼びでアピールするな!!」
少し後じさった。なんだこの女、超怖ぇ!
「嘘……ドン引かれてる……大抵の男子はキュンとくる場面のハズなのに……」
「如月基準で言ってんじゃねぇぞ。俺はとっくにレティに返品不可で売却済みなんだよ」
そこはこの際ハッキリと、明確に明言しておく。
俺はレティ以外との女子のフラグは徹底的に折るぞ。将来の夢は一級フラグ建築士ならぬ、一級フラグ粉砕士だ。
今、ここに固く誓おう。
マイラブユーフォーエバー、レスティアート。
「~~ッは、はやく行きましょう! 道は私が拓きますからっ!!」
爆発寸前みたいな顔になった嫁も、かわいい。




